日本海を眺めながら

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萩を発つ朝。目覚ましナシで5時前には目が覚める。
外はまだ漆黒の闇で、凍りそうな水で顔を洗うと身が引き締まって清々しい。

釣りと旧友の再会のメドが立った。
老人会には、囲碁や将棋の他に、親父の大好きな麻雀サークルがあることもわかった。寄り道や休憩も多かったけど、70まで働いたのだから、親父の残りの人生は酒に溺れて健康を損なうことなく、全力で遊び抜いてほしい。腕がちぎれるくらいに。

*伯母と親父の2ショット

*親父に撮ってもらう写真は、指のチカラが強過ぎてよくボクのアタマが切れてしまう

 

昨日はボクの運転で、伯母と親父と従兄弟を乗せて、津和野のお稲荷さんにお参りに行った。昨日とは一転、青空のもと春を待つ山道を走らせながら、伯母がまだ若く、親父が洟垂れ坊であったころの話や、初めて聞く親族のエピソードを聞かせてもらった。

昔話の登場人物には、すでにこの世にいない人が多いが湿っぽくない。

そんな話を聞いていると、人の命は木の葉が川の流れに身をゆだねるようなもので、微力で脆くて儚いけど、だけど心配したり、気に病む必要もないものだと思えた。
与えられた自分の葉っぱの中で、精一杯、そしてやさしい気持ちで生きていけたらそれで良いのだ。

無事、立春の津和野に着いたところに、さっそく朝電話をした親父の旧友から電話が入った。

愛想なく応える親父。

やれやれ。

帰宅後、伯母が短歌仲間たちと出した歌集を少し恥ずかしそうに見せてくれた。
少し披露させてもらう。

“四世代揃いて記念撮影す八十のわれも背筋伸ばして”

もう140センチに見たないくらい小さくて、腰の曲がった伯母が真っすぐ背を伸ばす微笑ましい様が目に浮かぶ。

“ままならぬ恋に泣きつつ登りし山山は変わらず我は老いたり”

あんなに夫婦仲が良かった伯母にもまた、若き日にかなわぬ恋に身を焦がす日々があったことは新鮮な発見であり、神さまが、万人に瑞々しく輝く人生の季節を与えてくれていることに気づいた。そうだ、伯母も少女で娘で女であったのだ。

それにしても女性は、ひとりの男性に尽くし添い遂げてもなお、別腹ならぬ、別の心の部屋に、大切な思い出をとっておけるものなんだなあ。
ふと我が嫁の顔がうかぶ。

“黄砂浴び黄色くなれる夫の墓背(せな)流すごとやさしく洗う”

“戦時下の貧しき家に育ちし我つましく暮し今を楽しむ”

“手造りの寿司と刺身でビールのみ一人祝うも我が誕生日”

歌の善し悪しはよくわからないけど、あらためて伯母はまっすぐに一生懸命に、そして明るい気持ちで生きてきたんだなあと思う。

すでに老いた伯母と親父。

お姉さんというより母親に近い存在の伯母は、親父の生活態度が改まるよう、すこしでも健康な生活が送れるよう、わがままで無精な親父に、ヒロちゃんヒロちゃんとあれこれ小言を言ったり世話を焼いてくれる。それを親父はいかにも面倒くさそうな素振りで受け流す。

答えの出しようもないけど、
親父はこの郷里に帰ってきて良かったように思えた。

夕方、親父と歩いて近所の温泉に行った。
海水の温泉につかって、日本海を眺めながら親父がのぼせるまで昔話を聞いた。

*伯母と親父が暮らす実家は萩独特の白壁の塀が囲む