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込山洋一

タバコと人ごみの中で

今日は晴天の土曜日。

四日市のカミサンの実家から書いている。

一昨日の木曜日の夕方日本入りして、昨日は終日東京で仕事。

朝5時に起きて、帝国ホテルの15階の部屋から人通りもまばらな明け方の景色を眺めながらアポイントの予習やメールのチェックをする。

一段落したところで、冷水のシャワーを浴びてスーツに着替え、そのまま待ち合わせの品川へタクシーで向かう。

いったんスーツケースを預けるために駅のコインロッカーを探すも、朝の品川駅の津波のような人ごみになかなか前に進めない。

酔っぱらいか、大きな奇声をあげて転がる30歳前後の男性に、行き交う人は侮蔑の視線を一瞬投げると無表情にもどり四方に流れていく。

東京の出張でいつも感じるのだけど、朝の駅や電車には、人々のザラザラやイライラが充満しているようだ。うっかりすると「気」を吸い取られそうになる。

お年寄りや重い荷物の女性を助ける人も少ない。どこにも笑顔が見当たらない。週末だとそうでもないんだけどね。

午前中の2本のアポイントを終え、午後のアポイントの待ち合わせ場所JRの渋谷駅には1時間くらい早く着いた。

ノートブックを使いたくて、座れる場所を探してウロウロ駅のまわりを行ったり来たりしてやっとの思いで東口のコーヒーショップに見つけた。

改札口の前にあるカウンターだけの狭い店内で、ガラスではなく壁紙にむかって腰掛ける。幅がわずか30センチ。

気をつけないと、隣の人に肘が当たるくらい左右のゆとりもない。
そんな店内に、左右も背後もギッシリ客で埋まる。

ようやく空いたイスを見つけてノートブックを開くと、

「プシュッ」

ライターの音とともに左からタバコの煙。

強引にニオイが鼻を突く。
カンベンしてほしいけど文句も言えない。

「プシュッ」

そのとなりからも。

「プシュッ」

今度は右隣。

と、見渡したら、タタミ2畳ほどのスペースの真ん中で、ボクを囲むように6人がいっせいにタバコを吸っているではないか。囲碁みたい。

頭はクラクラ、肺はキリキリ。

とうとう気分が悪くなって、ノートブックをたたんで足早に店を後にした。

ボクも何年か前まで吸っていたほうだから、今更ながらそういう無神経を繰り返していたであろうことを反省する。仲間と飲んでいる時にとなりで吸っても気にならないんだけどね。

そう言えば、JRの新幹線も4月から全席禁煙になるらしい。
喫煙者の方には申し訳ないけど、席が取れなくてやむを得ずに喫煙車両に乗る人もいることを考えると良いことだと思う。家族連れなど本当に気の毒だもの。

国際線の飛行機はずっと前に「全面禁煙」が導入されたけど、それ以前はいい加減な時代もあった。

その昔、ボクはスモーカーであった時代でも乗り物に乗る時には禁煙席を指定した。

あるエアラインのビジネスクラスで出張した時、後ろのあたりからタバコの煙が流れてきた。

不思議に思い、立ち上がって振り返ると、すぐ後ろの席でボクよりひとまわり以上も年配のネクタイの男がプカプカやっている。

「ここは禁煙席だからタバコを控えてもらえませんか」

顔をつぶさぬように丁寧に言ったつもりだ。
もちろん腹ではいい大人がいい加減にしろと思っていたけど顔には出さない。

そしたら、心外な顔をして「なんで吸っちゃイカンのだ」ときた。

みるみるアタマに血が昇ってくるのがわかった。
若かったから、ネクタイの顔面にダブルパンチを埋めるシーンがアタマを過(よぎ)った。

と、様子に気づいた客室乗務員が飛んで来て、

「たいへん申し訳ありません!この席から後ろは喫煙席なんです」
と平謝り。

そりゃないだろ。

一瞬、耳を疑ったけど、我に返ってネクタイにアタマを下げた。
こっちが悪いわけじゃないけど、そのままバターになって融けてしまいたかった。いや、その後の居心地の悪かったこと。

話は渋谷にもどる。

LCEのパートナーの高畠と合流。
人の多さに圧倒されつつも、お客さんとのミーティングでは建設的な話し合いができて充実。まだタバコでキリキリ痛む肺のあたりを撫でながら、高田馬場の早稲田大学へむかう。山手線を乗り継ぎ、路線バスで学生の多い街を走る。

この日はなんと受験日で、夕方にボクらがミーティングを終えたタイミングぴったりに、試験を終えた夥(おびただ)しい数の受験生がいっせいに建物からはき出された。時速1キロ。ここでもしばらく受験生にモミクチャになりながら、ようやく大通りに出てタクシーに飛び込んだ。人ごみを泳ぎ切った感じ。

が、健闘空しく、夕方の渋滞に巻き込まれ、とても荷物を置いた品川には辿り着けそうにない。作戦変更で最寄り駅に向かってもらう。いやはや。

こういう日常を東京の人たちは毎日過ごしているのだから頭が下がる。

出張初日、久しぶりに東京の人の多さに揉まれた一日だった。
明後日からはしっかり東京モードで走りたい。

02 25, 2007

生き様で伝えたいこと

日本に到着まであと2時間の機内から。

今朝もいつものように朝6時に起きて、そのままプールでひと泳ぎして、朝食をとって、息子とハグをして、娘を学校に送ってそのまま会社に行った。

パロスバーデスの丘を海に向かってくだる道、フロントガラスに広がる海は毎日ちがう表情で迎えてくれる。今朝は穏やかだけど寂しげな濃紺だった。

学校に着くと、娘が教室に入って見えなくなるまで見送る。
娘はたいてい3回くらい振り返る。

いつもと同じリズム。

だけど、出張の朝はしばらく家族と離れるさみしさに包まれる。
こんなに年中家を空けているのに毎回出発の朝は辛い。

ボクは子どもたちが起きている時間に帰宅できた夜は、必ず寝る前のベッドにおやすみを言いに行く。眠っている夜は忍び足で枕元に行って、しばらく寝顔を眺める。頭を撫でてつい起こしてしまうこともある。

14歳と12歳になってもおんぶや肩車でベッドに運ぶことがある。

こんなに大きくなってと思う一方で喜んでいる。親バカ。

いっしょにキャッチボールをしたり、風呂に入ったり、食事をしたりできるのも、実は永遠じゃない。いつか彼らは親離れをして、彼らの家族を作り、彼らの人生を歩んで行く。親子の濃密な時間は永遠のように錯覚するけど有限だ。

だから、どんなにくたびれていても、子どもたちが必要としてくれたことはいっしょにやるようにしている。宿題だってサッカーだって。

そう言えば、ボクはカワイくない子どもだったと思う。

決して甘えないし、両親とスキンシップを持った記憶がない。

白黒の写真に、父に肩車される赤ん坊のボクがいるくらいで、独立心が強かったから、小さい頃から遠くへ、知らない世界へ飛び出したい子どもだった。

(結果的に離婚したけど)小学校の3年生の時に父親がリストラにあって以降、両親の中がギクシャクしてしまい、重たい空気の中でいるより、外の未知の世界のほうがうんと楽しかったのもある。

話はもどる。

ベッドで子どもたちが眠りに入る前の数分おしゃべりをする。

今日あったことや仕事の話。出張先でのドジやビックリしたこと。面白かったこと。

夢の話や大切にしてほしいこと。

「もしもイジメられている友だちや、困っている友だちがいたら、例え全員を敵に回しても、その人を守ってあげられる人、力になれる人になるんだぞ。弱い人にこそやさしくなれよ。そのためには心が強い人にならんとイカン」

彼らには耳にタコができるくらい言ってきたけどそういう人間であってほしい。

世の中じゃなく、自分のモノサシで生きる。群れない、迎合しない。

そういうことが一番大切だと信じている。

ボクがいつもいっぱいいっぱいのところで踏ん張って生きているのも、ある意味では彼らに恥ずかしくない生き様をしたいからかもしれない。

今回も日本で大暴れしたい。

02 22, 2007

カンザスの空から

ニューヨークからの帰りの機中から書いている。
今はカンザス州の上空付近。

ボストンからニューヨーク入りしたのが水曜日の夕方。
到着してから、空港を発つギリギリ直前まで、とにかく人に会い続けた。
会ってまっすぐに思いを伝える。変化球はナシ。

おかげで、今回ボストン、ニューヨークで発行する主要日本語メディア4社の社長と会って、お互いを知り、理想的な関係を築く下地ができた。

みなさん、タイプはまったくちがうけど、魅力的で、うちに秘める情熱を感じた。
仕事を超えても、つきあっていきたい人たちに出会えたことも大きな収穫だ。

また日経新聞の米国本社社長の長谷川さんや副社長の西山さん、ジョブフェア最大手ディスコの責任者の秋山さん、投資ファンド会社の社長大島さんとの情報交換で東海岸での事業イメージがうんとリアルになった。宿題もいっぱい持ち帰る。

来週の日本での役員会が楽しみだ。

それにしても、日中の最高気温でも氷点下というニューヨークの寒かったこと。

そしてまぁ歩いた歩いた。

高層ビルが縁どる四角い空の下を、地図を片手にビルからビルへと歩きまくった。車社会のロサンゼルスでは考えられない。

路面は融けた雪が凍ってスケートリンク化。油断すると転けそうになるから気が抜けないし、横断歩道はどこも泥と雪がぐちゃぐちゃに融けて、足の運びに四苦八苦。

遠くへの移動でタクシーを使おうとするとこれがなかなかつかまらない。
やっと乗車できても渋滞でなかなか前に進まない。いやはやしびれた。

負けてはならんと、ウォール街から51丁目の移動に地下鉄にチャレンジ。

これまでにも乗ったことはあるけど、その時は現地の人といっしょ。
自分では乗り方をよくわかっていない。

今はだいぶ不自由が無くなったけど、田舎育ちのボクは東京や大都市の公共交通機関にヨワイ。四国にそんな複雑な交通機関はないからね。

今でも、東京の路線や料金が複雑に表示してある販売機の前で狼狽(うろた)えていると、後ろから舌打ちや咳払いが聞こえてきてさらにアセル。

そんなことで今回は、切符の買い方から、目的地に行き方まで駅員さんに詳しく聞いてやっとの思いで乗り込んだ。田舎モンのNY地下鉄デビューだ。

表示に沿って目的の路線にたどり着き、待つこと数分。やっとの思いで乗車できた。
同じ田舎モンの片山が「社長、やりますねえ。ニューヨーカーですね」と感心する。

「そう、ワシもニューヨーカー」と心でガッツポーズ。

「これからは地下鉄の時代だよ、公共交通機関を使いこなせずして何が出張か」

しばらくすると地下鉄が地上に出てきた。

空がやたら広い。
郊外ののどかな風景。青空が目にしみる。

ありえない。

こんなマンハッタンない。

まわりに聞いたら反対方向の電車に乗ったらしい。もうすぐ空港だって。

次のアポイントはどう考えても間に合わない。
どうにもならないし、青空を見上げて深呼吸した。

不自由もあったけど、楽しい食事もできた。

昨夜は、某社の社長と、「和の鉄人」で有名な森本シェフのお店「MORIMOTO」のおまかせ料理を堪能した。

出てくる料理すべてが斬新かつ美味しくて、日中のてんてこ舞いも忘れた。

広い店内は300坪を超える。
洗練を極めたインテリアはどんなシャレた店も霞みそう。

そしてナント、一日に500人の予約が入ると言う。平均単価は200ドル近いだろうから、年間で40ミリオン(50億円近く)にもなると勝手にソロバンをはじく。いや、スバラシイ。パチパチ。

実は森本さんには以前にアメリカンドリーマーの特集で取材に協力してもらった。
それが縁で、片山が親しくしてもらっていて、テーブルまでわざわざ挨拶に来てくれたものだからゲストも大いに喜んでくれた。ありがたい。

森本さんは料理人というよりクリエーターという印象。
ここに至るまではご苦労の連続だったろう。

日本からももっともっと後に続く若者が出て来てほしい。

その後はタイムズスクエアの向かいのマンションの30階にある社長の自宅に招かれ、マンハッタンの一級の夜景を見下ろしながら、奥さんの温かいもてなしを受けた。

眩(まばゆ)いばかりのマンハッタンの夜景も素晴らしかったけど、大切なパートナーを紹介してくれたことがうれしかった。

いや今回もまたシアワセで充実した出張だった。

ミュージカルを見れなかったのが心残り。
次回は本場ブロードウェイの「ママミア」を見てみたい。

そう、この出張で火の玉の活躍をしてくれた片山と西川は一日残る。
今頃ミュージカルの「ターザン」を鑑賞している頃か。後半戦は疲労困憊のはずなのに、決して笑顔を絶やさずおつかれさま。ありがとう。
そして留守を守ってくれたメンバーもありがとう。みんなのおかげです。

明日はさっそく日本からの来客とのミーティングが待っている。

4泊したら日本出張だ。

こうしてハードな毎日だけど不思議なことにそれほど疲れない。
むしろ、ハードになるほどチカラが湧きあがってくる。

走り幅跳びの助走はこのくらいにして、これからが人生の本番だ。
もういい加減、ジャンプしたい。
世の中に必要とされる人になりたい。ホンモノになりたい。

ボクは油断するとすぐに邪心や私心が顔をのぞかせる。
ユウワクにもヨワイ。自分に甘い。

だけど、打ち克ちたい自分がいる。

「動機善なりや、私心なかりしか」

いつかホンモノになりたい。

02 18, 2007

アムトラックから

ボストンからニューヨークに向かうアムトラックから書いている。
実は午後の飛行機で移動する予定だったのだけど、吹雪で欠航の可能性があったので朝イチでアムトラックのチケットを現地の旅行社に押さえてもらったのだ。

ボストンでは吹雪でも、道を傷めるという理由で、車にチェーンを装着してはならない。だから、吹雪いて道が凍るとそこここで事故が起きて渋滞になるという。ホンマかいな。

そんなことで、ホテルの近所の駅からアムトラックの駅へは、確実な路面電車を利用。

吹雪の道を駅までナナメになって歩く。

防寒帽や手袋をつけても、クビや手首に冷たい空気が突き刺さる。
グシュグシュの雪道や階段を、重いスーツケースを担いで歩くのはまるで天然のジム。図らずも良い運動になる。エッサエッサ。

ちょっとした冒険をしているようで楽しい。
サウスステーションで食べたクラムチャウダーもアサリがしっかり入ってうまかったし。さすが名物。

吹雪の中をアムトラックは走る。やっぱり列車は悪天候に強い。
両脇に広がる冬枯れの森を抜け、時々大西洋に流れる川や見知らぬ町を横切っていく。

車内には、大きなテーブルとコンセントがあるので、まとめてメールの返事を書くこともできて大助かり。車窓を楽しんではPCに向かう。

隣では、ボクより2日早くボストンに入った西川が居眠りを始めた。
彼女は日曜日の到着から現地メディアのトップと会って提携の下交渉や、ハーバードを始め現地留学生からのヒアリングや調査、夜は夜で2時、3時までスカイプで日本と遠隔会議をしてロクに睡眠時間を取っていない。アムトラックに乗ってからもノートブックに向かって、出張のレポートや広告のプルーフをやっていた。
こういうメンバーがライトハウスを支えてくれている。感謝。

そう、ボストンでの話をしよう。

昨日の夕方、ボストンに着いたその足で、現地の日本語情報誌Jタウンを訪ねた。
社長の瀧波さんやスタッフの方と、情報交換や、詳しい内容は書けないけどライトハウスとの業務提携について話し合った。みなさん、人間がまっすぐで明るい。そして温かい。

生意気ながら、ライトハウスが18年かけて培った編集や営業、回収のノウハウを惜しみなく提供させてもらう。

スタッフからは日々現場で起きている問題やトラブルの解決策についてバシバシ質問が飛んでくる。

こちらも真剣勝負で100マイルの球で応える。

こういう熱を持っている情報誌はきっと伸びる。
チカラになってほしいし、チカラになりたい。

おかげで、昨晩は飲み過ぎた。(また反省)
無理矢理頭をスッキリさせるために冷水のシャワーを頭からジャブジャブ浴びた。

寝不足と二日酔いを封じ込めて、ホテルを訪ねてくれた瀧波さんとミーティングの続き。

実は午後の移動を飛行機からアムトラックに切り換えたのも瀧波さんのアドバイス。さっき電話で聞いたら飛行機のダイヤが乱れているらしいから助かった。

ミーティングはかなり深い話ができた。
提携の話も基本合意。ここから各論を詰めていく。

続いて午前10時からは、ボストンのもうひとつの情報誌「タカラマガジン」の編集長の中島寧子さんとミーティング。「寧子」と書いて「やすこ」と読む。元々は本屋さんの駐在員でアメリカに来たのだそうだ。聡明にして温かい。

昨日から改めて感じるけど、人の数だけ歩んで来た人生の物語がある。

ちがう時に、ちがう町で生まれて、まったくちがう経験を積んで、それがある日、ある土地で、たぶん何兆分の一の確率でお互いの人生が交差して、そこで同じ夢や視界を共有する。まったくちがう人格同士が、同じ価値観を共有できる瞬間。

なんか人生って良いよなあと旅の空の下で想う。

もっと、さらに、思い切り。「人」と愛を持って向き合おうと想う。

02 14, 2007

窓にオデコをあてて

前の章では一人前に、飛行機や空港の善し悪しを書いてしまったけど、飛行機に初めて乗ったのは1986年8月、20歳の時だった。当時、運輸省航海訓練所の実習生として、一年間の航海実習を終え、羽田から実家のある高松へ飛ぶ国内線が最初であった。

飛行機の窓にオデコをピッタリあてて考えた。
土方のバイトを一日やって5000円。片道20000万円を超えるなんて、何て贅沢なことだろう。初めて空に浮かぶのに、景色よりカネが気になった。

それまでは国内はもちろん、ハワイに行ったのも、ロングビーチに入ったのも、タヒチに寄ったのも、遠いところはみんな船だった。

その次に乗ったのは、それからわずか一ヶ月あまり後の10月1日。

アメリカに行くために、再び東京へ飛ぶ飛行機だった。

5年半の商船学校時代をともにした中条、中村、池田、植松らが、小雨の高松空港に見送りに来てくれた。別れ際、いつもバカ話しかしないのに、神妙に励まされたり、心配してくれたもんだから、鼻の奥が熱くなって、そのままムズカシイ顔でその場を後にした。小さい空港なので、屋上で手を振ってくれているのが見える。ヤツらはボクが見えている訳ではないのに、およその見当をつけてずっと手を振ってくれている。飛行機の窓にオデコをあてて声を殺して泣いた。

成田には、大阪や名古屋から、西川さん(先輩)と浅倉が駆けつけてくれた。プレゼントのラグビーボールに記された仲間からの寄せ書きにまたまた泣かされた。

あれから20年。みんな何も持たずに社会に放り出されて、気がついたら、背中に背負うものや守るものがうんと増えた。世代の真ん中で責任ばかり重くなる。きっと自分のことで頭を下げることなんてそうないだろう。これから20年はさらに責任が重くなる。世の中の大黒柱になる時代だ。

今になってわかる。

20年前の自分はアメリカに渡ることで頭がいっぱいだったけど、社会に出るのはみんな同じで、それぞれが自分の未来に対して不安だったはずだ。

だけどボクは自分のことばっかりで、ちっとも仲間を思いやったり、応援する気持ちも持てなかった。あまりにも未熟だった。

ひとりで生きてくような顔をしてたけど、実はみんなの思いやりの中で生きてこれたのだ。

少しは進歩したのだろうか。

今も、いや、学生時代以上に、彼らとは絆が強い。

数年に一回しか会えないけど、ずっと隣にいたみたいに自然と話せる。

悩みや失敗を隠さないし、見栄を張る必要もない。

もしも、

バッサリ禿げても、お腹が天を突いても、リストラにあっても、大失敗して大借金してそいつが世の中に見放されても何にも変わらない。オレたちは仲間だ。

窓にオデコをあてる。

いつの間にか雪をかぶった森の上を飛んでいる。ボストンは近い。

02 14, 2007

ジェットブルー

ロサンゼルスからボストンへ向かうジェットブルーの機内で書いている。

コロラド州、ニューメキシコ州、カンザス州、オクラホマ州の境界線がちょうどぶつかり合うあたり。窓から視線を落とすと、州境を示す重厚なフェンスが縦横に走る(ごめんなさい、そんなのありません)。

年中出張で飛び回っている住友電工の川口さんに勧められて以来、米国内の出張は、できるだけジェットブルーを使っている。

いろいろな理由があるのだけど、まず空港がロサンゼルス国際空港(LAX)ではなく、ロングビーチ空港であることは大きい。

どちらも自宅からは同じような距離だけど、LAXは広すぎてパーキングから遠い。一番近い空港内のパーキングは一泊約30ドル、空港外だと10数ドルでもあるけどシャトルに乗らねばならない。これが面倒くさい。

ロングビーチ空港はこじんまりしているので、(パーキングは近いところから15ドル、12ドル、9ドルから選べるのだけど)9ドルのエリアでも距離は知れている。

さらに大きな理由はチェックインのスピード。手際の良さと言ってもよい。

先週は目的地の関係で、仕方なくユナイテッドで出張をしたのだけど、どこに並ぶかわかりにくい、順番待ちのラインが長い、処理がやたら遅い、の三拍子。

さらに手荷物検査でも、長〜い行列が待っていて、やっと順番が来たと思ったら、土産の焼酎「刀」を没収された。そう、液体は手荷物で持ち込めないのだった。これはウカツ。そこからさらに標識に沿ってひたすら歩く。

もう飛行機が発つ前にヨレヨレになりそうだ。

それが今朝。

毎度、ジェットブルーは(職員の態度はどっちもどっちでガサツだけど)スピーディ。

資料や土産でいっぱいの、大きなスーツケースがあったのだけど、建物の前のカウンターで、量りに載せたら、いっしょにボーディングパスが発行された。

その間わずか1分間。
あんまりカンタンなのでもう一度確認したら、それで手続きはすべておしまい。

以前よりさらに早くなっている。

ちなみ、そこに並んでいたのはボクの前にひとりだけだった。

また良くも悪くも、ロングビーチ空港は手荷物チェックもピリピリしていない。
まぁ、確かにテロが狙うとしたら、せいぜい517番目くらいだと思う。田舎空港だし。

あっさり検査を通過すると、すぐそこがハイ、搭乗口。

LAXと、空港施設に入ってから搭乗口に着くまでの時間を競ったら30分近く差がつくのではないか。それって時間だけじゃなく、ストレスもずいぶんちがう。

空港施設こそプレハブで簡素だけど、カーペットはキレイでよちよち赤ん坊が這っていたりする。なんか落ち着くんだなあ。

飛行機自体新しく、ビジネスクラスがない分、全席広めで個人テレビが装備。
せいぜい5、6時間の国内移動であれば十分快適だ。

予約は、片道からカンタンにオンラインでできる。
次回の出張や旅行にぜひ試してください。
(ジェットブルーから広告料をもらわなくちゃ)

個人テレビに目をやると、まもなくイリノイ州に入るところまで来ている。

午前5時前に起きて6時間経つのに、まったく疲れを感じないのは、ロングビーチ空港とジェットブルーのおかげによるところが大きそうだ。感謝。

www.jetblue.com

02 14, 2007

時代はまわる

昨日の土曜日の午後。

「コミヤマ、今朝は一番ハードに働いたんだって!ウッドロックが言ってたぜ」

息子の野球の練習に行ったら、監督のジャックが開口一番そう言ってボクの肩を叩いた。

そう、この日の午前中は3月3日のリトルリーグ開幕の準備で、朝早くからボランティアのお父さんが集まって、グランドやバッティングケージの整備、スタンドの清掃、草刈り、ゴミ拾いをして、もう見違えるくらいにピカピカにしたのだ。

この準備は、昔のチームメイトで、今は他チームの監督のウッドロックがリーダーを務めた。

ボクはその中でもとりわけハードな、(ダンプカーで運んだグランドの外の)土を一輪車でインフィールドに運び込む仕事を買って出た。

力持ちのボクは、他のお父さんが抱えられないくらいに土を盛り、誰よりも高速で運ぶ。ヘトヘトになるお父さんたちをよそに、決してペースは落ちない、落とさない。

そう、ボクはジムに来ているつもりなのだ。

大量の土を積んで両手で一輪車を押すのは、他でもない実にバランスの取れた全身運動なのだ。両手、手首、両腕、肩、背筋、腹筋、両足、あますところなく躍動する。

「一時間600kcal消費×3時間(目標1800kcal)」

やってみせる、燃やしてみせます体脂肪。

「アニマル」

へたったお父さんの口からもれる。

そう、学生時代から、ボクは動物とか、牛に例えられた。
とくにラグビーをするボクをみながウシに例えた。いいんだけど。

リトルリーグのグランドが終わっても体力が余っているので、トラックの荷台に腰掛けて、ファーム(幼児/初心者用)のフィールドにも往復して土を運んで、スコップやローラーを引いて整備した。

最後に水を撒いたら、芝生の青と赤い土が眩しい立派なフィールドがそこにあった。子供たちが活き活きと走る姿が浮かび上がる。大人たちの歓声が聞こえる。笑ったり、讃え合ったり、泣いたり、落ち込んだり。大人たちが用意した舞台で、彼らは黄金時代を過ごす。

こんなフィールドで野球やりたかったなあ。

3月3日開幕。今年も子供たちが真っ白なボールを追いかける。

そして何十年後、彼らが一輪車を推す。彼らが舞台を用意する。

時代はまわる。

02 11, 2007

副審デビュー

「ゲーム、やるんだって」

家内がコーチからのメールを見ながら言った。

今日は息子の玄(はるか)のサッカーリーグが開幕して2試合目。ずっと野球と剣道ばかりやってきたのだけど、町に新しいチームができて、そのセレクションで幸いにも選んでもらえたのだ。

3つのスポーツと習い事。そして大切な日本語補習校。

毎日毎週の送り迎えで、親(とくにカミサン)の方はたまったもんじゃないけど、彼らの人生のためにしてやれることは力になりたい。

昨夜は結構な雨が降ったうえ、今も鉛色の雲が垂れ込めたままだ。

こんな日は内心、ゲームが休みだったら家で本を読んでごろごろしたいとサボリ心が顔を出してたんだけど、しばらくは出張続きで試合に顔を出してやれない。

イカンイカン、気持ち良く行かねば。

「おい、一番乗りしようぜ」

集合時間より30分早く行く。コーチは準備のためにもう来てくれている。

何かできればと、昨夜の雨で薄くなったコートの白線を引く。

昔は一輪車を引いて、(底に開いた穴から)こぼれ落ちる石灰で白いラインを引いたものだけど、今は白いスプレーを逆さに差し込み、レバーを引くと地面に噴射するようになっているのだ。これがけっこう楽しい。

慎重にまっすぐ歩くんだけど、振り返ると、人間臭い味のある極太の線がボクに向かって不器用に続いている。こういう人生を送りたい。なかなか良いではないか。昨日の酒が残っているのかしら。

実は立候補して、生まれて初めての副審にも挑戦した。
サッカーのルールはよく知らないんだけどね。

ラグビーをやっていたので同様に、ボールが外に出たところで旗を挙げるくらいに考えていたんだけど、守備陣の最後から二人目のラインに立って、相手チームのオフサイドを監視するのが大きな役目のようだ。

そんなこと知らないから、試合が始まっても神妙な顔で真ん中で立っていたら、主審が目を大きく開いて、こっちに向かって何か叫んでいる。

笑って手を振って応えたら、サッカーに詳しいダニエルの父ちゃんが飛んできて教えてくれた。すまぬすまぬ。そうであったか。

その他にも、主審補佐として、選手の入れ替りや得点者の記録をつけるんだけど、いやおかげでずいぶん勉強になった。一日でサッカー博士。

またチャレンジしていつか主審に昇格したい。もうやらせてくれないかも知れないけど。

02 11, 2007

リトルリーグのシーズン到来

今日はお昼からアメリカの一大イベントスーパーボール(アメリカンフットボールのファイナル戦)。その人気は凄まじく、毎年レストランやスーパーがガラガラになる。もちろん、スポーツバーを除いて。

多くのアメリカ人はテレビの前に集結して、動かなくってもいいように、ビールとピザをセットして観戦に備える。アメリカに暮らす日本人の多くもこの日はテレビに釘付けではなかろうか。

何でも一年で一番ピザが売れるんだそうだ。ビールの消費量も一番にちがいない!

アメリカの国技がフットボールなら日本のそれは大相撲。う〜ん、千秋楽を知ってる人ってどのくらいいるだろう。ガンバレ大相撲。

さて、今朝は息子のリトルリーグの練習に初参加。3月の開幕に向けて新チームでの練習だ。

息子にとっては7回目のシーズンで今年は「レッズ」に所属する。
毎年、トライアウトがあって、各チームの監督とコーチがドラフトのような形で選手を獲得して新チームが結成される。

レッズのチームメイトには、以前同じチームだったジャクソン(監督の息子)、ザック(コーチの息子)、ミッチェルがいて息子の玄(はるか)もやりやすいようだ。ボクも知った顔が多いので心強い。

余談だけど、ジャクソンの家族の名前がおもしろい。
おじいちゃんは「ジャック ホリス シニア」、お父さんはその息子だから「ジャック ホリス ジュニア」、それでもってその息子だから「ジャクソン(ジャックの息子で、ジャック+サン) ホリス」だって。

息子によると、応用編で「ピーターシニア/ピータージュニア/ピータソン」という三段活用もあるようだ。

グランドに着いて、懐かしい顔や初めてのお父さんにあいさつをする。

ザッグのお父さんのグレッグとはまた同じチームでプレーできるのを喜び合った。理論派の彼は、守備にバッティングに、とてもわかりやすい表現で指導してくれるし、誉めるタイミングや誉め方が実にうまい。

グレッグに限らず、アメリカ人の指導者は理論派が多い。練習中も、なぜその練習をするのか、意味とか必要性についてよく解説が入る。

技術指導も、いろいろな人がそれぞれの言葉で伝えようとする。時には矛盾することもありそうだけど、子供たちは自分にあったやり方を選択していく。だからグランドでは四六時中コーチの声が響いている。

練習か試合かにかかわらず、フライやゴロがうまく取れなくても、決してそれを叱ることはない。それは誰よりも本人が悔しいことを知っているからだ。むしろ、それでも良かったところをみつけて誉めようとする。

「グッドハッスル」「グッドブロック」「ナイストライ」

言われてみたら、確かに良いところがあるんだなあ。褒め言葉も豊富。
そして、グラブのさばき方や足の運び方など技術指導も忘れない。

もちろん、もう一歩が出なかったり、怠慢なプレーには容赦ない激が飛ぶ。

子供たちは練習中、はしゃいでばかりだけど、監督やコーチが話している間は余計なおしゃべりをしないでキチンと耳を傾ける。コーチが捕球の手本を見せようとしてボールを取り損なっても、誰もそれを笑わないし、冷やかさない。それは子供同士でもいっしょだ。コーチの方もいっこうに気にしない。エラーを減らす努力が大切で、してしまったエラーは仕方ない。

監督の父親で、ジャクソンのおじいちゃん、コーチジャックシニアが、守備で一番大切なことを子供たちに言った。

「リラックス!」

そう思った。

ボクは「気合い入れていこう!」で育ったけど、確かに「リラックス」の方が良いプレーができそうな気がした。ちょっと目からウロコ。

ちなみにジャックシニアは元メジャーのスカウトだ。

それにしても今日はよく走った。息子じゃなくてボクの話。

連係プレーの練習ではキャッチャーやサードを務めた。その後フリーバッティングの間はずっと外野で球拾い。学年が上がった分、子供たちが打つこと打つこと。外野は球拾いはグレッグとボクだけなので、全員が(ひとり)バケツ一杯分打っている間、ひたすら走っていた。もう汗だく。仕上げのミニゲームでもそのままレフトを守って、仕舞いには首に巻いたタオルが汗ですっかり濡れていた。いや、良い運動。

練習が終わって、コーチナカタ(日系人)が子供たちに注意した。

「今日はスーパーボール。みんなビール飲み過ぎるなよ!」

02 04, 2007

質実剛健でいこう

金曜日の午後9時、臨時取締役会のすべての議題が終わった。
奥村先生と山崎は引き続き管理部門の会議を続け、明日日本に帰る高畠とボクはヨレヨレのカラダで一足先に料理屋ののれんをくぐった。

「かんぱーいっ!」(ガツン)

経営方針、新年度の事業計画、商品設計、取締役会、どれを取っても納得のいく議論ができた。すべてにおいて「ユーザー」が主語で優先順位をつけられたと思う。5カ年計画は飛ぶ鳥を落とす勢いだ。

高畠と夢を語る。

「近い未来に全国ネットのテレビコマーシャルを出せるようになりたいなあ、カッコいいやつ!」

高畠のリクルート時代の同僚や家族、友人、ボクの学生時代からの仲間が茶の間で指を差して驚いたり喜ぶシーン。

日米のLCE のメンバーや、ライトハウスのメンバーがいっしょになって喜んでくれるシーン。

家内の両親、親父や、再婚した母親夫婦が目を細めてテレビを凝視するシーン。

娘や息子たちが目を丸くするシーン。

みんなの顔を想像するだけでワクワクする。

高畠と映像のイメージをふくらませる。
なんだかステキな映像になりそうだ。

どんなに疲れていても、夢を語るとエネルギーが満ちてくる。

ライトハウスに背中を預けられる腹心やメンバーがいるように、高畠、奥村先生、竹内、それに続く今のこのメンバーたちがいたら何だってできる、空だって飛べる、そういう気持ちになる。

「創業からありえない豪華メンバー。これ以上ない世界一の布陣」

自画自賛し合う。だけどホントにそうだ。 たぶん、このメンバーが揃ったのは奇跡以外ありえない。

「ボクらがいつかバトンを渡した後も、50年後、100年後、200年後のメンバーの時代も、どんな市場環境になっても、決してブレない会社を創ろう。世の中の規範になれるような会社、世の中を前に動かせる会社を創ろう」

明日の心配をする脳味噌はない。

「どんなに景気が良い時代も、業績が良い時期も、うまい話や浮ついた投資に決して飛びつかない。泡銭(あぶくぜに)を追いかけたり、ルーレットの一点張りのような一発勝負を絶対にしない。一方で、景気が悪くても、業績が悪くても、大きなトラブルに巻き込まれても、決して動じることなく、常に創意工夫と改善に努め、すべての逆境を血肉に変えられる企業風土を残そう」

カネを追いかけない。ユーザーの笑顔とありがとうを追いかける。

「何年か苦しい時代が続いても社員を守れる備えを常に蓄えておこう」

備えあれば憂いなし。

「どこまでも大きくなろう。でも大きくなることより強くあることに重きを置こう。ブレない経営、ブレない会社。いつの時代もコツコツ謙虚で。質実剛健でいこう」

そう、LCEもライトハウスも、質実剛健でいこう!

質実:飾り付けなくまじめなこと
剛健:たくましくすこやかなこと

02 03, 2007