信じてくれた人
- 2007.05.13
- 日記

ライトハウスを創刊する前、ボクはアーバインのアパートの一室で、学習塾(日本の高校、中学受験の学習塾)と家庭教師をやっていた。
もっと正確に言うと、創刊してからも3年間は食えなくて、二足のわらじでやっていた。自分で言うのもナンだけど、成績が伸びると評判でずいぶん繁盛した。
教えるのは好きだし得意なボクだけど、子どもの頃は学ぶのが嫌いで苦手なボクだった。
ボクの子どもの頃の話。
スタートダッシュでずっこけた。
動機は大人の気持ちを惹きたかっただけなんだけど、その奇異な態度で知能の発達が疑われて母親に児童相談所に連れていかれた。
小学校にあがっても、一年生からさっぱり授業が理解できなかった。
漢字を含め、記号、年号、地名、人の名前、とにかく覚えるのが大の苦手で、何回書いても撥水加工のように脳味噌を弾いた。
ボクは鍵っ子だったので、放課後にそういう子どもを預かる教室に入っていた。その教室のキマリで、漢字を100文字書いてからでないと遊んではならなかった。
だからいつも「一」を100回、正確にはノートに横棒をビヨォーンと引いて一撃で8文字くらい量産してノルマをこなした。
見かねた先生が「一」はダメだと言うので、「二」とか少し変化をつけて「三」を書くようにしたら相手にされなくなった。相手にされなくても、転校するまでの一年間ボクは頑張って継続した。
国語でよくある「作者はどんな気持ちであったか答えなさい」これもできなかった。今でも、相手の心を想像したり、察することはできても、その人の気持ちはその人にしかわかるもんかと思っている。また「答えなさい」という言葉にものすごく抵抗があって、考える前に脳味噌が「イヤザンス」と遮断するところがある。
毎学期の父兄面談では、母親からも先生からも木っ端微塵に否定され、コテンパンに叱られるものだから学期の終わりが近づくといつも憂鬱だった。
それでも新学期の初日くらいは頑張るぞと気持ちを新たに臨むのだけど、はっと気づいたら熱心にマンガを描いたり、校庭の蝶を目で追いかけていた。教科書の偉人の顔に長いヒゲを生やしたり、洟を垂らしては黒板の横の時計の針がなかなか動かないのを恨めしそうにながめるボクだった。
自信が削り取られていく毎日だったけど、すごくうれしかったことがある。
小学校2年生の授業参観の時、道徳の授業で給食の人参を食べられない女の子の話がテーマだった。
「どうして食べられないのかな」若い女の先生がボクたちに質問をした。
ボクは手を挙げたのか、当てられたのか覚えていない。
とにかくボクは答えた。
「その女の子は、人参が食べられてしまうと、人参のお父さんとお母さんが悲しむと思ったから食べなかったんだと思います」
かなりアホである。
だけど、先生はボクのことを褒めてくれた。まわりが拍手をしてくれたと思う。人から褒めてもらった記憶があまりなかったもんだから、顔が熱くなるし頭はクラクラ。もううれしくてうれしくて仕方がなかったのを覚えている。
沢庵だけでメシが3杯食えるという人がいるけど、ボクはその体験で3年くらい心が折れなかった。
その翌年、3年生の時に描いた絵画が全国で特選をもらった。シマウマを画用紙いっぱいに描いた絵でタイトルは「たくさんのシマウマ」(そのままやんけ)
通信簿にはあいかわらず反映されていなかったけど小さな自信がついた。
地底を這うような成績を見かねて、親が塾に通わせてくれたり、地元の大学生の家庭教師をつけてくれたりしたがなかなか成果がでなかった。
そんなボクが、6年生の時に新しく赴任した眼鏡のオバちゃん宮武先生の言葉で生まれ変わった。
たぶん、「超」がつく劣等生だったボクの将来を心配して、母親がボクを連れて宮崎先生の自宅に相談に行った時だ。
「大丈夫。コミヤマくんは頭が良いって先生にはわかる。だけど、そんなことより、あなたはとってもやさしい人だからそのことの方がずっと素晴らしいのよ。それにあなたの書く文字はとっても個性的。きっとアートの才能があるのよ。先生はコミヤマくんの字が大好きよ」
褒め言葉連発。気絶寸前。
何だかわからないけど、ボクはうれしくて、信じてくれる気持ちに応えたくて、その時からマジメに勉強に取り組んだ。家庭教師もときどき大人の本をボクに見せてはモチベーションをあげて大いにバックアップしてくれた。今はオデコが広い立派な校長先生になったけど、あの東條先生の熱血指導のおかげも大きい。
おかげで地底人だったボクだけど、中学入試では480人中40番くらいで入学することができた。
その時にボクが学んだのは算数でも国語でもない。
人は純粋にその能力を信じてくれる人がいたらとんでもないチカラを発揮できるということ。そして、人を伸ばすのは「ムチ」ではなく、「飴(愛情、心からの褒め言葉)」だということ。
この経験は後の学習塾経営にも活きた。
すべての生徒ではないけど、ほとんどの生徒が面白いように公開模擬試験の成績を伸ばした。
カラクリがある。
ボクは彼らひとりひとりの長所を粘り強く見つけてやる。あとは本気でその強みを褒めて、信じること。
「オマエはすごいんだ。必ず伸びる。オレは誰よりもオマエを信じている」
それを腹の底から湧き出てくる言葉にして伝えると、放っておいてもチカラをバリバリつけていく。
それは小学校6年生の時に宮武先生がボクにしてくれたことだ。
ボクの塾で大切にしていたのは成績を伸ばすことではなかった。
そんなことは結果としてついてくる話で、長い人生を歩んでいく中で、成績が良かったとか、出身校がどことか、となりのデスクのヤツより業績がどうなんて薄っぺらな話だと思っている。そもそも人と比較する人生なんて意味がない。
彼らには、ボクと向き合った体験を通して、
将来、大きな壁にブチ当たった時に、あの時頑張って乗り越えた自分を信じて、壁が崩れるまで体当たりできる人になってほしい。
折れそうな人に出会ったら、立ち止まってやさしい心で励まし、痛みを分かち合える人になってほしい。
世の中を、属する社会を、組織を、仲間を、家族を、自分を、決して諦めない、信じてやれる人になってほしい。
あの頃、合宿と称しては週末に子どもたちを集めた。
夕食はとりあえず何でも鍋に放り込んだ不思議な料理を分け合って食べた。バカ話で夜更かしをしては寝袋で雑魚寝をした。
彼らのことが本気で好きだったし、真剣に叱ったし手も挙げた。顎が外れるくらいいっしょになって笑った。生徒の帰国のときはひとりでワンワン泣いたこともある。
みんな元気でやってるだろうか。
センセイも恥ずかしくないよう元気で頑張っとるぞ。