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込山洋一

痛くない針

めずらしく体調を崩して、今日は会社を休んで一日自宅で静養。食欲もなく週末から体重が8パウンド激減(ちょっとラッキー)。

夕方からのそのそ起きて、読んでない日経ビジネスのバックナンバーをチェック。その中にあった「日本イノベーター大賞」を受賞した岡野工業の岡野雅行代表社員の記事が素晴らしかったので引用させてください。

(以下、本文より)

「糖尿病に苦しむ子供は一生で10万回以上も注射針を刺さなければならない。だったらせめて痛みをなくしてあげたい」という思いを持っていた、テルモ甲府東工場開発技術部部長の大谷内哲也氏と出会い、5年もの年月をかけて二人三脚で「痛くない針」を作り上げた。糖尿病の子供に「痛くないよ」と言われた時、岡野氏は目頭が熱くなったという。

(日経ビジネス2005年12月12日号)

その技術によって、どれだけたくさんの子供たちが痛みから解放されるだろう、この人間の英知と愛情。そしてその夢をついに実現した関係者の方たちへの尊敬の思いで、涙が止まらなくなった(会社を休んでなにをしとるんだろう)。こういう努力とか技術が報われることって素晴らしいし、日本人として誇らしい。なんてカッコいい人たちだろう。

人間は誰かを幸せにするために生まれてきているんだと思う。それは目の前のひとりの人であっても、半径3メートルの世界であってもいい。夢や信念を持って、それを実現することは大変なことだし、流されそうになったり、挫けそうになったり、失敗することも多々あるけど、そのたびに這い上がって自分を磨き続けることが人生だと思う。

パジャマのまま、熱い思いがおさまらない。

これからも事業を通して、南カリフォルニアに暮らす日本人や、アメリカを目指す人たちの「助かった、役立った、元気や勇気が湧いた」を創造できる、創造し続けられる集団でありたい。

02 27, 2006

ロサンゼルステクニカルジョブフェア

先週末の2月18,19日の両日は、トーランス市のマリオットホテルで実施された「2006ロサンゼルステクニカルジョブフェア」にライトハウスとして出展した。

われわれのような地元日系企業に加えて、日本からも有名企業を含む10数社の企業が出展。天候不順で東海岸や北部の学生が参加できなかったのはとても残念だったけど、500名近くの卒業を控えた学生がジョブフェアを訪れ、二日間ともに盛況のうちに終わった。日本での人材不足に加えて優秀な学生が多かったのだろう。多くの企業で相当の内定者が出たようだ。

ライトハウスは、営業、編集、制作の責任者が二日間にわたって、事前予約と飛び込みを合わせて、41名の方たちの面接をさせてもらった。

今回の募集は広告の営業だから、われわれ面接者は、ライトハウスのメンバーの視点とともに、広告主の視点でその人を見る。この人が営業マンとして訪ねてきたときに、心を開きたくなるか、大切な事業の話を相談するに足る人物か、未熟であっても応援してやろうと思わせるキャラクターであるかどうか。

乱暴な言い方をすると、できる人かどうかはすぐにわからないけど、通用しない人は5秒でわかる。目が合った瞬間と言ってもいいだろう。

他の人は知らないけど、私は、目が合った最初の表情や、面接の待合席でふと気を抜いたときの表情、面接の予約カードを受け取るときの受け答えをよく見ている。そういう時、その子が受けてきた躾とか、本性って出ると思う。

全体では、しっかりしている学生が多かったけど、なかには(髪を掻揚げながら)予約カードを人差し指と中指の間ではさんで受け取る謎の女性や、遅刻してきて「今、いっすか」とクネクネすり寄ってくる火星人風もいた。どこでどうなったんだろう、この人たちは。

またムズカシイ顔でポケットに手をつっこみ、ブースの中の様子をうかがう青年とか、くちゃくちゃガムを噛んでいる若者にはあっさり降参した。参った。

こんなことばっかり書いていると、酷い学生ばっかり来ていたみたいだけど決してそんなわけではなく、まっすぐで、気持ちの良い留学生もいっぱいいた。

海外に飛び出して卒業まで頑張り抜くということは並大抵のことではなかったろうし、それを乗り越えた若者たちだから、将来を真剣かつ緻密に考えている人が多かった。そういう若者はどこに行っても、会社や国を背負って立つ人になるのだろう。

そんな中で今回、ライトハウスとしては内定者、インターン候補合わせて5名の方とこれからお話をさせていただく。

将来はこのジョブフェアに、地元企業がもっともっとたくさん出展して、アメリカで働きたい若者の受け皿になってくれたら素晴らしいと思う。

次回に開催は6月中旬。ぜひ多くの留学生のみなさんに参加してほしい。

02 24, 2006

息子と父

息子のリトルリーグが開幕をひかえ、自転車の朝練はしばらくお休み。毎朝、家の向かいにある芝生の公園で、11歳の息子にノックをしている。

早朝のまっさらでヒンヤリした空気を吸い込み、身体を動かすのは心底気持ちいい。バスケット2カゴか3カゴ分のボールが空になる頃、東の森から太陽の光がこぼれる。

バットを振りながらこうして親子で野球ができるのは、人生の中であと何回くらいあるんだろうと考える。12月で40歳になって「人生であと何回」をよく考える。

いつかあの世に旅立つときに人生を振り返って、朝部門、昼部門、夜部門で人生のハイライトを選考したらば、この息子との朝のひとときはまちがいなく朝部門の上位に食い込んでくるだろう。このシーズン、この瞬間を大切にしたいと思う。


私の父親は、リタイア後アメリカに呼び寄せ、弟と私の家のまん中にアパートを借りてひとりで住んでいる。月曜日から木曜日、昼過ぎまで私の会社で、書類関係の整理や郵送の手伝いをしてくれている。毎週金曜日はアメリカ人に混じって、乗り合いの釣り船で沖に出る。最近の課題は、強すぎて麻雀のお呼びがかからなくなったこと。もうそういうリズムが3年になるだろうか。

66歳の父は、現役時代船乗りを40年もしていて、その後半は、小さな貨物船だけどずっと船長をしていて、今では熟年離婚で分裂したが、家族の誇りでもあった。

60歳を過ぎても船乗りを続け、長期の休みの時は、知人の雀荘でよくアルバイトの店長をしていた。ずいぶんとそれが気に入っていて、よそで仕事を聞かれると、雀荘のマネージャーだと答える父だった。

昔から父はあまり行儀が良くなくて、たまに帰ってくるとよく怒ったり、叱られた。

多感な少年にとっては、訪問販売員をステテコのまま怒鳴るところもイヤだったし、真っ黒なサングラスにチョイワルな格好で運動会に来てくれるのも辛かった。

魚屋の横付自転車を乗り回して捨てたのがバレた時には兄弟コテンパンに殴られた。弟の血まみれの顔と血糊のついたドアノブは今でも夢に出てくる。

そんな父がキャッチボールを誘ってくれたことがある。黙って歩く父親について海岸まで行き、ただ黙々とキャッチボールをした。時々、両手で取れと怒鳴られるが、あとはボールをキャッチする音だけが響いた。

あの時の父も、あと何回キャッチボールができるか考えたのだろうか。

キャッチボールをしてくれた父親、家出した息子を真夜中に外で待つ父親、癇癪を起こした後おでんを買ってきてくれた父親…。

不器用だけどずっと守ってきてくれたんだなあと、父親になった今少しだけわかる。

【込山洋一】

02 17, 2006

旧友からのメール

バレンタインデーのロサンゼルスは26度を越え、空は広くきっぱりとした青空がまぶしい。デスクから外を眺めながら冷しソーメンを想う。

今朝は商船学校時代*(注釈)の仲間からふたつのメールが届いた。

日本の天気予報の会社に勤め、バレー部のキャプテンをしていたKからライトハウスのサイトについての感想と、こんな動画を入れたらどうよと、いくつかのアイデアをもらった。内容はともかく、うれしくてそのまま社内に転送した。

ケミカル専門のタンカーの会社に勤め、剣道部の主将だったYからは「毎日見てやってるから、もうちょっとマメにブログを更新するように」と警告された。ほっといてほしいけどうれしい。

つい一昨日は、転職の相談があった、元秀才のTから「やっぱり家族と長い時間過ごせる今の会社に残ることにした」とメール。カミさんもカアちゃんも思いのほか喜んでくれたそうだ。転職先では150メートルもある豪華客船の一等航海士のポストが用意されていたから船乗りとして悩みに悩んだと思う。

商船学校では一年生の前期でギブアップして、授業にも、国家試験にも、就職にも、肝心なところはすべて落ちこぼれだった私は、同窓会で海運業界周辺で活躍する仲間の話を聞くとうれしくなるし、みなが眩しい。

船の知識は清々しいくらい身に付かなかったけど、卒業して20年経つ今でも、こうしてつきあえる仲間が得られたことが一番の財産だ。やつらとは、お互い出世しようが乞食になろうが絆の強さは変わらないし、ぶれない。

いつの間にか、勘定を心配しないで寿司屋の暖簾をくぐるようになって、憧れの車に乗れるようになって、人を励ますことも多くなったけど、卒業してアメリカに渡ってすぐの頃、小さな挫折と借金で挫けそうになった私を、汚ない字の手紙で励まし踏ん張らせてくれた仲間たちへの感謝を忘れない。あの時、どっちに転がり落ちてもおかしくない脆くて染まりやすい自分だったから。

若い人たちに伝えたい。娘や息子に伝えたい。
勉強も大事だけど、そんなことよりもうんと大切なこと。

それは、友だちを大切にすることや人の傷みがわかること、相手と傷みを分かち合えることだと思う。基本の基本が大事なのだ。

うまく言えないけど、友情とか愛情って、ギブアンドテイクでもなければテイクアンドテイクでもない。ひたすらギブアンドギブだと思う。見返りを求めてはならない。

与えられる一方の人生を過ごしてきたけど、この頃少しそう思えるようになってきた。

【込山洋一】


*弓削商船高専航海学科の学生として、瀬戸内海に浮かぶ、愛媛県の小島「弓削島」で5年半(うち国内外の航海訓練を一年間。帆船日本丸にも乗船)を仲間とともに過ごす。

02 15, 2006

フィールドオブドリームス

昨晩は11歳になる息子のリトルリーグ開幕前のチームミーティングに参加。これは毎年の恒例行事で、(同じチームの選手の父親でもある)監督の家に父兄が集まり、シーズン前に監督の初心表明があったり、同時に役割分担を決める。

押し気味のオレンジカウンティの営業同行から車を飛ばし、時間ギリギリで到着。ネクタイを締め直して、監督宅のドアを開けると、よそのお父さんたちはみんな着いていて始まるのを待っている。ひとりひとりに握手をして自己紹介。何とか間に合って良かった。(これって、毎年新学期に行われる新しい担任の先生と父兄間の「始まり」もいっしょで、新担任は自己紹介や教育に対する考え方、取り組み方、クラスの運営方針を、それこそ身振り手振りを交えて、自分の思いを伝える。もちろんキチンと目を見て。そうやって、直接コミュニケーションを取ることで、父兄全員とブレがないよう最初にガッチリ握る)

この地域の少年野球は、10歳までは学齢ごとのリーグが存在し、毎年ドラフトのような仕組みでチームを新たに構成する。通常、2月に新チームでの顔合わせや練習が始まり、新監督と新しいチームメイトのもと、3月から5月までの30試合近いリーグ戦を戦い抜く。

息子は今シーズンで6期目。
リーグで一番身体が小さいのだそうだ。

青い目の新監督は、私のフィロソフィを聞いてくださいとゆっくり語り始めた。「まあ、ひとつよろしく」ではなく、自分が“そもそも大切にしていること”をキチンと伝える。

説明を聞きながら、自分の少年野球時代の暗くてザラザラした場面をふと思い出した。


最終回裏、2アウト。ランナーは1、2塁(緊迫してるけどタダの練習試合)。味方チームのバッターは、小柄だけどチームで一番頼りになる監督の息子Nくん。が、2ストライクからのバットは大きく宙を切り三振。あと一歩でゲームセット。

とその時、審判も兼務していたアホ監督は、バッターボックスのNくんに鬼の形相で飛びかかり、延々殴る蹴るを始めた。Nくんは赤い顔を歪めてじっと耐える。誰も止めない。誰も咎めない。グラウンドには後味の悪さだけが残される。

そういうシーンが昭和50年前後の四国のグランドでは日常的に許されていた。

たぶん、当時の少年野球にとって「勝利」が第1優先だから、レギュラーは上手な順番で、下手くそは永久補欠のまま出番なし。出られないし、球拾いが面白くないから辞めていく。エースの肩の寿命を考えてくれる監督はどれほどもいない。


勝つためにはその代償として「苦労」「犠牲」「傷み」「忍耐」が要求され、それは仕方のないことなのだ。・・・と、思っていたけど、アメリカの少年野球に触れて考えが変わった。やっぱりどこかおかしい。「鬼コーチ」とか「地獄の特訓」とかって、実際どうなんだろう。もし、全国の監督がそのスタイルをモデルにしているとしたら、星一徹(巨人の星)はつくづく業が深い。

ここでは、子どもたちが毎シーズン心から開幕を待っているし、大人たちは自分たちがそうしてもらったように、最高の舞台を仕込み、最高の環境を運営していく。

仕事では弁護士だろうが医者だろうが、早起きして飾り付けもすれば、ホットドッグも焼く。走って球拾いをするし、トンボ(グランド整備道具)を日が暮れても引っ張る。

大人たちが少年野球で大切にしていることは、子どもたちが「人生の中で、幸せな時間を過ごせること」と「スポーツを通して、心身共に逞しく成長すること」だ。だからどのチームも勝利や優勝を目指すけど、エースも下手クソも、均等に打席が回るし、守備の機会が与えられる。肩を壊さないように、エースでも半分のイニング数以上を投げてはならない規約がある。

毎打席必ず三振する下手クソの子の打席も、大人も子どももみんなが応援する。決してバカにはしないし、そういうことはとても恥ずかしいことだと知っている。偶然にもヒットがでたら、みながコブシをあげて歓喜する。そんなとき、鼻の奥がツンとする。隣のオヤジも鼻の頭が赤かったりする。

練習は激しくも緻密に計算されている。

子どもたちは常に、打つ、投げる、守る、走るで身体を動かしている。気持ちが入っていないと、「言葉」でカツを入れられるけど、失敗を監督やコーチが責めたり、親が叱るのなんて見たことがない。

どうしようもないことは決して叱らないし、むしろ果敢に褒める。空振りしても「ビ〜ッグスィング」「グッドトライ」という褒め言葉がある。

人は誰だって、褒められた方がやる気になるし、長所を見つけてほしいもんだと思う。叱られてやるより、ヒーローになるためのほうが頑張れると思う。

だから、毎試合、毎練習、子どもたちはグランドに着くと一様に、緑のフィールドを笑顔で走ってくる。「ベースボール」は決して、訓練やガマンではなく、子どもたちのその輝く人生を(大人たちのたいへんな裏方によって)豊かにしてくれるためのものなのだ。

お腹が「ぐるる〜〜〜っ」と鳴ったあたりで監督から「なにか質問はありますか」。(おいおい、ぜんぜん聞いとらんかったよ)

「では、みなさんに役割分担をします」

まわりのケビンコスナーみたいなお父さんたちが競って手をあげた。

【込山洋一】

02 09, 2006