SF−LA 500マイル・自転車旅行記(その8)
- 2013.08.23
- 日記

8月16日の早朝。サンタバーバラでこの旅日記を書いている。
ゴールのパロスバーデスまでとうとう残り118マイル。。
明日の夕方にはこの旅を終えることになりそうだ。
大学生にもなる息子と、ほぼ毎日同じベッドに寝て(ツインの部屋がほとんどない!)、毎食いっしょに食って、毎日ハイタッチして、時々ケンカもして、小さなことで笑い合う贅沢な時間も、いったんはおしまいだ。
息子が10年間剣道に打ち込んでいる間は、稽古でまとまった休みは取れなかったから、この日々、この旅は、密かなる夢だった。
はてさて。。
旅を自分でコントロールしている感覚、なんてFacebookに書いてるのを神様が読んだのかもしれない。
「ほぅ、そうなんだ。。やるじゃん」
昨日は「試練」の波状攻撃で、すでに陽が落ちた8時半に宿に辿り着いた頃には、無事一日を終えられた安堵感で鼻の奥が熱くなったくらいだ。
試練のカルテッド。
その1は「暑さ」。
一昨日、モロベイから内陸に入ったあたりから暑くなってきたけど、昨日は一日石鍋の中を走っているように熱かった。
頭はクラクラするし、日差しは、目に肌に刺さる。
飲んだ水はそのまま汗で噴き出す。
たった一日で、シャツもパンツも手袋も、汗が乾いた塩で白くなったくらい。
休憩地点で買った1リットルのダイエットコークの美味かったこと。喉をゴクゴク鳴らして飲んで、なおかつおかわりをした。この感覚は学生時代のラグビーの夏合宿だ。
これ、序の口。
試練の2番手は「高度」。
急な勾配で知られるパロスバーデスを毎朝上っているけど、サンタバーバラに抜ける154号線の山脈は、パロスバーデスの坂がタラちゃんとかイクラちゃんに見えるくらい、大人の坂だった。
見上げる坂の果てが頂上付近と思いきや、それが無数に繰り返される。1時間をとうに超えてもまだ坂は続く。まさか太陽にぶつかりはしないか、半分不安になった。
「この坂はタフだね」
息子の口から初めてタフという言葉が出た。僕に笑かけようとしているけど、表情から疲れがにじみ出ている。
試練3つ目は、「Googleマップと交通規制の整合性」。
Googleマップでは、ハイウェイ(自転車が走行可能)の表示になっているところが、フリーウェイの拡張で、走れなくなっているところが多かった。
また、道路の作戦変更で、道が一方通行になって、侵入できなくなっていたりする。
そのために、大きく迂回したり、先の山越えを余儀無くされたりした。
上記の3つはそれでも「とほほ」で済む。
「とほほ」
「とほほ」は後で笑いの種になるし、心と身体を鍛えてくれるから良いのだけど、最後の試練はいただけなかった。
4つ目は「安全性」。
南カリフォルニアに入ったあたりから、道が自転車に対して極端に薄情になった。
自転車がシンデレラなら、道は継母。
あんたなんかうちの娘じゃないのよフン、って意志が道に現れている。
それまで1.5〜2mあった自転車専用の路肩が、街中では無くなって、車と同じ車線を走らなくてはならない。
それはまだいい。
時速でせいぜい30マイル(50キロ弱)だから、まだ端っこをおとなしく走っていたら大事故の可能性は低い。
心底怖かったのはハイウェイ。
1フィート(30センチ)を切るような極細の路肩が平気で続き、その真横を時速60マイル(100キロ弱)、時には70マイルを超えるようなトラックや乗用車がビュンビュン走っていく。
狭い路肩には、漬物石のような落石やネジ、排水溝など障害物が控えている。(実際、玄は石にハンドルを取られて、幸いにも道路の反対側に転倒した)
そんな中、多くの車はスペースを確保して通過してくれるけど、中には十分な車道のスペースがあるにもかかわらず、意図的としか思えない数十センチの間隔で通過する車がある。
日本でもアメリカでもあるけど、自転車への嫌がらせだ。
先を走らせる玄の自転車が、そんな車の風圧で揺れるのを見ると、ミサイルを搭載した自転車で来ればよかったと唇を噛んだ。
山脈の頂上から、サンタバーバラへ一気に下る坂道は今思い出しても恐ろしい。車の車線までが双方向で狭くなり、そうでなくても横の車間距離が狭いところへ、アクセル全開で玄の横を通り過ぎていく。
対向車と進行車と玄が重なる度にヒヤリと息を飲む。
その度に、神様、オレの寿命がいくら減ってもいいからコイツを助けてください、と心で叫んだ。
だから、無事に宿に辿り着けた時には、鼻の奥が高温になったのですね。
いや、生きてて良かった。
それにしても、神様が昔からキチンとカウントしていたら、すでに300年前にオレは生きていないんだろうなあと、後から冷たいビールを飲みながら気づいた。