昨夜は今年2回目のキックオフ。 32時間経った今なお、余熱で体温が50度くらいある感じ。 メンバーにはこんなメッセージを送った。 「今、僕らが生きている時代は、前提が毎日変化します。 正解もひとつの決められたゴールもありません。 だからこそ、チャンスだし、面白い時代だと思っています。 やっとライトハウスに順番が回って来たと思っています。 みんなに注文があります。 (何度も話して来たけど)ライトハウスには、言われたことだけ従順のこなす『お利口さん』はあんまり必要ないと思っています。だからといって、反抗したり暴れるんじゃないよ(笑) この組織に必要なのは、『自らが、状況や変化に合わせて、自分の頭で […]
4月6日、日曜日の夜。 今日は大学院の初日。 食事以外、朝の8時からほぼ14時間ぶっ通しでデスクに向かってた。 いつ以来だろうと記憶をたどったら初めてだった。 さっそく開講したのが、一番楽しみにしていた大前研一さんの「経営戦略論」 その中でも「Real-time on-line case study」といって、2年間(100週)で、100社の経営者(とか、首長)に自らがなって、どう経営を切り拓くか考えるフォーラムがむちゃくちゃ面白い。 1回目はニューヨークの某社の経営の立て直しについて。 下調べはパワーが掛かるけど、この会社は、行政と密接で、資金力もあるから、打ち手が(今の)ウチの会社よりうん […]
午後11時半。ワインとカレーライスの遅い晩ごはんを食べてひと息。 昨日の朝9時半にシアトルを出発して、アムトラックでロサンゼルスまでの1100マイル(約1800キロ)を南下する旅の取材からさっき帰ってきた。 西海岸の3州(ワシントン州、オレゴン州、カリフォルニア州)を36時間かけて線路に揺られる旅。 アムトラックは同じ線路を走る乗り物だけど、目的地へ速く正確に移動する日本の新幹線の対極。 そのスピード時速約50キロ。時間はアバウト。いきなり停電するし、ローカルの道を走る自動車がふつうに追い越してゆく。 それゆえに、緑と水と青空、畑、牧場、湿原、そこに暮らす人々の営みが、車窓から手を伸ばして触れ […]
青空の週末。自転車の朝練以外、猫とともに家にこもって、2014−15年の編集企画に目を通したり、来週末から始まる“二足のわらじ”に備えている。 1986年10月3日。 商船高専航海学科の卒業と同時に、アメリカに渡った僕は、カバン1つで財布の中もスッカラカンだった。 あれから28年、気がついたら、ロサンゼルス、サンディエゴ、シアトル、ハワイ、京都に拠点を置く、出版と教育と通販の3つの会社の経営者をさせてもらっている。 毎日次から次に湧いて出てくる問題と悪戦苦闘するのは相変わらずだし、 百万回つまずき、山のように失敗をしながら、大好きな街で、大好きな仲間と、大好きな仕事をしている。 あの時、根拠の […]
この春に大学を卒業する友人の娘から、川崎市の小学校で特別支援級の担任になるというメールをもらった。 僕は娘に宛てるような思いで、お祝いの言葉を綴った。 かなちゃん、 そうか、それは良かったね。おめでとう! 支援級の子どもたちが幸せになるように頑張って! 先生次第で、生徒の人生は変わると私は思います。 私自身も小学校5年生まで超がつく劣等生だったけど、担任の先生が、ただ文字がユニークだったそのことを褒めてくれて、むちゃくちゃ自信がついてその後の人生につながっているから。 人は誰しも幸せにならなくちゃならない。 かなちゃんがその子たちの良いところをたくさん見つけて、たくさん愛情を注いでください。 […]
ようやく仕事が一段落。間もなく日付が変わる。 仕事とか人生について思う。 無料誌にしては良くできてるとか、 外国でこれが読めるなんてうれしいよね、 とかのレベルを超えて、せっかく縁あってこれだけのメンバーが人生を重ねて作ってるんだから、人の人生にキチンと刻まれるような一流の情報誌を創りたい。 Webとか紙とかの前に、ここでしか読めないone and onlyの情報を発信していきたい。 もし僕が余命1年とか宣告されたら、慌てて本誌や教育コンテンツやユートピアをピッカピカに磨くことに人生を費やすだろう。 人生がまだ20年も30年もあると思うと甘えちゃう。死ぬ気でやれば1年でできることを、3年も5年 […]
この金曜日と土曜日の二日間、シアトルからサンディエゴまで各事業部のリーダーが集まって、サンディエゴ郊外でマネージャー研修をした。 昼間はこってり濃密な研修。夜は時計の日付が変わるまで、絨毯の上に車座になって酒を酌み交わした。 彼らがどんどん愛しくなる。 今回僕は新たな覚悟をした。 最初から完成品のリーダーなんていない。 僕ら経営陣が、彼らの思いや能力を最大限に発揮できる社内外の環境づくりにより注力するのだ。 同時に、これまで以上に、ジャッジの精度を上げて、失敗をさせてやれる度量、成長を待つ忍耐を持たなくてはならない。 Lead from behind 彼らリーダーが、権限と裁量と責任を持って、 […]
1月5日、日曜日の午後。 年末年始は、萩の施設で暮らす父親の具合が悪くなり緊急帰国していた。 弟と、身体を洗ったり、足をさすったり、身の回りの小さな世話くらいしかできなかったけど、大きな治療が始まる前に飛んでいって良かった。 意識が朦朧となる中、昔のアルバムを見てわずかに笑った父。 病院のベッドでの別れ際、どこにそんな力が残っていたのかと思うくらい強く握り返した掌。 やがて迎える別れを予感しながら、短いけど、濃密な時間を過ごせた。 帰りの飛行機に乗る頃には、今年もバリバリ働いて、目一杯世の中の役に立つことが一番の親孝行だと、急速に気持ちが前向きになった。 そしてこの週末。 早朝に自転車で走り、 […]
12月26日。今日、無事に48歳の日を迎えました。 48という数字は、8でも、12でも、16でも、24でも割り切れる、何だかなんだってできそうな数字です。 今日から始まった48歳の1年もまた、 このブログを読んでくださっているみなさんとの絆を大切にし、 仕事においては、「その手があったか」と、世間を唸らせるような創造的な「one and only」の価値を世に送り出したいと思います。 不景気やまわりの環境、自分の才能の足りなさを嘆く前に、 自分と仲間、自分たちの未来を信じて、足元の無限の可能性を掘り尽くしていこうと思います。 シアワセや可能性、夢や希望は、遠くにあるものではなく、自らが立ってい […]
12月20日、ロサンゼルスは快晴。今の僕の気分そのまんまの青空だ。 朝の勉強会。グループディスカッションをするメンバーたちを眺めながら、社長の上野さんと今年を振り返った。 吹雪の中を、レールのないジェットコースターで走り抜けるような一年だった。 「そう来たかぁ。。。」 が、連日四方八方から飛んできた。 それを必死のパッチで助け合い、補い合い、時々気絶したり笑いながら乗り越えた。 その度に個人もチームも逞しくなった。 退屈と無縁の一年、自分の無力さを思い知った一年、そして感謝の一年だった。 「毎日が奇跡だったね。。」 今晩は、一年間頑張ってくれたメンバーたちを労うクリスマスパーティだ。 シアトル […]