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込山洋一

2008年の抱負

いよいよ今日は大晦日。

いつもより少し神聖な気持ちで書斎にこもり、新年の抱負を考えた。

来年は、創業20年目。新社屋移転。エリア版創刊(拡大)構想。

どれを取っても特別なもので、ボクの中では来年を「第2創業期」の1年目と位置づけている。去年からの延長の一年ではない。

今のメンバー(+アルファ)で戦うという基本は踏襲しながらも、人事についてはより厳しくのぞみ、適任者の昇格、不適格者の降格、年齢や社歴に関係なく一番相応しいものを経営に中枢におき、適材適所で最善のフォーメーションを柔軟に組んでいきたい。

そのためにも人材教育、幹部育成にはいっそうのチカラを入れて、任せられる仕事、ボクでなくてもできる仕事、多少危なっかしくても(そいつに)経験を積ませたいことはすべて任せることにする。

長期的な視点でも、メンバーが40歳、50歳になった時に、中途入社のやり手メンバーや若手メンバーに突上げられることがないよう、あるいは万が一、会社が倒産しても、他所に行って給料や条件が下がって生活に困窮したりすることが無いよう、独立や転職をしても引く手数多(ひくてあまた)でむしろ物心ともに幸せになれるよう、今この瞬間から、鍛え、磨き、育てていかねばならないと思っている。

それが経営の責任だ。

そのためにはボク自身はもちろん、幹部には「鬼」の厳しさを求める。部下に遠慮やご機嫌伺いをするような幹部、舐められてしまうような幹部にリーダーの資格はない。職場には潤いだけでなく緊張感も求める。

数字も高い目標を真剣勝負で追いかける。

そしてその収穫を毎年一年の終わりにみんなと笑顔で分かち合いたい。

時代のスピードは加速度的に変化を遂げる。つまらぬこだわりや組織内の動脈硬化が命取りになる。何を残し、何を変えるべきか。常に組織に革新が求められる。

リーダーとして、これまで以上に失敗やリスクを恐れぬ、大胆でスピーディな舵取りでこの組織を導きたい。

そして組織全体として、これまで以上に小さなことを大切に積み重ねたい。1センチの積み重ねが地球も一周する。努力を継続し続けたもののみが勝つ。1分1秒もすべて人生だ。

最後に、ボクの2008年「8つの抱負」と「5つの生活習慣目標」を披露させてください。

「8つの抱負」

1)    利他の心。常に自分を横に置いて考える。原理原則で考える
2)    猛烈に働く。誰にも負けない努力をする
3)    メンバー育成の鬼になる。自分の分身をつくる
4)    限界まで任せる。自分にしかできない仕事に特化する。経営判断と営業
5)    売上20%アップ。昇給基準値10%アップ。絶対に達成する
6)    寝ても覚めても「夢、目標」を強烈に思い続ける
7)    取捨選択。中途半端なこと、確信と信念のないことは止める、しない
8)    誠実と感謝、反省を地道に積み重ねる。辛抱を常とする

「5つの生活習慣目標」

1)    週3回×30分早朝ジム
2)    毎日寒中水泳(週日)
3)    暴飲暴食夜食厳禁180ポンド以内を維持
4)    ホイットニー山登頂最短記録更新
5)    ソフトボール40歳以上部門2冠王(本塁打、打率)

デスクもトイレも書斎もカバンもあらゆる目につくところに置いて必ず実現したい。

「有言実行」

このブログを読んでくださったみなさん。
一年間、ありがとうございました!

いつも生意気ばかり許してください。

人生の先輩たちも若いみなさんも、おたがいの未来を信じましょう。

良き人生は、良きことを思うことからもう始まっていると思います。

少なくとも、数多のオタマジャクシからエントリーされ、天文学的な確率でこの世に生を受けたからには、不平不満を言ったり、諦めたり、いい加減に生きてはならないと思うのです。

ボク自身、ダメ人間でも、世の中の創り手のひとりとしての自覚を持ち、少しでも世の中を前に進めたい、自らが元気や勇気の発信者のひとりでありたいと思い直して生きています。

このブログを読んで、ひとりでもふたりでも、こんなアホでもがんばっとるんやから、ワシもいっちょやったるかと前向きな気持ちになっていただけたら最高のシアワセです。

みなさんのたくさんの笑顔とガッツポーズを願って、2007年最後のブログとします。ありがとうございました。

12 31, 2007

マンモスから

長い筒がそのまま煙突に向って伸びる一昔前のストーブ。
中で薪がゆらゆらと燃えるのを眺めながら書いている。

ここは休暇先のマンモスの山小屋。

サミット(山頂)は標高10,000フィート(約3,000メートル)のスケールを誇るスキーリゾートマンモスは、パウダースノウと、玄人も唸らせるくらいバラエティに富んだコースが遠く海外にも知られ、他州だけでなくヨーロッパからも多くのスキーヤーが訪れる。

幸いにも我がロサンゼルスからはドライブでたった5時間の距離。毎年冬休みになると家族でキッチン付の山小屋を借りて連日スキーをして過ごすことにしている。

そして今夜が最後の晩。

夕食を終え、トランプの最終決戦までの間、子どもたちがシャワーから出てくるのを待ちながらしばしこの休暇を振り返っている。

ボクの誕生日の12月26日に出発したのだけどそれは楽しい毎日だった。

誕生日の夜は、息子が(たぶん)ガムテープと厚紙で拵(こしら)えた財布をプレゼントしてくれた。

カードが2枚分とお札、小銭が少しだけ入れられる。留め具は、爪楊枝(つまようじ)を使っている。実際にお札を10枚も入れると分厚くって曲げられない。不格好だけど何時間もかけて作ってくれたのだろう。どんな気持ちで作ってくれたか思い浮かべてみる。同時に近頃では、たまに顔を合わせると、細かいことで自分の考えを押し通したり、聞き分けがないと大きな声で叱りつける自分を恥じた。こんな頑固で勝手な父親にもよく懐いてくれる。

反省即行動じゃないけど、夕食後はすぐにトランプをしたい気持ちを抑えて(ボクのこと)、日本語学校(西大和学園)の宿題をいっしょにやった。

漢字や読み書き。方程式を使う食塩水の問題は、大きな絵を描いて説明した。正比例や反比例の問題も、自分でできるまでチャレンジした。眠い目をこすって目標のページまでやり終えた時は思わず抱き合った。そして抱きしめながら「マイ人生の一番シアワセな瞬間」だと思った。

息子はアメリカ生まれで、一見日常会話はふつう(のよう)に日本語で話せても、算数の問題を読むところからシンドイ。真剣な横顔を見ながら、改めていつも根気よく子どもたちの面倒を見てくれる西大和の先生方に感謝した。

娘はスキーと寝不足で疲れたカラダを「もういいよ」と言ってもいつまでもマッサージしてくれた。

身内を誉めることは卑しいことだが、彼女のことを良いヤツだなあと思っている。なにか叱った記憶がない。年が離れているけど(当たり前だけど)、いつもヒトを思いやり、努力を口にせず、それでいて度胸がある。毎日「ありがとう」とチャランポランな父に感謝してくれる。まさか皮を剥いだら、立派なお坊さんが出てくるんじゃないかと思うことがある。

つい先週の東海岸と中西部の出張の間にこんなことがあった。
家内に電話をしたら娘が昨夜から高熱でダウンしていると言う。にもかかわらず、前の晩に電話した時に(家内と息子は剣道の稽古で不在)電話を受けた娘は、出張先の父に心配をかけぬよう「みんな元気でやってるからパパも元気で帰ってきてね」と声色も含め、自分がひっくり返っていることをお首にも出さず励ましてくれた。そういうヤツだ。

休暇に話を戻そう。

スキーの方も娘に教わってずいぶん上達した。今さらだけど。

技術というより気持ちの話なんだけど、エキスパート専用のコースの前で行こうか行くまいか一瞬たじろいでいると「パパ、最大のリスクは転けるだけ。うまくいかなくてもコロコロ転がってるうちに下まで着くよ。いこういこう」と娘がニコリ。

目からウロコ。なんてポジティブなヤツだろう。

それ以来、「失敗しても転けるだけ」と呪文のように唱えながら、真下に落ちていくようなコブだらけのエキスパートのコースも、あるいはジャンプ台3連発も、実際ほとんどが失敗で雪煙を上げながら転倒するのだけど、果敢にチャレンジできるようになった。

特にジャンプ台では、下の方から家内やチビが見守る中を(無意識に大声で叫びながら)目から涙を吹き出しながらジャンプ台(と言ってもホンの50センチくらいの高さ)を蹴った。

ひとつ目はバランスを崩しつつも着地成功。

「うぉおおお〜」と叫び声で飛んだふたつ目も辛うじて成功。

しかしもはやそこまで。

叫び声の大きさと成功率に相関性はない。

みっつ目は空中でバランスを崩してカラダも板も空中分解。うつ伏せに激しく地面に叩き付けられたまま数メートル滑り落ちた。

一部始終を眺めていた家族によると、あまりにボクの声が大きいものだから、まわりのスキーヤーやスノウボーダーも呆気にとられて眺めていたらしい。その結末に、哀れむ者、腹を抱えて笑う者、反応は分かれても大いに楽しませたらしい。

食事も日々の楽しみ。基本は冷蔵庫にあったものに少し買い足して毎日自炊。カレーやスパゲッティ、カンタンな炒め物を、家内とボクでテキトウに分担して作る。洗い物は子どもたちも手伝う。ビールやワインは外の雪にブスブス刺して必要な時に出して飲むし、焼酎の氷は、コップを積雪に3回くらい刺して圧縮して調達する。

天然の雪を浮かべて飲むと、大小のわだかまりがサラサラ溶けて流れていく。

飲んでばかりでもない。
ふだん出番が少ないので、なるべく世の中やボクが伝えておきたいことを子どもたちに話した。身近な需要と供給の関係とか、モノを売るときの値段を決めるポイントとか。自分のこれまでの仕事の失敗とその原因とか、将来の夢、目指している経営者像についてもオトナに伝える言葉で語った。

こんなこともあった。日も暮れたガススタンドで、ガス欠した青年が困って頼ってきた。詳しい事情はわからないがこんな寒い夜に放ってもおけない。

何様でもないけど、とりあえず数ドル援助した後、息子から「困ってるのにそれじゃ少ないんじゃないの」と来た。「アナタも若い時さんざんお世話になってるのに」と家内も追い打ち。

一瞬ムッとしたけど、自分が青年の頃、ボクは、友人知人、無縁のヒトに関わらず、金からメシから情けから、呆れるくらい世話になり倒した。その多くは恩も金も借りたまま返していない情けないボクであることを思い出した。

一回、公道に出たけど、ハンドルを切って青年のところに引き返した。そして仲間とランチを一回贅沢するくらいの金額を預けてその場を去った。ちょっとフンパツ。だけど、年末に少し良いことをして家族の心も温めてもらった。

話の収拾がつかない。
大小の出来事がすべて宝物だった。

そんなこんなの休暇もあとわずか。
この残された時間はトランプで勝ち続けることに集中したい。(腕まくり)

12 30, 2007

マンモス前夜

出張から帰ってきて気が抜けたのかカゼをもらったようだ。

うすうす感じていたけど、「気」の問題と相手にせず、昨日も一昨日もクリスマス会や忘年会に深酒したらとうとうカゼを怒らせたようだ。今日は一日中ぼーっとして洟(はな)ばかりかんでいる。何か考えても、途中で何を考えていたのか忘れてしまう。それはふだんからか。

明日から家族でマンモス(車で北に5時間)にスキーに行く。

さっき家内が道具の予約をしたとき店の人が今年も雪が良いぞと言っていた。マンモスの雪はパウダースノウで格別だ。年末までの間、朝から日没までアタマを空っぽにして滑ろうと企んでいる。その前にカゼを治さねばならぬけど。

それとこの休みは子どもたちとうんと話をしようと思っている。

ボク自身が年々忙しくなり、今年の後半はあまりじっくりと向き合ってコミュニケーションが取れなかった。来年はもっと忙しくなるうえに、彼らもそう遠くない時期に親離れをしていく。すでに急速に友だちとの世界のほうが大きくなっているし。

それは家内も同様。このままだと破門にされてしまう。

つい日常は「要件」と「結論」のやり取りになってしまい、「それってポイントで言うと?」とか「結論から言うと?」とか「優先順位は?」と身も蓋もない言葉で家内を怒らせてしまう。いけませんね。仕事じゃないんだから。

そうだ、山小屋の夜は暖炉でマシュマロを焼こう。それからモノポリー(人生ゲーム)をしよう。野菜のたっぷり入ったカレーも作ってやろう。星を眺めながらジャグジに入ろう。

思いは一足先にマンモスをめぐる。

12 25, 2007

サンタとリンカーン

「パパ、クリスマスプレゼント開けてもいい!?」

毎年のクリスマスのように、朝一番、ツリーの根元に積み上がったプレゼントの開封を子どもたちに急(せ)かされる。

娘はいつの間にか背丈が家内に追いつき、家内のクローゼットから洋服やアクセサリーをうれしそうに引っ張り出す14歳のレディになった。

生意気盛りの息子は、13歳にもなるのにボクが長期の出張から帰った夜は今でもベッドにもぐり込んでくる。

そんな二人に、「サンタクロース」としてプレゼントを贈ったのは去年のクリスマスが最後だった。最後の方の数年はうすうす気づいていたのかも知れないけど、サンタで居続けたい両親の心を知ってか無邪気に贈り物を喜んでくれた。

クリスマスの次の日に生まれたボクは、むしろギフト運が強くない。

子どもの頃はクリスマスと誕生日のプレゼントがいっしょにされて子供心に閉口した。

サンタとの相性も良くなかったようだ。

「なあ、母ちゃん。サンタクロースって見たことあるん?うち煙突ないで。どうやって入ってくるん?今日は寝たふりして、サンタクロース見てみようと思とんや」
と3歳か4歳の頃のボク。

「アホウ。おまえなんちゃ知らんのやの。サンタ見たら死んでしまうんで。毎年、子どもがようけ(たくさん)それで死ぬんや」

ひょえ〜っ。それを聞いた幼いボクは間違ってもサンタクロースを見てしまうことがないよう、イブの夜は布団にもぐり込みまぶたが食い込むくらい目をキツく閉じて眠った。

ある年のギフトは「キュリー夫人」の本だった。

サンタはどうしろと言うんだ。クリスマスと誕生日がマージされてオマケに偉人の本。それも化学者。もう一度寝直そうかと思った。

確かその次の年は「リンカーン」。

どうしろというのだエブラハム。暗い気持ちで、挿絵だけ追いかけてパラパラめくったら、最後の方で演説小屋の舞台の袖から暗殺者が握った銃の絵が出てきていっそう気分を滅入らせた。

なんてサンタの悪口を書いていたら、日本のお袋から電話がかかってきた。

「誕生日、おめでとう。私が生まれた大連にヒロシ(母の弟)が連れてってくれたん。楽しかったあ」

受話器から機嫌の良いときの母の声。

おめでとうはそこそこに叔父と中国に旅行に行ってきた話をボクに聞かせた。

「そら楽しかったなあ。ところで来年、会社引っ越すんで遊びにきてよ。チケット送るし」

「うん、頼むわ。3月までは忙しいからその後ならエエ。アンタもトシやから身体無理したらいかんで」

「カアサンもな。旦那さん(再婚相手)によろしいにな」

受話器を置いた時、本の翌年くらいにオセロゲームをもらったのを思い出した。

12 25, 2007

クリスマスパーティ

23日の夜は親友家族20数名が集まり、我が家でクリスマスパーティを楽しんだ。

夕方の5時過ぎから集まり、最後のお泊まりゲストに「もう寝ようか」と時計を見た時には午前2時半。あっという間の夜だった。

初顔合わせもあるので、みんな揃ったところでゲスト一組一組を家内とボクがエピソードを交えながら紹介する。

紹介をしながらそれぞれのゲストとの歴史を改めて想う。

ライトハウス創刊の89年から長男の出産までの数年、パートで働いてくれた田山美保子さんは現在アメリカンクラフトの先生。ご主人の最初の駐在期間を終えていったん帰国後、2回目の駐在で家族での永住を決めた。お腹にいた“長男”は今では身長190センチに迫る高校生。中学生の弟もそろそろボクより大きくなりそう。家族4人、みんなでっかい。ちなみにご主人、長男、次男は3人ともライトハウスのソフトボールチームのエースとクリーンアップだ。

石川夫妻もまた89年の創刊の年からのつき合い。当時、中東経験豊富な商社マンだった石川さんは独立して、子どもの時から好きだった天体観測の商品や部品をeコマースで販売する会社を立ち上げた。決して順風満帆な時期ばかりではなかったけど、ピンチを乗り越える度に経営力が強化され、現在ではヨーロッパ、アメリカを中心に世界中に顧客を抱える。元早稲田のラガーマンで、山登りの仲間であり卓球のライバル。一昨年は日食を追いかけて、地中海のクルーズをいっしょに参加した仲間dだ。

高津ファミリーも創刊当時からのつきあい。根っからの技術屋で、何でも自分の手で作るし直してしまう。7年前に技術系専門の人材会社TWIインフォテックを設立した。偶然だけどふたりの子どもがうちのチビ(娘と息子)と誕生日がそれぞれ一週間ちがい。毎年のように家族や男同士でキャンプや山登りをしている。この数年はおたがいに忙しくってなかなか登れていないけど。

久保さんはガーデナの旅行会社トラベルオリエントのオーナ夫妻。競争の激しい業界で創業23年目。ライトハウスの一番長い広告主であり、10数年も前になるけど、いっしょに事業に投資をして大失敗もした仲。「ちっとは出世したけどアンタは昔からちっとも変わんないね」と言ってくれる。

余談だけど、その事業の失敗の後始末は自宅を売って乗り切った。あの経験が、毎月ジリジリ数千ドル、数万ドルと積っていく赤字経営の恐ろしさを学ばせてくれた。

思えば、ボクの社会人前半戦(20代、30代)は失敗の連続だった。とくに「儲かる」から手を出したものはことごとく失敗。

回り道をしたけど、帰ってきたのは自分が一番大好きな出版と教育。もう「勉強」はこのくらいでねと尻拭いをしてきた家内。

話を戻すと、ここまではみんなボクよりおっちゃんの友人。

もう一組はボクよりちょっと若い早川夫妻。早川さんは自転車競技の元日本代表のアスリート。現在は「牛角」(米国)の社長であり、300人以上の多国籍軍の親分だ。やわらかい話から経営の悩みや夢を本音で話せる数少ない仲間のひとり。公私に自分が身を引き、人に譲る姿勢はボクのお手本。

尊敬できる仲間がいて、その仲間それぞれとの歴史があること、調子が良くても悪くても変わらない人間関係があること、それって実はものすごいシアワセであり財産なんだよなあと心の中で感謝した。

一年頑張ってきて仲間と分かち合う酒は一番うまい。二日酔いの朝、とっておきの酒の空瓶が転がっているのを発見してさらに滅入る反省を活かし、この日はみんなが酔っ払う前に「森伊蔵」を投入した。みんなうまいうまいと飲んでくれる。

ボクがカウンターに入り、男仲間がカウンターを埋める。

みんな業種業界はちがうけど経営者。良いことばかりではなかった一年を振り返る。日本の不景気、中東の緊迫、ガソリンの高騰、サブプライムローン、世の中の暗い出来事が人々の生活を圧迫する。ヒトの暮らしが圧迫されると我々の経営にも直接間接で余波が来る。

だけどボクらは挫けない。

90年代2000年代、バブル崩壊も、ロス地震も、湾岸戦争も、ロス暴動も、同時多発テロも、キッチリ経営を直撃してきたけど、その都度乗り越え、這い上がってきたからね。足腰の強さがちがう。

いい気持ちに酔っ払ってからはガレージに会場を移し、卓球のダブルストーナメントを開催。ボクは密かに本気で優勝を狙っていたのだけど、卓球小僧の石川さんと72歳の黒田バアちゃんの合計120歳フルムーンコンビに決勝戦で敗れた。優勝と準優勝の賞品を入れ替えておくんだった。

おしまいに、全員でビンゴゲームをやった。子どもだけでなく、オトナもみんなガッツポーズや万歳をして全身で喜び、コブシを握って悔しがる。

心地よい酔いの中で仲間との夜は更けていく。
分かち合う相手がいて、シアワセは実感できるんだと気づいた。

12 25, 2007

届けたい言葉

12月22日土曜日。

冬のニューヨーク、ボストン、シカゴの3都市を駆け足で回り、副社長の片山とふたり、ジェットブルー機でロングビーチに帰ってきた。

今月に入ってから年末進行に加えて、サンフランシスコ、サンディエゴ、今回の東海岸&中西部の出張が続き、さすがに指でついても倒れそうなくらい疲労困憊。瞬間冬眠に入れそう。

それでもまだ(出張で)手にしていないライトハウスの新年号の出来上がりが気になって、空港についた足でガーデナの飲食店に走りピックアップした。楽しみだったんだ。

ボクが言うのもナンだけど、新年号からロサンゼルス版、サンディエゴ版ともに編集面をしっかりパワーアップさせている。

まずは新連載3本も順調なスタートが切れた。

元ライトハウス編集スタッフで、独立後の現在ではロサンゼルス観光局や州観光局のPRを一手に引き受け、日本のメジャー誌でも大活躍の森真弓さんによる「気になるLA今月のピカピカ」では、話題のスポットが楽しく紹介されている。

やまだゆみこさんのマンガ&エッセイ「これでもか!LA」は、アメリカ生活の中で誰もが感じている(怒ってる)不便や矛盾が楽しく描かれていて思わず膝を打つ。

京セラ名誉会長の稲盛和夫氏の講話を抜粋してスタートした「盛和塾」コーナーは、海外の経営者や管理職の方たちの日常の経営にぜひ役立てていただきたいと願っている。

特集記事の「南カリフォルニア年間パスガイド」は来年一年間の楽しみを先取りしたい年間パスの情報。編集長の川嶋くんを中心に練りに練った新年企画の第一弾だ。「元取り目安回数」も参考になると思う。家庭や会社で保存してもらえたらうれしいのだけど。

「有名人インタビュー」の王貞治さんへの取材では、あんなに偉大な方なのに、威張った様子は微塵もなく、むしろ緊張させないようにやさしくメンバーに気配りをしてくださったそうだ。ライトハウスを手にした写真がボツになったのが悔やまれる。

毎年恒例のアメリカンドリーマーの取材記事(正月号、1月16日号)は、今年から全米に取材範囲を広げ、ハワイ、ボストン、ニューヨークからも登場いただいている。

ロサンゼルスを起点に躍進をする「Sushi KATSU-YA」のオーナシェフの上地勝也さんの「自分のやりたいことを目標に持ったら諦めない。絶対に最後まで諦めない。諦めたらその目標が達成できなくなります。諦めずに努力を続けていれば、どんなことも達成できます。何度挫折しても諦めない限りは、何事もいつか必ず実現すると信じています」というメッセージに、図らずもラーメンをすすりながらついボロボロと泣いてしまった。自分ちの誌面で泣くなよ。

だけどこれなんだ。

ボクがライトハウスを通して実現したいことのひとつは、この異国に地で実際に挫折を乗り越えて頑張っているヒトたちの言葉を通して、ここに暮らすヒトが「勇気」や「元気」を持って、目の前の試練や夢に正面から向き合い、ひとりひとりがそれぞれのアメリカンドリームを実現することだ。

異国の地で身を立てていくことは生易しいことではない。並大抵のことではないけど、今ここに生きるボクたちは先人たちが道をつけてくれたように次世代に道を拓く使命があると思う。自分だけのための人生ではない。

もうひとりのアメリカンドリーマー石井裕さん(マサチューセッツ工科大学教授)の言葉も借りよう。

「私は研究の最終目標を2200年と決めたので、私自身が結果を見ることはできません。だから、一分一秒が惜しい。自分の肉体はいつか滅びます。自分の思想や飢餓感を受け継いでくれる次世代の学生を教育していきたい。そして、彼らに次の世代を作ってほしいということが、やはり人生の最終的な目標になるのではないかと思いますね。

自分が死んだ後に何が残せるか。100年後、200年後、世の中が変わっても、自分の存在が残るようなことをしていきたい。若い人たちには、そういったことを考えていってほしいですね。

今、アメリカという国にいて、本当に世の中に貢献するためのアイデアと情熱があれば道は開けます。ここはそういう国なのです。

日本に帰ることも一つの選択肢かも知れない。だけど世界に挑戦することを恐れないでほしい」

創刊20年目になる2008年。

読者の魂を揺さぶるような誌面を作りたい。

読者のハートが火柱をあげるような言葉を発掘したい。

ひとりでも多くの方にそんな言葉を届けたい。

2008年のライトハウスにご期待ください。

12 23, 2007

確かな手応えの中で

朝5時過ぎのサンディエゴのダウンタウンはまだ闇に包まれ、耳を澄ますと遠く飛行機や車の走る音が聴こえる。

昨晩はシアワセな時間を過ごすことができた。

サンディエゴオフィスのメンバー10人で焼肉「鶴橋」で忘年会。レギュラーメンバーはもとより、ふだんは顔を合わせる機会のないライターの奥長さんや配達の西井さん、インターンを終えたまどかちゃんの素顔にも触れることができた。

いつも離れていても、一生懸命にこのサンディエゴ版の誌面づくりをしてくれているメンバーを想うと3メートルくらいに腕を伸ばしてみんなまとめて抱きしめたくなった。

「数字(営業目標)の話ばかりしたけど、来年は一にも二にも誌面を充実させよう。読者が喜んでくれる、助かる、元気が出る、そういう誌面をみんなで作ろう!

今年もこうして乗り切ることができたのはここにいるみんなのおかげです。ホントにおつかれさまでした。そしていつも本当にありがとう!」

11月で創刊5年目に入ったサンディエゴ版だけど確かな手応えを感じている。

営業同行に回っても、最近は「オレのまわりは、みんなライトハウスの方が面白いって言うよ」「オタクともうひとつの雑誌に(広告)出しているけど、40歳代くらいまでの若いヒトはみんなオタクからだね」「アンタのところの営業さんが親身にやってくれたからこっち(サンディエゴ)に店が開けたよ。うちが潰れるまで広告出すから(笑)」そんな声を聞ける機会が増えてきた。

もちろん「うちは昔からY(競合誌)に決めてるの」というお客さんがまだまだ多い。「オタク、高いもん。いらねえ」と冷たくあしらわれて肩を落とすこともあるけどそんなことはどうでも良いのだ。

愛を持って取り組めば道は開ける。世界中のどこのメディアにも負けないくらい、読者や広告主を愛し、コミュニティにかかわる人たちに心底喜んでもらえる誌面づくりを目指していたら、ボクらは決して折れないし、結果は後からついてくる。

追いかけるのは読者と地元商店主、コミュニティの人の笑顔だ。

以前にも書いたけど、創業20年目になる来年は、いよいよロサンゼルス、サンディエゴに続いて、新たなエリア版を発行することを決心した。

近頃、広告営業や編集企画、ライトハウスの原点である誌面づくりが面白くって仕方ない。この価値をもっと広げてみたい、自分たちがやってきたことが他所で通用するかチャレンジしたい、そう考えるとワクワクするのだ。

なんか歳を取るほどココロはガキに戻っていく。

12 12, 2007