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込山洋一

飛行機物語

飛行機に初めて乗ったのは二十歳のとき。

一年間の航海実習を終えて、東京から高松の実家に帰る飛行機だった。それまでの数少ない東京、あるいは遠方からの帰省、長距離移動はもっぱらヒッチハイクだった。

飛行機に縁のない少年時代だったけど、アメリカに移住してからは、国内外の出張や旅行で少なくとも200回以上は乗っただろう。客室乗務員の代わりに、あの離陸前の交通整理みたいな案内もできそうだ。

今回は、そんな中から飛行機にまつわるアホバカエピソードを紹介したい。

その1:ユナイテッド物語

トップバッターはアメリカを代表するエアライン、ユナイテッドでのエピソード。

一回破産して、今ではずいぶん改善されたけど、うんと昔のサービスは強烈だった。例えば、お客が溢れかえっていても、ランチ時になるとカウンターひとつかふたつ残してみんないなくなった。列の後ろのほうの人は遅れそうで何人も気絶していた(これはウソ)。組合が強過ぎて、末期はコントロールが効かなかったのだね。

その頃にライトハウス主催のコンサートで南こうせつさんをお招きしたことがあるのだけど、カウンターのオバサンが最悪で、こうせつさんを一本指をピコピコ折り曲げて呼んだり、曲げた指で指差したり、まぁ大切なお客さんに対して、ムチャクチャな対応で悶絶しそうになった。幸いこうせつさんは実に温厚な人柄で、むしろそのハチャメチャぶりを笑ってくれたけど。オトナなのですね。

まだある。

サンフランシスコ出張から帰ってくる時、仕事が早く終わって一便早く乗れそうだった。

「本当は午後5時の便だけど、もし空席があったら一便早くしてもらえますか」

「オッケイ。ガッテンだ。任せとけ!」

ラッキー!

幸いにも一便早く乗ることができたけど、預けた荷物は一便後に堂々と到着した。

人間だからミスはある。

が。あろうことか、もうひとつオチがあって、その次の出張でも同じように荷物だけ遅れて到着した。

みんないなくなって、ただグルグル回る荷物引き渡しのコンベアをいつまでも眺めながらデジャブかと思った。

そんなユナイテッドだけど、ロンドン出張の帰路、すっかり出発時刻を間違えたにもかかわらず、カウンター嬢の必死の対応で、DC経由で予定の日にロサンゼルスに帰ってくることができた。翌日に重要な会議があったから本当に助けてもらった恩もある。

このエアラインにはこれからも物語を紡(つむ)いでくれることを期待している。

その2:喫煙席背中合わせ事件

以前にも書いたけど、禁煙席に座っていたら、真うしろの席のネクタイが煙草を吸っているので、立ち上がって即注意したら、客席乗務員が走ってきてこう言った。

「すみません。ひとつ後ろの席から喫煙席なんです」

到着までが気まずいこと。

今では全面禁煙になったけど、昔はそんな歪(いびつ)なカタチで両者の折り合いをつけていたのだ。

余談だけど、煙草と言えば、唯一日本出張で憂鬱なのが煙草の煙。

「よろしいですか」と言われて、「カンベン願おう」とか「まかりならん」とは言えないもんなあ。

その3:荷物だけ旅立ち事件

某エアラインで成田に到着したら「コミヤマヨウイチ様」とプレートを抱えた紳士が待っていた。

まさか、オレはにわかに出世したのだろうか、カアチャン、オレ頑張ったよ!

咳払いをして「私がコミヤマヨウイチです」とゆっくり名乗りを上げたら、「コミヤマ様のお荷物が手違いで現在香港に向っています。たいへん申し訳ありません」という話だった。出世は簡単ではないと学んだ。

その4:荷物盗難事件

荷物の話はまだある。良く利用するエアラインの話だけど、預けた荷物が出て来なかったことがある。たぶん盗まれたのだろう。これは仕方がない。すべてのエアラインに同じリスクがある。

感心したのは、そのエアラインのスタッフが、その後一週間毎日ホテルに電話をくれて、空港やJR周辺の警察からも、荷物が見つかっていない旨の報告してくれた。

一張羅のスーツやシャツ、お気に入りのネクタイを詰めたバッグだったので、涙がポロリと零(こぼ)れそうだったけど、それ以上にその会社の誠実なフォローに胸を打たれた。

「あなたの責任でもないのに毎日誠意をもってフォローしてくれてありがとう。今回のことはイタかったけど、これまで以上にあなたの会社のファンになりました」

この一件から、改めてふたつのことを学ばせてもらった。

ひとつは、トラブルやクレームがファンを作るキッカケにも成り得ること。クレームこそ関係構築のチャンスだ!

もうひとつはテクニック的な話だけど、出張の重要な資料や、バックアップの利かないものは必ず手荷物で持つこと。できるだけ衣服のローテーションを駆使して、手荷物で持ち込めるボリュームに留めることをが大切だ。どうしても預けるなら、間違えようがないように、バンダナやベルト、大きな紙をガムテープで貼るなどすると良いだろう。

飛行機にまつわる失敗や笑い話は旅を重ねていると自然と生まれる。

またたまってきた頃に披露してみたい。

まもなく日本だ。

01 31, 2008

太平洋のうえで

目が覚めたら、成田まで約5時間、眼下には雲の切れ間に群青色の太平洋。
モニターの地図によると間もなく日付変更線を越えようとしている。

離陸前に摂った喉薬のシロップが効いて、離陸を待たずに熟睡した。
そう、恥ずかしながらまだカゼを引きずっている。

冬休み明けにひっくり返って、二週間おいて再びダウン。この時は悪寒と嘔吐でヘンな病気にでもなったのかと心中穏やかではなかった。

うまい具合(?)に重なるもので、日本からビジネス書のベストセラー作家4名をお招きしての、ライトハウス創刊20周年記念セミナー(第一弾!)と、今回のダウンが重なり、イベント直前に這うように会場入りした。立っていても冷凍庫の中で宙づりになったような感覚で、病床で練習した会の冒頭の代表挨拶も情けないことに3%の出来だった。いかんですね。

幸いイベントそのものは大成功で、参加費が85ドルと高額であったにもかかわらず、150人の定員が溢れたうえ、参加者へのアンケート結果は5段階評価で平均4ポイント以上が90%と、満足のいく結果に終わった。

それが先週。

そのまましばらくは養生してコンディションをこしらえれば良いものを、スタートダッシュの遅れを取り戻そうと昼に夜(新年会)にまた張り切って、出張直前に再び体調を崩してしまった次第。

自分でもまだ信じられない。

以前はどんなにムリをしても一晩ぐっすり眠ったら復活したし、何よりカゼをもらっても、1シーズンで2回も3回もダウンするなんてありえなかった。認めたくないけど去年くらいからジムに行ったら疲れが残るので、ラグビー部のようなハードなトレーニングからストレッチ中心の軽めのメニューに変えた。食べる量も人並みになってしまった。

ボクが認めようが認めまいがカラダが変化しているということだと思う。

それは潔く認め受入れたうえで、どう自分自身のパフォーマンスを上げていくか、またまわりに委ねてゆくかを考える時期なのだ。先はまだまだ長いしね。

ふとスタッフを思うと、ライトハウスの平均年齢が今年で37くらいになる。LCEも38くらい。若い会社と思っていたけど世の中的にはそうでもなくなってきた。

むしろ、今どきのベンチャー企業は平均年齢20歳代がザラというから「オトナの会社」と言って良いかも知れない。

みんないっしょに歳を取っていくから静かな高齢化に気づかない。

ついこの間(のような感覚)、新卒で入社した青木くんも川嶋くんも立派に30代後半のオッサンだ。(余談だけど、サンディエゴの大野くんと滝井くんは入社した時から若いけどオッサンだ)

ボクにとって社員は全員(年上でも)が弟や妹、息子や娘のような感覚、親分子分の気持ちで接している。同時に親御さんからお預かりしていると思っている。

そんな感覚だから、メンバーが頑張っているのを見ると、ついいつまでも頭を撫でたいような、背中をさすりたいような(ときに叩いたり、殴ったり)気持ちになるけど、相手はそんな歳でもなく、立派なオトナなのですね。実際まだやってるけど。

20歳代の頃、目をかけてくれている上場企業の創業社長に問われた。

「込山くんの会社の強みはなんだ」

「若さです。それと体力かなあ。」

「バカモン!若さなんて今だけの話だろ。会社の強みというのは、時期とか時代に関係なく通用するモノだけを言うんだ。まったくキミは元気ばっかりで話にならん。強みを作れ。他にはない武器を作れ」

目からウロコが落ちた。

正直、アドバイスを活かして武器が作れたかどうかわからない。けど、遮二無二がんばり続けることだけは継続した。ヒトより才能で劣るボクには努力しかない。

新年の抱負(のひとつ)を「部下育成の鬼になる」としたのには理由がある。

これはライトハウスに関してだけど、ひとつはボクの分身を何人か作っておかないと、万が一にも今ボクがポクッと逝ってしまったら、今の幹部メンバーではいかにも心許ない。

ボクが補欠で、4番バッターがゴロゴロいるLCEとそこがちがう。(うちの4番はみんなおっちゃんだけど)

ライトハウスの幹部メンバーは、仲は良いけど、リーダーシップとそれを支える人望がまだまだ発展途上だ。磨きをかける余地がものすご〜く残っている。

決してボクが創業者であることに甘えているわけではないけど、ボクならまわりが目を瞑ってくれることも、ボクの後を担う者にはまわりの目もキビシイだろう。とくに何か新しいチャレンジ、あるいは失敗に対しての風当たりは強いだろう。

ボクだったらこれまで失敗しても(さんざんしたけど)「すべて必然。これも勉強」で済ませたことが、下手をすると責任まで問われるだろう。

だから、後を担うトップや幹部は、ボクなんかより200%仕事ができて、500倍謙虚で驕らぬ人間性でなくては務まらないのだ。厳しいけど二代目以降の定めだ。

だけどちょっと待てと。

最初から立派で優秀なトップはいない。トップは本人の努力はもとより、まわりが育てていくものでもある。なにかチャレンジする時は、議論を尽くし、入念に仕込みをしたら、あとはアクセルを踏んでそれをみんなで支えたら良い。

何か重要なことをやる時は多数決なんか取ってはいけない。トップが決めることだ。

こんな小さな会社で、なんだか遺書みたいだけど、残ったメンバーの仕事は、新しいボスの「評価」でも「非難」でもない。むしろ自らが犠牲を払い、ボスを愛し、支え、足りないところを補わなくっちゃならない。ひとりひとりが「会社の創り手」だ。

部下育成の鬼になるもうひとつの理由。

ボクはこんなふうに考える。

お金がすべてではないけど、一方で、お金で解決できることも世の中にはたくさんある。何かの時に高度な医療が受けられる。何かの時に、人を物質的に援助できる。

心の満足だけでなく、歳を重ねるほどにスタッフが物心の両面で豊かになるにはどうしたらよいか、いつも考えている。

あくまで単純計算だけど、今スタッフが貰っている収入を倍にしようと思ったら、人数や経費をそれほど増やさずに、売上を倍にする必要がある(人数も経費も倍になったのでは何だかわからない)。もちろん品質を上げながら。

言い換えると、売上が微増微減のままでは、人件費にかけられるバジェットも微減微増。生涯賃金が上昇することは難しい。

その前提のもと、今例えば38歳のスタッフは10年後に48歳になり、20年後には58歳になる。

家族も増えるだろうし、生活の質を上げたい。若い時や社歴の浅い時代は仕方がないが、いつまでもルームメイトをさせたくない。

経営陣は今から(会社とベクトルを重ねてついてくる)メンバーの老後のことをしっかりと考えなくてはならない。

ひとつの目安として、足りない分は多少親の援助を仰いだり、共働きをしてでも、いったんの定年の60歳前までに、家なりコンドミニアムなり、持ち家の支払いをすべて済ませて、突出した実績と言わずともマジメに30年働いたら年金の積立が50万ドル以上、より重責を担ったものは実績に伴いさらに多く、その先の長い人生のための蓄えを作っておきたい。実際、ライトハウスでは、利益がろくに出ない頃から、本人と会社がいっしょになって積み立てに取り組んでいる。

アリとキリギリスではないけど、将来メンバーが物心両面で豊かな人生を送るためには、同じ努力、ふつうの頑張りでは理想に終わってしまう。

じゃあどうあるべきか。当然ながらボクらの体力は落ちていく。

今を100%とするなら、10年後には80%、20年後には60%に落ちて当然だ。ボクは昔の名前や実績を尊重してもそれだけでは食わせない。演歌歌手ではないのだ。

体力が落ちていく中で、2倍のパフォーマンスをあげるには、(38歳時点よりも、48歳であれば今の250%、58歳で333%)それ以外の部分で補わないと(成長を遂げないと)追いついていかない。

営業であれば企画提案力や、広告主に偏らない豊富な人脈。もっと言うと、潜在的な広告主が気づいていなかった事業(強み)を導き出し、結果として広告掲載に結びつけるくらいの知恵と実現力。メンバーには常識の殻を破って、世の中になかった価値を生み出してほしい。そして(自分自身に言っていることでもあるけど)利他の心で、徳を重ねることだと思う。

制作だったら、魂を揺さぶるような説得力のある技術と営業サポート力。同じスペースの大きさでも広告効果はまったく異なる。単に技術面だけではなく、生活者のハートに火をつける企画力、提案力、バランス感覚が求められる。これは記事のレイアウトも同様で、いかに記事ごとに興味を引き読ませ切るか。制作の腕によるところが大きい。若者の活字離れ、読者の高齢化、時代に則した微調整も求められる。

編集で言うと、同様にハートを揺さぶり、時にとろけさせるような熱い血の通った記事、読者の人生のリスクを避けて通すくらいの役立つ記事を作り続ける情熱とチカラを身につけなくてはならない。加えて、そっくり営業について書いたことも実践せねばならない。

並大抵のことじゃないけど、このメンバーなら必ずできると思っている。
長い時間の中で、糊しろ(残りの伸びる余地)によって、上下の入れ替えもあるだろうけど、個人のこだわりは捨てて優秀な者が上に立てば良い。ボク自身、ボクより優秀なリーダーが出てきたら、後ろに下がってあまり口出ししないでいようと思う。「優秀」とは技術や才覚ではない。人徳の持ち主だ。これはボクの通う稲盛さんの経営塾で学んだ。

話は戻るけど、そのためには、メンバー全員が日々脳味噌の汗をダボダボにかいて、常に「価値」を創造し続け、それを掛け合わせることで、かならず体力や時間の限界をはるかに超える価値や成果を生み出すことができる。

あとは観念的な心配はせず、ただ笑って自分たちの未来を信じたら良い。

と、いうことで、今は蹴られたらそのままへたりそうなボクだけど、出張から帰ったらいよいよ「育成の鬼」になろうと思っている。

みなのもの、くれぐれも覚悟しておくように。

01 31, 2008

48時間一本勝負

金曜日の夕方5時半。会食までは一時間余り。

オフィスに帰って仕事をするには中途半端なので、サンディエゴ出張の帰り道、コンセントの繋げるトーランスのホテルのロビーに寄ってこれを書いている。人待ち顔みたいな顔をして。

一昨日の夕方のキックオフ(ライトハウスの年始決起会)から怒濤のような48時間だった。

キックオフの夜はLAのメンバー全員で「牛角」でもりもり焼肉を食べて未来を語り、昨日は夜明けに家を出て、朝9時半からサンディエゴのオフィスでの打合せに参加。

そのまま9件の営業同行と挨拶まわりをして、夕方からスーパーの駐車場で日本の高畠と電話で打合せ。再来週からは日本出張が控えている。こっちも重要な会議や営業同行が盛りだくさんで楽しみだ。

経営者には、後方に控えて冷静に指揮を執るタイプと、前線で旗を振って引っ張るタイプがいるのだと思うが、ボクは生涯後者のスタイルで、世に必要とされる限り走り続けたい。歯磨きのチューブを使い切るみたいに。

話はもどって、その後、ライトハウス主催の「異業種交流会」に出席。受付の横で片山(副社長)や川嶋(編集長)と並んで、ふだん直接接点を持つことがないクライアントや関係者の方たちに挨拶する機会を得た。懐かしい顔にも会えてうれしい。初めて会う美しい女性から「ブログ楽しみにしています」と褒めてもらったりして、あまりアホなことは書くものではないと考えた。

乾杯の音頭では川嶋くんがやや緊張気味で微笑ましい。
一方、支店長の大野くんは慣れたもので厚かましい。

開会の挨拶でも宣言したけど、これからは情報発信だけでなく、サンディエゴのコミュニティに暮らす人と人をつなぐ交流イベントにもチカラを入れたい。

閉会後、1月からサンディエゴに単身赴任の滝井くんを引っ張り出し、焼鳥の「野球鳥」でサンディエゴに赴任してからの様子を聞く。

右も左もわからぬ町に赴任して2週間、すでに実質3件の年間契約を結んだ。彼のフットワークはボクも敵わない。たまにヒトの話を聞いてないけど、知識と成功体験を重ねて大化けしてほしいと願っている。

少しほろ酔い加減でホテルに帰り、昼間にマルカイで買っておいた籾殻(もみがら)の枕で朝まで熟睡。をしたかったのだけどなんだか興奮して午前2時に目覚める。

去年の秋ぐらいからだろうか。眠っている間も営業の数字やフォーメーション、エリア展開、はたまたエージェント業務のブラッシュアップなど、日中考え切れないことが浅い眠り中でもそのまま続いていて、どこで目が覚めてもアタマを捻っている(たまにアクション映画風の主人公で飛び跳ねているけど)。

「そうだ、この手があったか」

「このフォーメーションならいける!」

時には飛び起きて帳面を取る。カラダの方はけっこう参っているのだけど、頭が冴えて、気分も昂っているものだから再び眠りたくてもなかなか眠れない。
経営者として半人前くらいになってきたのかも。

やや寝不足気味の今朝は、8時20分にホテルのロビーにマネージャーが集まって今週の経営会議。用意したデカアンパンを配る。

制作部長の青木くんはスカイプでLAから参加。うちの幹部連中の人柄なのか笑いが絶えない。

一方で、第一四半期(1〜3月)の売上の到達状況(残りの数字)がパッと出て来なかったので、二度とないよう注文をつけた。目標を立てることより、「今この瞬間、あと何日の間に、どれだけの数字を追いかけなくてはならないか」常に把握しておくことが大切だ。営業だけでなく、今年はメンバー全員で共有して、みんなが答えられるくらいにしたい。もっとこのメンバー、この会社は進化できる。

会議の後はそのまま営業同行に走る。最後の同行(現地待ち合わせ)はカーナビがうまく機能しなくて、あろうことか人里を離れ、山に囲まれたメキシコの国境付近まで行ってしまった。いや空気がうまいこと。自然は良い。

やや尻切れとんぼのままハンドルを北へ。次は午後2時からアーバインで弁護士と大切なミーティング。にもかかわらず、1時間半を越えて説明を受けている間、何回か短い夢を見ては目が覚めた。最後に帳尻を合わせるようにベストスマイルでがっちり握手をしたけど、むこうの手にチカラはこもっていなかった。すまぬ、許してくれ。

そして。渋滞と眠気を蹴散らすように、カンツォーネ風に歌ってみたり、腿を抓(つね)りながらようやくこのホテルに辿り着いたというこの48時間。なかなか充実していた。

おっともう会食の時間だ。もうひと頑張り!

01 19, 2008

新年の抱負(メンバー編)

先週のライトハウスの社内勉強会は、年初にふさわしく、メンバー全員がそれぞれ新年の抱負を発表し合った。

タイムマネージメントに関するものが一番多く「24時間を有効活用して、編集や営業をバックアップする(制作)」「仕事の前倒しと精度の向上、3ヶ月先まで並行して進める(営業)」「スピードと集中力>インプットの時間、考える時間の捻出(幹部)」「朝型への切り替え、毎日12時間以内に仕事をやり遂げる(営業)」「計画的に実行する、後回しにしない(制作)」「面倒がらず、早め早めに働きかける(制作)」など。

「健康とコンディションづくり(制作)」に重きをおくメンバーもいた。良い仕事も健康あってだからね。

「注意散漫を改める(営業)」はぜひ改めて欲しい。
(それって抱負だっけ?)

「子づくり(総務)」もぜひ実現してほしい。

「いろんなことに貪欲にチャレンジしたい(インターン)」ガンバレ。

川嶋編集長の「できないとか、つまらないとか先入観を持たず、まず何事も受入れてトライする」は頼もしかった。誌面づくりに大いに反映させてほしい。

負けず劣らずチカラ強いのが、サンディエゴ版責任者の大野くん。

「これまでの“できない約束はしない”的なスタンス(堅実、あまり無理しない)を改め、強い意志と集中力を持って、自分で決めたことはやり抜く」

ちなみに、大野くんは今年サンディエゴ版で極めて高い営業目標を掲げた。彼が本性(?)を出したらボクも営業では敵わないと思っている。

「大野くん、がんばって!」ではなく、社をあげて達成したい。みんなのミッションだ。

01 13, 2008

地図と灯台をつくろう

年明けのスタートダッシュで忙しい中、編集長の川嶋と、メンバーの滝井や高鳥が一時にカゼをこじらせた。これ、ほぼ全員(本誌コラム「ロス日記」の執筆者)阿木先生宅での新年会の参加メンバー。

あの日のボクは、お世話になっている先生のお招きをカゼ如きで欠席するわけにもいかず、パーティの途中も15分おきに、手洗いに駆け込んでは鼻をかんだ。

たぶん感染の決定打は地下室でのカラオケ。空気がこもる個室で、背中から脂汗を流しながらみんなにむかって大音(声)量で熱唱した。

ごめん、みんなにウィルスシャワー。

次のシーズンは、みんなからカゼをもらって埋め合わせたい。

そんなカゼも一足先にすっかり良くなり、先週あたりから本来のペースで仕事に取り組んでいる。

年始の幹部会(ライトハウス)では、年末年始のカウンセリングの報告を受けた。

個別カウンセリングではつい課題や反省に話が集中しがちだけど、同じかそれ以上に大切なのが、「労(ねぎら)い、感謝し、期待を伝えること」だと思っている。経営の中でよく「評価」という言葉を使うけど、そのベースに本人への「感謝」と「信頼」があって初めて課題や未来に目が向くというものだろう。

上司への目はキビシイ。顔は笑っていても「この人(会社)は、私の大切な人生の一部を預けるに相応しいだろうか」そういう気持ちを必ず持って接していると思う。
(ボク自身はもちろん)幹部になるほどに、謙虚に、労を惜しまず気を使い、自分に厳しくあらねばならぬと思う。

同時に今年は、幹部を始め、メンバー全員にもう一段高い使命を持たせている。

この変化の激しい時代、不連続の時代に備えねばならないのは、ライバルの同業他社、あるいは多地域や異業種からの参入だけではない。メディア以外にも、インターネットもモバイルも、ウィーも、Uチューブも、それらのライフスタイルに革新をもたらすすべての要素がライバルだ。

移民法、アメリカ経済、日本経済の変化も直接、間接的に経営環境に影響をもたらす。オイルが上がると看板を下ろす店が出るのだ。

そんな中、海外在住者の24時間から、睡眠と仕事(家事、学業)、移動時間を除いた限られた時間の中、「必要」「習慣化」「期待」されて、ライトハウスが「生活の一部」であるためには、時代とともに変革せねばならぬものがある。また時代が変わっても残さなければならないものがある。

こんな難しい時代を乗り切るには、メンバー全員が己に厳しく、弛(たゆ)まぬ努力で自分を高め続け、全員のベクトルを重ね、リスクをものともせぬ「火の玉軍団」であらねばならないと思う。世の中に価値を提供し、心から必要とされる存在であることは言うまでもない。

余談だけど、長いモノサシで見たら、冷静に考えて日本が(かつては栄えた)アルゼンチンみたいに、あっという間に没落して世界に取り残されることだって十分に有り得る。

現実にこの日系社会で見ても、バブルまっただ中の80年代後半、ロサンゼルスの高層ビルの2/3は日本企業のもので、日本のビジネスマンがダウンタウンを勇ましく闊歩していた。高層ビルはおろか、リトル東京のシンボル的存在ニューオータニやウェラコートまでが売却された今の有り様を誰が想像しただろう。

サウスベイの日本語の看板の多くはハングル文字に付け替えられ、アジア移民の主役は中国や韓国に入れ替わった。彼らの逞しさ、ハングリーさに学ぶところは多い。

日本を日本の中から改革する努力も必要だろうけど、一方で、ガッツと才能ある個人(企業)が、世界中のどこだって活躍できる世の中への道筋をつけることも同じくらい重要だと思う。

「情報」や「教育」はそのために、生き方、生きる術(仕事)、生きる国の選択肢を増やし、回り道をすこしでもしないですむよう導くチカラがある。

ボクが生きているうちにどこまで辿り着けるかわからないけど、そのための「地図」と「灯台」を、ロサンゼルスから、サンディエゴから、次なる地域から、アメリカから、いつか世界に広げることに人生を費やしたいという想いに腹が固まってきた。

01 13, 2008

さらば抗生物質

医者にもらったカゼ薬がまだ半分くらい残っているけど、スタッフが日本からの土産にうまそうな紫蘇(シソ)焼酎と焼き蛤(はまぐり)をくれた。

紫蘇焼酎と焼き蛤なんていかにも運命の巡り合わせという感じで惹かれてしまう。

両尻に注射を射ったうえにいつまでも薬を飲んでいる人生もいかがなものかと思い、ひとまずは真っすぐな気持ちで晩酌を楽しむことにした。

小粒な焼き蛤が香ばしい。紫蘇焼酎の香りが悩ましい。

うまくいったこと、ひとまず安心したこと、思い通りにいかなかったこと、伝え切れなかったこと、結末が知れず心配なままのこと、ガッカリしたこと、今日もいろんなことがバランスよくあった。うまくいき過ぎるとつい慢心したり人の痛みを忘れてしまうから、ちょっと残念なことが多いくらいの一日に良い点数をあげると良いと思う。

ひとまず。

カゼでふうふういってるメンバーもいるけど、なによりみんな無事だった。ふつうと思っていることはふつうじゃない。ふつうの日常こそが一番のシアワセだ。

01 07, 2008

原理原則2

まだカゼが抜けてはいないのだけど、注射が良く効いたようで、週末は寝巻きにガウン姿で書斎にこもり、重要な仕事をずいぶん片付けることができた。

となりに息子を置いて、補習校の冬休みの宿題(算数)を完成させられたのも収穫。問題ごとに例題をつくってやらせたので多少おさらいにはなったはず。

突然。仕事、というか決断のスピードが格段に速くなった気がする。

年初の「今年の抱負」でも書いたけど、物事を原理原則の眼鏡で観ると、複雑に見えることが実はすごく単純。

ぼんやりアタマではわかっていたけど、言い換えればこれまで単純なことをとても複雑に考えていたことがよくわかる。

それは、直接間接のそれまでの恩義であったり、功労であったり、その人間の精神状態や家庭環境であったり。

相手の台所事情やつき合いの長さ(深さ)が判断や決断を鈍らせたり、遅らせてしまうこともある。情に流される。

もっとマズいのは、無意識に自分の私利私欲や事情、あるいは別個のところの借りや負い目がゴッチャになって話が複雑になっていることがある。

原理原則のジャッジをすることで、その場が気まずくなったり、嫌われたり、人の心が離れたり、人間関係が途切れてしまうこともあるだろう。少なくともその場は。

誰も嫌われたくない。恨まれたくもない。関係が切れるのはイヤだ。

だけど。

だけれども、少なくとも経営者の部分の自分は、決してそれを恐れてはいけないと思えるようになってきた。

第三者が見ておかしくないか、私心はないか、人として正しいか、その三つくらいが適っていたら組織はおかしな方にはいかない。原理原則で考える。「大善」で考える。

それで人に嫌われてしまっても、あるいは疎遠になってもそれは「必然」なのだ。

決して、非情になるということではない。

「小善」ではなく、「大善」で物事を考えられるよう自分を磨くということだ。

そういえば、LCEでいっしょに代表を務める高畠は、出会ったときから一貫して原理原則で物事を考える。時に融通が利かないと思ったこともあるけど改めて一本筋が通っていると思った。

01 07, 2008

原理原則

昨日に続いて二本目の注射をお尻に射ってもらって帰宅した。
医者との世間話の流れが自然と広告営業に結びつけるのは性か。

三ヶ日も明けて今日あたりから日系の多くの会社は始まっているようだ。
ボク自身は大晦日に紅白を見て、元旦は親父と家族でお節(せち)をいただき、本願寺に初詣をして、百人一首もして、実に伝統的な日本の正月を過ごすことができた。

そんな合間、「ココロの背骨矯正」に稲盛和夫氏の「生き方」(サンマーク出版)を読み直し、改めて今年は哲学を持って、原理原則にそって生きようと誓った。

少し抜粋しよう。


「(創業時)いったい、どうしたらいいのだろう。私は悩みました。そしてその末に行き着いたのは、「原理原則」ということでした。すなわち「人間として何が正しいか」というきわめてシンプルな判断基準をおき、それに従って、正しいことを正しいままに貫いていこうと考えたのです。

嘘をつくな、正直であれ、欲張るな、人に迷惑をかけるな、人には親切にせよ、、、そういう子どものころ親や先生から教わったような人間として守るべき当然のルール、人生を生きるうえで先験的に知っているような、「当たり前」の規範に従って経営も行っていけばいい。

人間として正しいか正しくないか、よいことか悪いことか、やっていいことかいけないことか。そういう人間を律する道徳や倫理を、そのまま経営の判断基準にしよう」


『事業の原理原則』はどこにあるか。会社の利益やメンツにあるのではない。それは社会や人の役に立つことにある。利用者にすぐれた製品やサービス(ライトハウスにとって読者や広告主。LCEにとって学生や経営者)を提供することが企業経営の根幹であり、原理原則であるべきだ」


「自分たちの利益でなく他者の利益を第一義とする―その原理原則を貫いたことが、成功への道をつないだのです」

読み返しては我が身を振り返る。
追いかけても、追いかけても、今、ボクのやっている経営は遠く及ばない。
すぐにブレそうになるし、自問自答の日々だ。

今、そして将来、自分の中で原理原則にそっているか悩むだろうことがある。

例えば、「その男に惚れ込んで」が出発点でも、結果として同じ業界から優秀な人材をヘッドハンティングしている自分がいる。

社内を見渡しても、今まさに頭角を現しつつある期待のメンバーに、引き抜きではないにせよ同業他社からの出身者が少なくない。みな家族のような存在だ。

近年は加速度的に、全米の同業他社から直接間接に、伸び盛りの意識の高い若者がライトハウスでチャレンジしたいと手を挙げてくれる。彼らと、哲学や視界が共有できたらボクは採用する。その中には顔を知った経営者のメンバーもいる。

もちろん、逆に他社(日系米系とも)に引き抜かれたこともあった。引き抜かれたメンバーが動いて、引抜き先の会社と提携するという不思議な体験もした。

経営に携わる限り、この先もそういうことの連続だろう。

自分が引き抜きされる側のときは常に割り切って拍手で送り出してきた。

それでも相手の経営者の心中を思うと、その点についてだけは自分のとった行動が原理原則に果たして則していたのか苦悩する。

自問自答の中でおぼろげに思うのは、きっとその時にその答えがでるものではなく、「(本人が)ライトハウスで、過去とは比較にならないスケールの活躍と成果を収め、前職ではなし得なかったくらい社会や人に役立つこと」「本人や家族、彼らの親御さん、友人知人が心から良かったねと思えるよう物心ともに本人が幸せになること」であり「そうなれるように本人が頑張り、会社が徹底的に育てること」しかない。

01 04, 2008

医者という仕事

年末にもらったカゼがひつこいので昨日の夕方に医者に行ったら「どうしてここまで放っておいた。体育会系のヒトはこれだから困る」と叱られた。

そんなことでまわりに移さぬようおとなしく自宅で仕事している。

新年の出社2日目。

バツが悪い。

最後に注射を打ってもらったのは数年前の出張中の名古屋。体調不良を無視していたらとうとうひっくり返ってしまい、リクルートのある栄の日土地ビルのクリニックに転がり込んだ。

「昼には重要な会食が大阪であって、その後に京都でプレゼン、夜には会食が東京であります。全部すごく重要なんでなんとかしてください」と頼んだら、呆れながらも注射と点滴と座薬の3点セットで瞬時に復活させてくれた。事情を察して、必殺(殺されたら困る)技で助けてくれた医者に心底感謝と感心をしたものだ。

感謝と言えば、昨日看てもらった水田先生の言葉は沁みた。

「経営も人生もすべて健康あってです。健康がベースです。健康を損なっては何にもなりません。どうか経営に邁進するためにもカラダを大切に考えてください」

一日で多い時には70人の患者を診るという忙しい医者が30分以上も熱心にボクに諭してくれた。目に余ったようだけど、気持ちが温(ぬく)かった。

正直なかなかそういうわけにもいかないと思ったけど、一方で医者という仕事は、こういう人を思いやる人間性とかコミュニケーション力がどれほど大切か改めて感じた。

良い医者に出会えて良かった。

01 04, 2008

サンキュー紅白

新年あけましておめでとうございます!

紅白歌合戦、見ましたか。

仕事だから週刊誌を始めとするマスコミ連中も仕方がないのだろうけど、毎年紅白について「視聴率歴代ワースト云々」とか「苦し紛れの人選云々」、「打ち切り必至」「時代の役割が終わった」等々、批判記事が巷にあふれる。

一方で紅白の番組を作るために、表舞台の何倍もの裏方の人たちがそれまでにもその間にも、気を使い、知恵を絞り、頭を下げて奔走して、本当に身を削るような思いで番組を作っているにちがいない。

まして志向も娯楽もこれだけ多様化した時代に、子どもからお年寄りまで幅広い層に、毎回合格点をもらうなんて並大抵のことではない。

もちろんスタッフや幹部の中にはろくでもないのも混じっているだろう。ただそれはどこの組織でも同じ。その多くは、視聴者を喜ばせたい一心で汗を流しているのだ。

そろそろ日本の(その種の)マスコミも、重箱のすみを突ついたり、読んで人の心がザラつくような記事を控えてはどうかと思う。高みの見物で底意地の悪い記事を吐くばかりの批評家やマスコミは醜いものだ。今では生活者の目が肥えてきたから、かえってそのメディアそのものの評価を下げる。また、これを言ってはおしまいだけど、あなたが人の心を揺さぶるものを作ってみろ。と思う。

カローラが退屈だの格好がどうのと批判するのはサルでもできるけど、カローラを作るのはその100兆倍難しく、そして尊いのだ。それはカローラであっても、野菜であっても、モノやヒトを運ぶ仕事、料理を供する仕事であっても同じだと思う。

話を紅白に戻すけど、とりわけ海外に暮らす日本人はどれほどたくさんの人たちが「紅白」を楽しみにしているだろう。

楽しかったこと、しょっぱかったこと、その時代の想い出と重なる曲がある。その時代をともに生きたアーティストがいる。口ずさめる歌がある。これってすごいことだと思う。

復活した徳永英明やワルそうな米米クラブ、やっぱり「津軽海峡」の石川さゆり、男前のSMAP、兄弟舟のおっちゃん、初めて生(映像)で見たこぶくろ。歌詞をよく読むとおっかない女の情念、あみんの「待つわ」。

曲とともに人の顔や出来事が甦ってうれしくなった。
当たり前みたいだけど実はすごくありがたい。

また、おじさんにはみんな同じ顔に見えてしまう大量女性ユニットについては大きなお世話だけどギャラを頭割りするのか考えた。待合室とかレッスンとか用意される弁当の支払いもどうするのだろう。5個までは無料支給とか。

美空ひばりと小椋けいのCGを駆使したデュエット「愛燦々(あいさんさん)」には口ずさみながら不覚にも涙してしまった。

NHKの思惑にまんまとハマってしまった。

だけどそれが紅白なのだ。サンキュー紅白。

01 02, 2008