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what's new

込山洋一

やっぱり冬は鍋なのだ。

 昨日の朝から鼻がぐすぐすして喉が痛むので、遠慮してたカゼのウィルスがとうとう来たかと昨夜はシャンパンでアルコール消毒をしてやった。さらに万が一に備えて白ワインで駄目押ししたところが返り討ちにあってしまい、今朝から喉の痛み、熱、くしゃみが治まらない。

ウィルスの方はボクの全身を制覇したつもりかも知れないが、実はボクの方が一枚も二枚も上手で、「カゼをひくならこのあたり」のストライクど真ん中なのでまったく気にしていない。

例年11月や12月は、出張や大切な会議・会食、契約ごと、講演などが目白押しで、どこで倒れてもまわりに迷惑をかけてしまうから熱が40度あっても倒れるわけにはいかない。

だからその時期は、喉の粘膜がなくなるくらいウガイをするし、皮がとれるくらい石鹸で手を洗う。もちろん、ストレスマネージメントにもことさら神経を使い、質の高い睡眠時間の確保と、外食が一気に増えるので栄養のバランスにも気を配る。相手の方はこっちのコンディションとは関係なく120%を期待する。毎回が一期一会。すべての面会で160キロのストレートを安定して投げるのがプロとしての責務だ。ボクはメンバーにもそれを求める。

そんな年末の山場も越えて、仲間とのホリデーも満喫できたので、内心では「今なら良いよ」と思ってた。

カゼのウィルスの方も肝心な時期を避け、そんな山場を越えるのを待って、ようやく「そろそろこっちの都合もあるのでね」と来訪したとしたら、本当の上手は向こうと認めざるを得ない。いっしょに酒など酌み交わしてみたい。もしもウィルスに名前をつけていいならブルースと名付けたい。

そんなことで今朝は、朝食を食べてそのままひっくり返ろうかと思ったけど、お楽しみの2010年の事業の重点項目のリストアップと優先順位決定戦(ひとりでやってるだけだけど)と目標設定を済ませて、昨日のうちに書いたブログをアップして、急ぎのメールの返信もすませて、薬を飲んだらバタンキュー。夕方まで眠り続けた。

朝よりいくらか痛みも引いたので、娘の運転の練習を兼ねて、日本食のスーパーまでドライブに出掛けた。パーキングの出し入れと、バックの操作にまだまだ難があるが、大勢の車の中での運転や夜間走行はだいぶん安心して乗っていられるようになった。この調子だと、冬休みの間にフリーウェイも挑戦できそうだ。

はてさて。カゼの時にはあったかくて栄養満点の鍋に限る。

スーパーでは娘が押すカートに野菜を片っ端から放り込む。

アレルギーで白菜が食べられなくなったけど、鍋はストライクゾーンが広い料理だから心配無用なのだ。

まず地鶏と昆布でダシをとって、あらかじめニンニクの固まりを大量投入。チンゲン菜、牛蒡(ごぼう)、竹の子、もやし、椎茸、しめじ、それから大量の大根おろし。このあたりまでが主役の野菜チーム。

これに豆腐と豚バラ肉、牛スライス、たっぷりのハルサメ、水でもどした麩(ふ)がガッチリ脇を固める。

時間のある時には自分でダシからポン酢も作る。翌日が休みの日やこうしてカゼをひいている時には、ポン酢をキムチの素で割るとさらに身体が温まるのでおススメしたい。

ついでにコンロを遊ばせておくのがイヤなので、となりのコンロでは副菜にベーコンと竹の子を炒めた。

「持つべきものは料理のできるダンナさんだわ」とカミサン。

「お前がうらやましいよ」とボクはニヒルに返す。

鍋ですっかり身体が温まった。やっぱり冬は鍋なのだ。

12 30, 2009

ゆるゆるのままでもうしばらく

 となりの部屋からカミサンが、ハワイのメンバーに送る餅やら菓子を箱詰めするためのガムテープの音が聞こえる。いよいよ年末だ。

例年は、クリスマスから仲間や弟家族とマンモスの山小屋を借りてスキーをして過ごしてきたのだけど、今年は娘の受験勉強と息子のサッカーのトーナメントがあるのでどこにも出掛けずに静かな冬休みを過ごしている。

20年来コラムを執筆していただいている作家の阿木先生とふたりでゴルフをラウンドしたり、

ひとりでブラリ、3ホールだけ散歩がわりにラウンドしたり、

やはり20年来、親戚つき合いしているI夫妻やTファミリーが連夜のように遊びに来てはゆったりシャンパンを飲んで過ごしている。

とりわけ26日の誕生日前夜(クリスマス)には、大勢の友人家族に祝ってもらって、とてもシアワセな44歳を迎えることができた。前後して、日本やハワイやロサンゼルスの親しい友人、会社のスタッフ、両親や弟からも、電話やメールでそれはたくさんの温かい言葉をかけてもらえた。もううれしくてうれしくて。

ひとりの時は、クーリエの世界各地のレポートや、年末年始に取っておいた伊集院静さんの小説や椎名誠さんの紀行ものを並行して読んでいる。時々ソファーでうたた寝をしながら。

12月に入って慌ただしいのをいいことに、自転車も節酒も節食も置き去りのままだ。

朝の水泳は秋の出張から帰ってきてサボりっ放しだし。

ちょっと(かなり)ネジが緩んだままだけど、冬休みが明けるまでもうしばらくゆるゆるのままでいるのだ。

12 30, 2009

ガーデナの夜景

 12月27日の日曜日。

冬休みに入ってからは、ゴルフに行ったり本を読んだりオフを満喫しつつ、子どもたちと過ごす時間を優先している。

とくに運転免許の実地試験を控えた娘の運転の練習に、昨日今日と助手席で身体を張ってつき合っている。何でも筆記試験に合格してから実地試験を受験するまでに50時間の実地トレーニングが求められている。

それこそ昨日の朝練は、ガレージから曲がりくねったドライブウェイをバックで公道まで出るのに前後進を繰り返し、急発進と急ブレーキですでにもどしそうになるくらい車酔い(30年ぶりくらい)したけど、夕方にはパロスバーデス市からなるべく交通量の多い大通りを選んでトーランスを経てガーデナ市まで遠征することができた。さぞ自信をつけたであろう。

ボクは横ですごくキビシイ。

「よその車の死角(斜め後ろ)に絶対に入るな。ほら、そこじゃあの車のミラーに入んないだろ。いつも、まわりの車の見えるところに身を置かんとダメだ!ウィンカーなしでこっちに車線変更して来たらどうすんだ!」

「コクリ(うなずく)」

「人を信じても、まわりの車はすべて疑え!何回でも言うけどこっちが見えてないし、突然割り込んでくると思え」

「コクリ(うなずく)」

「差別はダメだけど、汚い車、ボロボロの車の側を絶対に走るな。ぶつけられたり、事故に巻き込まれても保険に入ってないと思え。パパもアメリカ来た頃、500ドルの車に乗ってた時、保険なんか入る金なかったから」

「ふ〜っ(ため息)」

北上しているうちに、せっかくだからライトハウスが21年前に創業したガーデナのアパートに足を延ばした。

家賃600ドルくらいの2ベッド2バスで真ん中のリビングが仕事場。彼女の両親、すなわちボクたち夫婦の住居が片方のベッドルーム、もうひとつのベッドルームにルームメイトがいた。家賃が安いうえに通勤時間はゼロ。このアパートには本当に世話になった。

そんな思い出が詰まった空間を、車を停めて娘と見上げる。

「ここがライトハウスの出発点。お昼に広告の営業と記事の取材をして、夕方から塾と家庭教師をして、一晩中記事を書いたり次の日の予習をして、若い頃のパパが右も左もわからないけど一生懸命走った時代のアパートなんだ。」

娘は目をキラキラ輝かせた。

それから今度はウエスタン通りにもどって、右にマルカイを見ながら北に上がると、左側に出てくるレンガ色の2階建てのビルの横を通過する。

「ここはパパが初めてオフィスを借りた最初のビル。お金がないラジオ局と、もっとお金がなかったパパの会社に、相部屋だけど格安の家賃で大家さんが貸してくれたんだ。ラジオ局の家賃がたしか550ドル、パパの会社は350ドル。今はどうにか自分たちのビルを持てるようになったけど、その時は毎月の350ドルが払っていけるかパパ自信がなくてね。すごく怖かった。でも思い切って借りたんだ。あぁ思い出しても怖かったよ〜(笑)」

つられて目を細めて笑う娘。

ボクといっしょで独立心がすこぶる強い娘はもうすぐ17歳。再来年の夏には大学の寮に入ってしまう。

密かに子離れ準備中のボクは、朝に晩に娘を見つけたら両手をクマのように広げてハグしている。自分がこういう父親になるとは想像もつかなかった。

冬休みの間に、F1に復帰したシューマッハとはいかないけど、頭文字の「シュ」くらいまで腕をあげてやるのだ。

車窓を流れるガーデナの街にいつの間にか夕闇に染まっていた。

12 28, 2009

メリークリスマス!

 メリークリスマス!

お待ちかねのクリスマスだ。

そして43歳最後の日。

大丈夫だろうか、免許証。

更新の手続きをしたのにまだ届かない。明日が期限なのに。

それはいい。

今朝は早起きをして、布団にくるまった息子を引っ張ってボクのゴルフコースに出掛けた。

が、閉まってた。

そうか、クリスマス休みなんだ。熟睡しているところを無理矢理に連れてきたのでふくれる息子。

気にせず帰宅してスニーカーに履き替えて今度はふたりで朝の散歩に出た。

多くの家の前にはたくさんの車。

子どもたちの里帰りか、親戚や友人が集まっているのだろう。

今日はアメリカ人が一番大切にしている祝日だ。日本でなら正月に相当するか。

ガレージの前に、大きなリボンをフロントガラスにつけたピカピカの新車もある。

この家に養子に入ろうかしら。

今日は午後から教会で息子のコンサート。

夜は応援に来てくれる友人家族がそのまま我が家に流れてクリスマスパーティだ。

きっと演奏会になるから楽譜とマイクとギターの準備をして、みんなでできるゲームの用意もしておかねば。(鼻の穴を膨らませる)

そうそう、新聞にマクドナルドが全米の主要な店舗で無線LANを来月半ばから無料開放するとあった。しめしめ、スターバックスも有料のままとはいくまい。そのうちに仕事をするのに使い勝手が良くなりそうだ。

話はさらに飛ぶけど、去年だか、インドのタタ自動車が、イギリスの名車ジャガーとランドローバーを買収して驚いたけど、今度はスウェーデンの雄ボルボ(フォードの傘下)を、中国の吉利汽車という聞いたこともないような会社(正確にはその親会社のホールディンググループ)が買収するそうだ。なんとなんと、フォードが10年前に約65億ドルで買ったのが、今回は20億ドル未満で手放すとみられている。

なんだか大変な時代になっているのはまちがいないけど、逆の見方をすれば、景気が安定していた頃は手が届かなかったモノが、こんな不況のおかげではるかに安く手に入れることができるのだからありがたいことだ。

規模はうんと小さいけど、ボクのまわりでも、昔リサーチ会社を使って打診したら「1ミリオン(1億円)なら売ってもいい」と鼻息の荒かった会社が、今では20万ドルでも買い手がつかなかったりする。だからボク自身、世界中の日本語情報誌で、オーナーの意欲が強くなかったり、リタイヤしたいから手放したいというような話があったら聞いてみたいと思う。

業界はちがうけど、ある仲間は、オーナー企業の道楽で160億円もかけて造って破綻したゴルフコースを、入札で10億円余りで手に入れて、経営を徹底的に合理化&改善して瞬く間に黒字化した。今では40億、50億でオファーが入るそうだけど、本人は浮かれた投資目的でなく、ゴルフ場は経営そのもので利益は上げるもんと軸がぶれないからいたって堅実に利益をあげている。

楽して浮利を儲けたいのが人情なのだろうけど、そんなものは幻想で、あったとしても長続きなどしない。地道にコツコツ、堅実が一番に決まってる。

あれれ、クリスマスなのにまたアタマが仕事モードになっている。

クリスマス、クリスマス。

そうだ、ゲームの仕込みをしなくては!

12 26, 2009

イチゴのケーキ

 午後、母親(カミサン)にクリスマスギフトを買いたいという娘に引かれ近所のモールへドライブ。

娘がお茶の専門店で熱心にハーブや小物を物色している間、ボクは所在なくポケットに手を突っ込んであたりの店をのぞいて回る。

不況といわれるけど、クリスマスを前に、モールの駐車場は車を停めるのにみな苦労している。こういう光景に触れるとうれしくなる。

ギフトが決まり、ペットショップで主(あるじ)を引っ掻いた猫のエサを選んで、明日のホームパーティで娘が用意するスィーツの材料を買いに行く。

クリスマスといえば子どもの頃、母親が骨のところを銀紙でくるんだ鶏のモモが我が家では一番のごちそうだった。

たまに母親が仕事先からケーキをもらって帰ってきて、「これは生クリームやけんの。ふつうのとちゃあうんで。大事に食べまいよ」ともったいをつけたのも懐かしい。そう、我が家には「値打ち」をつけたがる血が脈々と流れているのだ。

ふだんは親父が船乗りでいなかったから、たいていクリスマスは家族3人だった。

小学校の真ん中くらいまでか、まだ両親が本当の夫婦であった頃には、クリスマスを祝いつつ、神棚と親父の席にできたてのご飯をよそってから「いただきます」と手を合わせた。

サンタもこの頃までは来てくれた。プレゼントが、リンカーンやキュリー夫人の伝記だったのがシビれたけど。

もっとボクらが小さくて、母親がまだ働いていなかった頃は、「あんたらご飯食べれるんはお父ちゃんのおかげなんで」と、手を合わせた後に母親がよく言っていた。

今更だけど、1974年、順調に船乗りとして出世していた親父がリストラになってから歯車が狂い始めた。

母親は家計を助けるために保険の営業職に就いたところが日本で何千人のトップ10の常連になるほどに頭角を現し、一方親父は辞め癖がついて転職を繰り返し、さらに母親が交際や金回りが派手になる中で夫婦の信頼関係は置き去りになり、ボクはといえば家に居着かなくなって、弟は約束通り悪に染まり、猫はこたつで丸くなり、いつの間にか家族が崩壊していった。

面白いのが、自分が親になってその歳になり、親のことを悪く思っていたような感情がどこかへ霧散して、わずかながらもそれぞれの気持ちが理解できるようになってきた。っていうか純粋に感謝しかない。

当人の親父は時々、再婚した母親が元気でやっているか気遣い、母親もまた遠慮がちに親父の健康を心配している。決して戻れない関係のふたりが、時の助けも得てお互いを許し始めているのかもしれない。

多くの夫婦のことはどちらかが悪いのではなく、ただ人間の弱さから来るものなのかもしれないと思う。

そして、歳を重ねるということは、いろいろなことが見えたり、許したり、受け入れられるようになることなのかもしれない。

クリスマスケーキでひとつ思い出した。

あるクリスマスの日、小学校が冬休みに入ったボクらを連れて、車で一時間以上かかる郊外の街に営業同行した。ボクらはただ車で待っているだけなんだけど。

途中で支社かお客さんかに生クリームのイチゴが載ったケーキをいただいた。

ボクら兄弟はゴクリとツバを飲んだ。

帰り道、母親は「ごめん、5分だけ寝かせて。もう、眠くて死にそう。事故してアンタらも死んだらいかんけんの」と道路の脇に車を停めてとたんに寝息を立てた。起こすと逆上するのがわかっていたし、やがて外はだんだんと闇に包まれる。

その時ボクは苛立っていた。今頃どこの家もごちそうを囲んで楽しくやっているんだろうなと思った。どうしてボクらはいつも親の都合や感情に振り回されているんだろうと情けない気持ちになった。

子どもを守るために身を粉にして働く母親を思いやる気持ちが持てなくて、ただビュンビュンと通り過ぎるヘッドライトをもどかしい思いで眺めていた。

もしも今、タイムマシンで戻れたら、「母ちゃん、しんどいのにいつもありがとうな。ボクらのために。いつもホンマにありがとうな。ナンボでも寝まいよ。ほんで帰ったら熱い風呂入ってビール飲みまいの」そう言って労ってあげるのに。

まだ、天上天下唯我独尊、宇宙の真ん中に君臨する我が儘な母親だけど、イブのモールを娘と並んで歩きながら親孝行する時間が残っていることに感謝した。

12 25, 2009

飼い猫に、、、

クリスマスイブの朝。

毎朝のように寝室の前で、飼い猫のティラが朝ご飯を待っている。

今朝もドアを開けると、いつものようにアゴをしゃくるようにしてトコトコ先を進み、エサを入れるボウルの前でボクを見上げる。ここまではいつもと同じ。

いつもとちがうのは手の甲のあたりに裂かれたような傷みがあること。

やや二日酔いの鈍いアタマで昨夜の記憶を辿ると、そうだ思い出した。

若い仲間との忘年会で良い気持ちで帰宅した後、ティラとひとしきり遊んでいる時に何かの拍子で驚いたティラが思い切りボクの手を引っ掻いて逃げたのだ。ボクは怒って追いかけたけど、巧みに逃げられてしまいそのままボクは寝入ったのだ。

飼い猫に手を裂かれる。

エサを美味そうに食っている後ろから首を絞めようかと思ったが、また返り討ちにあってはかなわないので散歩に出た。

自然公園の中に街があるようなパロスバーデスは、相当な樹齢を経たであろう樹木が、個人の庭や道路脇に豊富に生えていて、朝の散歩の人たちの目を和ませる。

冬至を過ぎたばかりの明け方の樹木は、まだ紺色が残った空に豊富な枝を伸ばし、風に揺れる緑がオレンジ色の朝陽に映える。遠くには太平洋。

 

その広大なパノラマはしばらく立ち止って見入ってしまうくらい美しかった。

ラッキー!

 

大好きな風景の側で、大切な人たちに囲まれて、毎日笑って生きている。もう自分のことは十二分。来年はもっともっと働いてシアワセをシェアしなくては。今日から冬休みなのにもう来年が待ち遠しい。

 

 

 

12 25, 2009

打ち上げクリスマスパーティ

 今日が仕事納めの1223日の水曜日。

昨晩はロサンゼルスとサンディエゴのメンバー合同で、打ち上げクリスマスパーティを本社社屋の2階ホールでやった。

年末進行で強烈に忙しい中、各部から選出されたパーティ準備委員会がお楽しみ盛りだくさんの準備をしてくれて大いに盛り上がった。

「英語であそぼう(連想ゲーム)」「ビンゴゲーム」「しりとり卓球」、、、ボクは1部が終わったところでそっと失礼したけど、メンバーたちはみな12時まで盛り上がっていたそうだ。

一年を戦い切り、年末のカウンセリングも終え、みんなの晴れやかな顔、無邪気に笑い合う様子を眺めているだけで、イヤなこともツライこともすっかり忘れてシアワセな気持ちに包まれる。みんな、ほんっとによく頑張ってくれた。オールスターだと思う。

帰宅してひとりで赤ワインを開けて、カミサンにパーティの様子を話す。

「オレはきっと地球で一番シアワセだな」

「うん、きっとそうだと思うよ。アナタってほんとにメンバーに恵まれてるよね」

「オレも頑張ったけどサ」

「(返事ナシ)」

「(むっ)」

後厄もまた良い一年だった。

これで厄が明けたらどんな快進撃が待っているのだろう!早く来い、2010年。

12 24, 2009

厄男の振り返りと決意

 1220日の日曜日。

今年の仕事納めまであと3日(ハワイ版は1230日)

来年以降の反省や課題が盛りだくさんだし、決して良いことばかりではなかったけど、全力疾走した充実感はある。

少し早いけど、今年のうれしかったベスト5を振り返る。

1番うれしかった出来事は4年間離れた弟がライトハウスに帰ってきたこと。

理屈抜きでうれしくてありがたい。心強い。アホなヤツだけど。

2番目はそのまま関連する出来事だけど、念願のハワイ版を創刊できたこと。

誌面をどうやって充実させていくか、広告主さんにどうやって広告効果をお返しするか、課題は尽きないけど、地元の方たちに愛され、誇りに思っていただけるような日本語情報誌に育てていきたい。

今回の創刊はアロハストリートの社長上野さんのバックアップなしには実現しなかったろう。

ハワイにたくさんの仲間ができたことも人生を豊かにしてくれた。

上野さん同様に、そんな方たちの温かい応援や信頼にハワイ版は支えてもらっている。

3番目は、青木(制作部長)が勤続15周年、川嶋(編集長)、片山(副社長)、鎌塚(教育事業部長)がそれぞれ勤続10周年を迎えたこと。大切な人生を託してついてきてくれる責任と感謝を全身で感じている。絶対に報いたいし、もっともっといっしょに成長したい。

まだ山の2合目だからね。頂上も見えません。

4番目は、サンディエゴ版がこんな不況の中で、廣田を中心に新体制で業績を伸ばすことができたこと。昨年末、創刊から支えてくれたAくんが退職して不安が渦巻くスタートだったけど、秋口まで限りなく補強はゼロで、残ったメンバーとLAのメンバーのバックアップだけで売上を押し上げることに成功した。

責任者の廣田は見るからに頼りなさそうだし、実際不器用でおっちょこちょいだけど、誠実さとひたむきさと責任感で大きな仕事やり遂げてくれた。デザインと企画力でバックヤードを支えた伊藤の存在も大きい。ふたりの決して弱音を吐かない前向きな姿勢に、ボクは大切なことを学ばせてもらった。

これはLAのメンバーも同様で、本当は全員の名前をここに書いて、ひとりずつ胴上げして感謝を伝えたい。全員がライトハウスの宝だ。

ロサンゼルス版は業績を落としてしまったけど、毎年20年近く二桁成長で伸び続けていた頃より、こんな大不況の最中に、わずかな下げ幅で踏みとどまることができた今年の方がよっぽど価値があると思う。

それは日米の教育事業や日本のHR事業部も同様で、豚インフルや18歳人口の減少、就職氷河期など、ボクらの業界に向かい風が風速100メートルくらいで吹きつけたけど、なんとなんと、そんな最中にわずかながらも業績を伸ばすことができた。

思えばボクは、口を開けば厳しいことばかり言ってきたようで胸が痛いけど、この仲間たちだからできたのだと思う。このことも同率で4番目にうれしい。今年から年明けにかけていっぱい仕込みをしているので来年の今頃がすごく楽しみだ。

これが今年のうれしくてありがたかった出来事ベスト5だ。

泣ける出来事やゲンコツ話もいっぱいあったような気がするけど、メンバーやみんなの家族が無事に一年を過ごせた感謝を思えば誤差みたいなもんでみんな忘れてしまった。本当に良い一年だった。

ところで今週の土曜日、1226日でボクは満44歳。厄が明ける。

前厄からの3年間、そんな迷信みたいな話は無視するようにしてきたけど、これでもかこれでもかとパンチのある出来事が波状攻撃で襲ってくるし、身体の方も悔しいけどヒタヒタと迫る衰えを認めざるを得なかった。

そんな厄もあと6日。厄さえ明けたら怖いもんナシだ!(ってしっかり信じてる)

40代の残り時間は6年。

情報誌は人材の育成が追いつけば、米国内やアジアやヨーロッパにも打って出たい。

世界中のライトハウスを必要としてくれる都市に広げてみたい。

教育事業ももっとダイナミックに勝負したい。歴史に“人”を遺すような事業がしたい。

たっぷりあるようで6年しかない。

1日の精度、1時間の密度をもっともっとあげなくては。

2010年はそんな構想を実現するための仕込みの年でもある。

今よりさらに地道で地を這うような努力、誰にも負けない努力を重ねたい。人に会うこと、人に熱を伝えることを大切にしたい。

今年の振り返りもそこそこにもう来年が気になって仕方ない。

12 21, 2009

親子の黄金時代

 日曜日の朝、ロングビーチのスケート場の側のスターバックスから。

例によって娘のフィギアスケートの稽古の間、コーヒーを飲みながらノートブックを広げて午前中を過ごしている。近頃はスタバに代わって、フラプチーノ(キャラメル味)を宣伝しまくっていたら冬眠前の熊のような体型になってしまったので、しばらくはただのアイスコーヒーを飲むことにする。

この子どもの送り迎え、車社会アメリカではハンパじゃない。

通学に始まり、放課後や週末はスポーツにボランティア、学習塾に図書館、土曜日の補習校、たまには息抜きに同級生のお宅に遊びに行ったり話題の映画も見たくなる。さらにグループプロジェクトなんていうのもよくあって、その度に誰かの家に送り迎えが必要だ。

子どもが2人いたらそれが2倍、3人なら3倍の送り迎え。

まだあった。例えば人気の高い病院のボランティアに参加するには、親も相当時間(年間150時間とか)ボランティアに身を投じなくてはならない。

多くのお母さんは仕事を持っているうえ、3割か4割はシングルマザーと聞くからその負担ややりくりは相当なものだろう。

うちなんかも、ボクが週日は戦力にならないうえ、しょっちゅう出張で家を空けているからカミサンは毎日朝から晩まで子どもたちの運転手状態だ。

あまり参戦できていないボクだから大きなことは言えないけど、油断すると親子の関係が稀薄になりがちな日本に比べると、(傾向として)親の負担が大きなアメリカの方が親子の絆が強くなるような気がする。

親子でどんなに衝突しようが、気まずい出来事があろうが、毎日何回か行動を共にせねばならないから、コミュニケーションは避けて通れない。自然と学校であったこと、友だちのこと、趣味の話、旅行の話、将来の夢、少なくともボクが子どもの頃の親子関係の100億倍以上コミュニケーションをとる機会に恵まれている。

だから子どもが塾から帰ってきたら、親に挨拶もなしに2階の部屋に鍵をかけて閉じこもるなんて有り得ないし許されない。

生意気を言っても親の協力なしにはどこにも行けないから力関係が崩れることもない。

またそれ以前に、親が自分のやりたいことや時間を犠牲にしていることを子どももわかっているから根底に感謝とリスペクトがある。親の方も自分の命よりも大切な存在だから、本気で叱るし真っ直ぐに愛情を注ぐ。たまにこっちが言い過ぎたり間違えていたら謝るタイミングは何度だってある。結果、しこりも残らずケンカの延長戦や持ち越しは少なくなる。

我が家では娘が大学に入るまであと1年と9ヶ月、息子は3年と9ヶ月。

家族4人で当たり前のように食卓を囲む週末も、子どもたちをギュッと抱きしめる朝も、後ろから不意に飛びつかれるオドロキも、遅い時間のひとりの晩飯を横から略奪される危険も、もうボクの人生の日常の中ではあと2年もないのだ。

その先の将来は、家族が揃うのは年に数回、もう親子でじゃれ合うことはそうないだろう。

その先どんなにライトハウスが大成功をしても、どんな恵まれた生活ができたとしても、いつかあの世にいく時に「もし戻れるとしたら一番戻りたい(これからの)2年」だろうから、ボクの全力投球の生き様を子どもたちの目に焼きつけておきたいし、彼らが将来迷った時に指針になる言葉を伝えておきたい。

それにしても、なかなか子離れできないボクはどうしたもんだろう。子どもたちはさっさと親離れしていくのに。

親の心子知らず。自分が親になってよくわかる。

12 14, 2009

サンディエゴ58時間

 土曜日の朝。

激しかった雨は収まったけど、かわりに外の風景も中庭もすっかり白い霧に包まれ、たまに通る車の音くらいしか聞こえてこない。こんな静寂の中にいるのはずいぶん久しぶりな気がする。

 

昨晩、2泊3日のサンディエゴの出張から帰ってきた。

シャンパンで遅めの食事を済ませ、使い込んでぼろぼろになった1980年発行の楽譜を引っ張りだして、深夜まで息子とふたり演奏会をやった。

ボクはギターで息子はウクレレ。ボクのギターに合わせて息子がドラムを叩くこともある。ここに仲間のTさんがいたらピアノが加わる。

 

サンディエゴに滞在した58時間の間に、現地責任者の廣田とふたりで55件のクライアントを訪問した。

 

短い滞在なので、とてもすべてのお客さんに会うことはできないけど、ひとりでも多くの方に会って、目を見て話し、両手で握手をして、今年一年の感謝をお伝えしたかったのだ。

 

ソニーやパナソニックに代表されるメーカーの多いサンディエゴでは、アメリカ経済の不況に加えて、進出企業の駐在員の減少や経費削減が日系社会の経済にも直撃して、大多数の産業に暗い影を落としている。

 

業績拡大というよりいかに現状を維持するか、そのためにはこれまで以上の努力と工夫が必要だし、何より経営者自身が顔を上げて会社の誰よりも元気でポジティブでなくてはならない。かといって、希望的観測で備えていては経営が成り立たないから、もう一段の底に備えること、まだ一年は覚悟しておきましょう、いっしょに乗り越えましょう、ボクらは一蓮托生ですとオーナーさんや責任者の方たちと気持ちを重ねて回った。

 

消費者は値段にこれまで以上に敏感になっている。

 

秋までそこそこ繁盛していたWさんが経営しているAll you can eatの飲食店は2ドル値上げした途端客足がピタリと止まった。

 

不況知らずで知られたビーチエリアの繁盛店のオーナーのMさんも首を傾げる。

 

「込山さん、今は少々のキャンペーンでは客は足を運んでくれないよ。みんな値下げに慣れてしまって“50%オフ”とかでは響かないんだ。それでも限定品を70%オフで出したら、こないだのストーム(嵐)とぶつかったのに100人の行列ができたよ」

 

それとは別の話で、新規の営業で行った美容整形クリニックでは、オーナー夫妻から高圧的にこんな風に言われた。

 

「ライトハウスに広告は出したいけど契約書を結ばない。値段もお前の競合誌のA社と同じでなくてはならない。お前の競合誌Aはもちろん、地元の大手情報誌B誌も、お前の雑誌より発行部数が多くて上質な紙を使っている韓国系の情報誌Cも、どこもうちとは契約書を交わさず毎号更新だ。それなら、今すぐ掲載しよう。広告が欲しいだろう」

 

当たり前だけど、「あなただけ特別なディールをする気は一切ないし、それはすべての広告主を裏切ることになるから、申し訳ないけどあなたと取り引きすることはできない」とキッパリ断った。

 

本来、ボクらを信じて契約を交わしてくれる広告主にこそ良いディールが提供されるべきだし、同じ日系のA社の営業さんがこの口調で不平等条約を結ばされたのを想像すると、気持ちの底の方からくつくつと怒りが込み上げてきた。おまけに個別のディールの内容を他社に平気でバラす卑しさが許せない。仲間を侮辱されたような気持ちになって、後から引き返してそのオーナーのアメリカ人の広いおでこをガブリと齧りにいこうかと思った。

 

もちろん明るい話だっていっぱいある。

 

ペットトレーナーのHさんはいよいよ自分の訓練所を開設した。

ボクら移民が異国でやりたいことを実現するには、ビザや言語、収入、文化の違いなど日本では得られない様々なハードルを乗り越えなくてはならない。日本で何か同じことをしようとするより5年、10年余計に仕込みの時間がかかるし、忍耐が求められる。

まだこれからが本番だけど、オーシャンフロントの好立地に自前の訓練所を構えたHさんの努力とチャレンジに手が腫れるくらい大きな拍手を送りたい。

 

若手保険ブローカーのDさんは、地道な努力が少しずつ実を結び、週に4回のバーテンのアルバイトが週に2回でもやっていけるようになった。ようやくパートタイムのアシスタントも雇えるようになったそうだ。ライトハウスのおかげですと言ってくれた。ボクもライトハウスの軌道に乗るまでの3年、塾や家庭教師の兼業だったからそのうれしさがよくわかる。

 

ラウンジを経営するYさんは、

「本当にわからない。すごく繁盛してるんです。いろんな手を打ったけど、何が効いているのか分析できない。ただ9月は過去5年で売上の新記録を更新したし、その後も安定して良いんですよ」

ボクも何だかわからないけど、兎にも角にもうれしいことだからYさんと焼酎のロックで乾杯し合った。

 

夫婦で不動産のセールスをするLさんはなんと去年より30%も売上を伸ばした。

たしか昨年だってたったふたりで何十件もクロージングしていたはずだ。

聞けば「私たちは経験が浅いから努力で補わなくては」と毎日コールドコールを50本欠かさないし、今でも飛び込み営業をしている。努力家のLさんはいつも明るくて腰が低い。

 

そういえば、もうひとり知っている不動産のトップセールスウーマンPさんもまだ業界3、4年で経験は浅いのに、指名は彼女に集中するそうだ。ふたりに共通するのは、明るくて謙虚で素直なこと。彼女たちを見ていると、経験不足も若さも不況も言い訳にしかならないことがよくわかる。できない理由を探すのはカンタンだけど、そこからは何も生まれないのだ。

 

うれしかったことが他にもある。

ほとんどのクライアントのところで、ハワイ版創刊を祝福してもらった。

 

「頑張れよ!」

 

「この時期によくやった」

 

「ハワイにいく口実ができたな!」

 

「うちも後に続くから先に成功して足場作れよ」

 

先のことばかりに目がいってしまうボクだけど、こうして新しいチャレンジを応援し、ともに喜んでくれる方たちとのつながりは、ライトハウスの財産でありボクの人生の宝物だ。

イメージと成長とのギャップに、いつももどかしさを感じていたボクだけど、実はものすごく恵まれていることに気づかせてもらった3日間でもあった。

 

もっとていねいに生きなくては。

12 13, 2009