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what's new

込山洋一

5時までたっぷり

 1月28日の木曜日。

新大阪から新山口に向かう始発の新幹線から。

昨日で今回の出張のすべてのアポイントを終えて、山口県の萩に暮らす父親を訪ねている。

いつものようにPC の電源がある指定席(通常、車両の先頭の席)を確保。新幹線が走り出すと同時に、今回の出張中のメモ書きからTO DO LISTを作成する。なぐり書きの帳面はヒントとチャンスの宝庫だ。

とくに今回は、取引先の大学や旅行会社から、新設学部の切り札になるような研修企画の宿題をたっぷりいただいたから張り合いがある。エッジの立ったオリジナルの研修を開発をして、学生の人生の転機になるような体験を提供したい。

また、いくつかの大学の海外の校友会設立の話も具体化してきた。

海外の校友会の存在は、卒業生や在校生が将来海外で活躍するための「応援団」であり「足場」だ。

海外での会員募集から運営までワンストップでサポートできるライトハウスとしては、大学や専門学校の黒子として積極的にお手伝いをしたい。これは県人会も同様。

はてさて。

昨夜は、大阪のリクルート教育事業部のTさんとHさん、制作会社バードランドの親分、近藤さんと本町で久しぶりの再会。深夜まで盛り上がった。

みんな、今から10年前にライトハウスが国際教育事業を立ち上げた時から今日まで、ひたすら応援し続けてくれた戦友(正しくは恩人)だ。

お互いの夢や挑戦、ヨロコビ、苦労、試練、恥、どツボ、涙、時々達成や成功、そういうのを分かち合い、共感できる数少ない仲間は人生の中でそう得られるものではない。

ボクよりちょっと先輩の近藤さんは、ハワイ版を創刊したばかりのライトハウスの参考になればと、友人のHさんが1985年から99年にかけて取材してまとめた(百科事典くらい分厚くて重たい!)ハワイの移民史を2冊、わざわざ店まで持ってきてくれた。

ハワイの温暖な気候や華やかな顔だけでなく、そこで日本からの移民がどんな足跡をたどり、また何を思い描いて生きたのか、そういうことをよく理解せずしてホンモノの情報誌なんて創れないゾ、そんな近藤さんの思いやりが伝わってくる。経営者である前にクリエーターの近藤さんはモノ作りを本質で考える。そしてその根底には常に温(ぬく)い血が通っている。

移民史に登場する多くの日系人はすでにこの世にはいないけど、モノクロの写真の表情は驚くほど豊かで生き生きとしていた。

それもそのはずで、取材者兼カメラマンのHさんは、彼らにカメラを向けるまでに3年も4年もかけて人間関係を育んだのだそうだ。

図らずも、効率やスピードにばかり意識がいく我が身を反省。

もっと丁寧に。さらに愛を吹き込んで。

 

2件目、ナンバのカクテルバーに向かうタクシーで「コミヤマさん、明日は朝何時?」と近藤さん。

明日は6時の始発ですと答えると「良かった。ほな、5時までたっぷり飲めるな」とにっこり笑った。

01 29, 2010

3冠王を実現するのだ

1月27日水曜日。羽田で伊丹に飛ぶ飛行機を待っている。

昨晩は、LCE(ライトハウスキャリアエンカレッジ:主に日本国内の大学・専門学校に国際教育研修を提供する会社)のパートナーの高畠と、新宿のホテルの48階ラウンジで深夜までこれからの事業構想について語り合った。

選択と集中。

自分たちの強みを徹底的に検証し、磨き上げ、これまで以上に、日米で学生に提供できる価値を高めよう。

旅行会社や留学業者が絶対にマネのできない、高度で熱々のオリジナルコンテンツを編み出そう。

その価値を本当に感じてくれる学校(経営者、担当者)とのみ、タッグを組み、どこまでも深く関係を育もう。

決して営業の場面で大風呂敷を広げず、その一方で実際には、学生の期待を大きく超えるプログラムを提供しよう。

そして、

絶対に国際教育研修の分野で「日本一」の会社になる。なろうではなく「なる」。

「日本一」とは、

プログラムの「質」はもちろん、

数字で見える「売上」「利益」「利益率」の3冠王を実現するのだ。

そのために必要な営業戦略、商品開発、組織態勢はどうあるべきか、遠くに東京タワーも見える宝石箱のような夜景を眺めながら、ボクらはワクワクするような気持ちで議論した。まさに高揚して夢に酔っぱらったオジさんなのだ。

これまでLCEの教育事業は助走(収益を出せるまでの下積み)がとても長かったけど、着実に学校や参加学生の信頼を重ねてきた。おかげでこの大不況やインフルエンザの中、着実に業績を伸ばせるようになってきた。

まさにここからが本番。

日本一を誓って熱い握手で高畠とは別れた。

で、朝目覚めると部屋のドアに「お届けもの」のメモがある。

「あれ、ターさんか新宿のメンバーの差し入れかナ?」「誰かサプライズの贈り物かァ?」

厚かましい期待に表情を緩めながらフロントに電話すると、

「コミヤマさまのクレジットカードがエレベーターに落ちていました。フロントでお預かりしています」

だって。

東京は冷たいとワルクチを書いたけど、見知らぬ方に助けていただきました。感謝。

01 27, 2010

コメディーショーを楽しみながら

 昨晩は六本木のインターコンチネンタルホテルで、尊敬する留学業者「栄陽子留学研究所」の経営者、栄陽子さんと会食をした。

栄先生は留学業界のパイオニアで、多くの留学業者から留学する若者のうち、4年制大学以上の進学率が10%からせいぜい20%の中、親身で厳しい指導で、90%以上の若者を卒業に導いている。また、様々なパイプを駆使して貧しい学生のために奨学金を引っ張ってこれるのも強みだ。

栄先生の「留学とは、英語を勉強しにいくのではなく、英語で勉強しにいくためのもの」という信念にボクらも共感していて、3月にはシニアカウンセラーの方を送っていただき、ロサンゼルス在住の留学生を対象に講演をお願いしている。留学して何年も経つのにくすぶったままでなかなか離陸できない若者に、気合いとロードマップを提供できたらと期待している。

それはさておき。

以前にも連れてきていただいたこの店(桃李)の中華は絶品で、洗練された数々の料理に舌鼓を打ち、先生持ち込みのシャンパンをいただきながら、ボクらの会話は大いに弾んでいた。

と、向こうの方の席を陣取った10人くらいのネクタイ族がやたらヒートアップしてうるさい。

席の中心には、フォーブス誌の日本のお金持ちトップ3の常連のあの経営者が鎮座している。社長というワードがやたら聴こえるから、取り巻きはすべて役員連中だろう。まぁ、まわりに客がいるのに有り得ないぐらいの大声。何と行儀の悪いことよ。これが誰もが知る日本のトップ企業の経営陣かい。

ボクは行儀の悪いテーブルに注意をするのは慣れっこなので、いったん背筋を伸ばしてさぁどうやって伝えようかと思った矢先、

「おっちゃんらヤカマシイ!ええ加減静かにしぃ!」と栄先生がよく通る声で一喝。

ネクタイは会話を続けたが、瞬間でボリュームは10から3くらいになった。

それで良いのだ。できるじゃないか。

ボクたちはまた楽しい会話に戻っていった。

それでも気になって、時々、その一角に目をやると、キッチリその“社長”がボクを睨みつけた。

トホホ。ボクかよ。

ピースサインをするのも手を振るのも不自然なので、ボクも少しだけ目にチカラを込めて睨み返した。ナンボのもんじゃ焼なのだ。

彼らの方が先に席を立った時、専務風のオヤジがこっちに来るので、「いやはや、失礼しました」と詫びるのかと思ったら、そのままボクらのテーブルの横を通り過ぎて便所に向かい、戻ってくる時、視線が合わないように険しくボクらの方を睨んで去っていった。さすが取り巻き。コスイ!

美味しい中華に、コメディーショーがセットでついてきたようで得した気分の東京ナイトだった。

 

01 26, 2010

寒いぞ東京!

 この時期の東京が寒いのは知ってたけど、ハワイから移動するとしみじみ寒い。

到着してホテルで両替をしたら1ドルが86円だ。500ドルなら430ドル、1000ドルは860ドル、ここでもしみじみ寒い。

地下鉄も交差点もみんな黙ったまま、苛立っているような表情の人が多いこと。人の心までしみじみ寒いのか。

 

昼間、新宿の高層ビルの谷間を歩いていた。

幅の広い道路の向こうから、弁当売りの女性がふたり重そうなカートを押している。

無表情にそのまわりを行き交う人。

次の瞬間、中央分離帯の段差にカートがつまずいて、弁当を詰めた3段のプラスチックのケースがこっちに向かってひっくり返った。スローモーションみたいに。フタからおかずが崩れてはみ出し、プラスチックの小さなサラダのカット野菜は無惨に散乱した。

エライこっちゃと駆け寄るより速く、そこに居合わせた2人のオジさんがいっしょになって弁当を拾い始めた。すいませんすいませんと詫びながら拾い集めるお弁当売りのオバちゃん。黙々と拾い集めるボクたち。

当たりにいたネクタイ連中は無視して通り過ぎたけど、すこし粗末な身なりのその2人のオジさんが最後まで一生懸命に手伝ってあげていた。そして何事もなかったようにそれぞれがまた雑踏に溶けていった。

冷たく感じていた東京の空気と心。だけど、こんなところに温かい血が通っていたのかとちょっとだけホッとした。

一方でこれがアメリカだったら、当たり前にみんなでヘルプしただろう。実際そういう場面をいっぱい見てきたし。

日本の地方都市だってふつうに「心」が残ってるし、見返りなんかハナから期待しない「親切」がまだまだ息づいている(むしろ地方に行くほど)

悲しいかな東京では、エスカレーターのない地下鉄の階段で、重いスーツケースの女性を誰も助けない場面や、混雑の電車でお年寄りや赤ちゃんを抱いた女性に、席を譲らぬビジネスマンや学生を100万回見てきた。

見て見ぬ振りの東京。

この街はよっぽどしっかり自分を持っていないと、人として当たり前のやさしさとか思いやりとか、大切なものを鋭利なナイフで削ぎ落とされていくのかも知れない。

01 26, 2010

ウィンナーにはマヨネーズ

 いよいよ今日はハワイを発つ朝。

朝5時に起きて身支度をした。

と言っても、一週間滞在したハワイキの部屋は昨日のうちに掃除して、荷物もパッキングを済ませておいた。

ボクはホテルに滞在しても、発つ前に部屋の中を整理整頓するようにしている。人間がガサツにできている割に、乱れたままのベッドや使ったタオルが散乱してるのが気持ち悪い。

それに部屋を掃除してくれる人も同じ人間。キレイに使ってた方がキモチ良いもんね。

 

6時半には、弟の雄三と研修生の寺尾くんが空港へのピックアップに来てくれた。

実は今回の出張は、シアトル(寒い)>ポートランド(寒い)>ハワイ(温暖)>日本(寒い)と両極端の気候を旅するので、荷物を最小限にするため、ハワイで着る服はすべて弟から借りた。顔はまったく似ていないと言われるけど、体型はいっしょなのでこういう時便利なのだ。

顔と言えば、今回ハワイでは弟といっしょに名刺交換する機会が多かったのだけど、その度に「えっ、ご兄弟ですか」としみじみ見比べられて、「弟さんの方が男前ですなあ」と3回くらい言われた。まったくもって失礼な話である。

男前で気っぷの良い弟は昔から世代国籍を選ばず良くモテる。ボクはと言えば、シニアや幼児、動物方面には支持が厚いのだけど、ストライクゾーンはみんな弟に持っていかれる。ってどこにも持っていきはしないのだけどね。

ボクの荷物を車に積み込み空港に向かう。

今回は久しぶりに弟ともじっくり過ごせた。

また数ヶ月、弟やメンバーともお別れだ。ちょっとだけサミシイ。

道中も会話は途切れがちで、お互いこういうムードは苦手だ。

空港に着いたら言葉少なに礼を告げて、あとは背中越しにアバヨで別れた。弟も寺尾くんもちょっとだけ目のまわりが赤いから早くその場を去りたかったのだ。こっちもつられてしまうからね。

チェックインを済ませて、ラウンジで弟からもらった紙袋を開けると、弟が早起きしてこしらえてくれた弁当が入っていた。

ジャコの混ぜご飯で作ったおむすびと漬け物、納豆の卵焼き、それにボクの好きなウィンナーにマヨネーズがたっぷりかけてあった。

不覚にも弁当がにじんで見えなくなってしまった。

01 25, 2010

筋肉痛の朝

 1月23日の土曜日。朝5時には目覚まし時計ナシで目が覚めた。

ベッドテーブルの水を飲もうと身体を起こすと軽い筋肉痛。

何でだろ?なんだか喉もガラガラしてる。

鈍いアタマで記憶をたどると、そうだっ!昨夜はハワイの最終日ってことで、ハワイ版のメンバーみんなでモツ鍋を囲んで、そこから二次会にカラオケボックスに流れて、みんなで歌い踊り狂ったのだった。

靴を脱いでソファーに立つ岩瀬くんがキューティハニーを絶叫して、山内くんは全身を使った不思議なダンスをしてたけど、途中で息があがってソファーに倒れ込み、また起き上がっては自分の世界へ帰っていった。

時々部屋の前を通る他所の客は、何気なくボクらの部屋に目をやると、一瞬くわっと表情を険しくして逃げた。

それにしても、可笑しかったし、楽しかった。メンバーひとりひとりが爆笑したり陶酔する顔が目に浮かぶ。

いや、ボクはどちらかというとカラオケは得意じゃないし、よっぽど親しい仲間としか行かない。ましてやみんなで踊り狂うなんて、4年に1回(けっこう多い!)もないと思う。LAやサンディエゴのメンバーにも見せたことないし、見たくないだろう。

 

鍋を突いている時、少しだけマジメな話をした。

ひとつは、ボクたちライトハウスの作り手が観光客を大切に思う気持ちを持つこと。

誰しもそうだけど、旅先では少し舞い上がったり、肩に力が入ってしまったりする。それはボクらが子どもの時に遠足や修学旅行で大はしゃぎしたように、大人になっても気持ちが浮き立つのはいっしょだ。

ハワイを訪れる観光客も例外ではなく、そんな様子を慣れ親しんだ人から見ると、どこか不思議に映ることがあるかも知れない。それを指差して笑う在住者も散見されるけど、ボクらにはそんな気持ちが微塵もあってはならない。

それは天にツバを吐くようなもんだ。

以前にも書いたけど、この島は観光客が使うお金で経済が循環している。落としたお金が雇用や消費を生み、この島で暮らす人たちの生活を少なからず支えている。そんな大切な“お客さん”が、ハネムーンや記念日、人生のとっておきの時間をこの島で過ごすために来てくれているのを誰が笑うことができよう。

作り手のボクらの気持ちは、必ず文章にデザインに表われる。

この島で暮らし働く人たち、観光で来てたまたまライトハウスを手にしてくれた方たちに、感謝や思いやり、やさしい気持ちを持って作ることを絶対に忘れてはいけない。わかっているだろうけど、敢えてそれを言った。

それはロサンゼルスであろうとサンディエゴであろうと同様で、作り手のボクらが根っこのところで一番大切にすべきことだ。お客さん(読者、広告主)にリスペクトと愛情なくして良い情報誌なんか作れるはずがない。それは技術以前の話なのだ。

もうひとつは、この島で学ぶ学生や社会に出たばかりの若者を応援する気持ちを持つこと。

若いヤツらはお金がないから経済への貢献は期待できない。だけど今、日系社会にお金を循環させ、雇用を生んでいる人たちだって、昔はみんな若者だった。

若い人たちが10年後、20年後、しっかり税金を納めて、日系社会でお金を使って、良き雇用の作り手になれるよう、ボクらメディアが応援していくことは大切だ。

もちろん、シニアを大切にするのは当たり前のこと。

自分が歳を取って親切にされたいのなら、その昔、世の中やこの日系社会を支えてくれたシニアを大切にすることだ。シニア、ボクら中堅、若者は、長い時間の連鎖の中にいるのだ。してもらったこと、助けてもらったことを、次の世代に返していかなくてはならないし、今生きているシニアもまた大切にせねばならない。

また、シニアから学ぶこと、伝えるべきことは多い。そこにもボクらメディアの使命はきっとあるだろう。

メンバーたちはボクの話に熱心に耳を傾けてくれた。

ボクは一生懸命伝えながら、この仲間たちを物心の両面でシアワセにできるよう命懸けで頑張らなくてはと心の底から思った。

01 24, 2010

ハワイの弟(妹)分たち

 昨日、日曜日のお昼にホノルルに到着した。

空港には陽に焼けた弟の雄三とインターン生の寺尾くんが笑顔で迎えに来てくれた。

年末年始ハワイで過ごした副社長の片山の話でも、ハワイチームは、職人気質の弟の性格が色濃く反映されて、ずいぶん指導も要求のレベルも高い中、みんながひとつにまとまって本当に良く頑張ってくれているようだ。それは数字にも表れている。

弟の運転でさっそく初めて見る“ライトハウス寮”に向かった。

ワイキキから車で10分、丘の中腹にある3ベッドの古いタウンハウスには、雄三とデザイナーの山内くん、そして寺尾くんの男3人が寝食を共にしている。想像しただけでもむさ苦しい感じだ。

ガレージには、補充用のライトハウスハワイ版が積み上がり、その隣には洗濯機。家の中も外も生活と会社のモノがごっちゃになって、もう公私がどろどろに解け合っている。

日曜日なので世の中は休日だけど、うちのメンバーは取材や配送に走り回ってくれている。これは昨年の創刊以来、大晦日も正月もなくずっと7daysの奮闘ぶり。みんな状況を理解している。今こそが踏ん張りどころなのだ。

さっそく弟と寺尾くんがキッチンに立って夕食をこしらえる間、ボクはノートブックを開いて一仕事する。

家は古くて安普請(やすぶしん)だけど、窓から自然に吹き込んでくる海風が心地良い。

いつかハワイ版が大成功したら、この家もこの時間も、すべての努力が創業メンバーの中で黄金の伝説になる。今は未来を信じるしかないし、諦めない限り失敗はない。

包丁とフライパンの音の中で未来を思い唇を結ぶ。

そのうちに仕事を終えた山内くん、あずさちゃん、そして初めて会う編集の岩瀬くんが集まった。みんな可愛いライトハウスのメンバーたちだ。

手入れの悪い髭を蓄えた山内くんが人懐っこくて困ったようなクシャクシャの顔で笑った。ハワイ版の広告制作は、未だハワイの東西南北も不明でショッピングすらしたことのない彼のセンスと根性によって支えられている。

あずさちゃんは、雄三に叱られて泣かされてばかりいるようだけど、最初に会った頃より表情に少し自信が出てきた。根性があって性格がまっすぐだから、コイツは今のうちに徹底的に鍛えるねんと雄三が言っていたのを思い出した。しっかり吸収してどこまでも伸びてほしいメンバーのひとりだ。

ゴルフのソニーオープンの取材から帰ってきた岩瀬くんは、話に聞いてた通り、しっかり者でバランスが良い男だった。彼は彼で、ボクを“生(ナマ)”で見るのが初めてだからヘンな感心の仕方をしている。動物園のクマではないのだけどね。

日本の大きな出版社に長かったので、うちのような野武士軍団の中でうまく馴染めるか少し心配していたけど、笑いも取れるしみんなにも愛されているようで安心した。

目の前にハワイのライトハウスファミリーが揃った。

このテーブルも笑いが絶えない。

ヘトヘトでヨレヨレでもおかしくないのに、

 

こんなメディアを作ろう、

こんなコラムできねぇのか、

こんなこともきっとできる、

取材やクリエイティブで決して妥協するな、

読者やお客さん(広告主)の信頼を超えて尊敬されるようになるんだ!

 

結局最初から最後までずっと誌面作りの話だった。

ボクにとって、メンバーとこうして夢や誌面づくりの話をしているのが一番シアワセで充実した時間だ。

人生や世の中に、近道も金脈も油田も隣の青い芝生もうまい話もない。

あったとしても、ボクはそのカードは絶対に選ばない。せっかく生まれてこれたのだから。

額に汗し、手にマメを作って得たものだけが確かな収穫で、その愚直な努力を後輩たちが手本にする限りは決しておかしなことにならない。

例え、要領よく商売なり株でその人の代を勝ち抜けたとしても、「運任せ」はしょせん「運」だから、どこかの代でつまずいてしまうだろう。

今は足元を掘り続けるのだ。一心不乱に。すべての答えは自分たちの中にある。

そんなことを考えながら、シャンパンや焼酎がごっちゃですっかり良い顔色になった弟(妹)分たちに、いつか絶対に報いなくてはと、とろけるような気分の中でグラスを持つ手に力を込めた。

01 19, 2010

ポートランドは今日も雨だった ♫

 1月14日の日曜日。

雨のポートランドからホノルルへ向かう機中から。

離陸からしばらくしてMacBook Airを開くと、となりの年配夫婦が「なんて薄いんだ!」と覗きこむ。それから話がどうつながっていったのか、しばらく息子さんの話を聞いていた。自慢の息子さんらしい。

それにしてもこの飛行機の乗客にはシニアのカップルが多い。

きっとこの時期寒くて毎日雨の降るポートランドを脱出して、暖かいハワイでのんびり過ごすのだろう。春から夏にかけてのポートランドやシアトルは日が長く、それは毎日爽やかな日が続くというから“良いとこ取り”のリタイヤ生活だ。

ボクはこの木曜日からシアトルとポートランドに出張に来ていた。

目的はいくつかあるのだけど、とりわけ、昨年20周年記念イベントのためにロサンゼルスとサンディエゴで講演をしてくれたミスターアメリカンドリーマー吉田潤喜会長をお訪ねするのが今回の目玉でお楽しみだ。学校の後輩のようにかわいがっていただいている吉田会長に、いろいろビジネスの報告や相談ごとがあるのだ。

それともうひとつ、今年LAに進出予定のP社のオーナーUさんと社長のNさんを訪ねるのも大切な目的。シアトルで成功を治めた同社には、ぜひロサンゼルスでも成功してほしいし、微力ながらバックアップしたい。

せっかくなので、シアトルの日本語メディアの経営者や日系のスーパーも訪ねて、現地の日系社会の様子も勉強させてもらった。やはりこの地域でも日系企業の撤退や日米の不景気、日本企業のアジアシフトの波が直撃して、日系社会に暗い影を落としている。八方塞がりでご苦労されている様子に、ボクらが何ができるわけでもないのだけど求められたらチカラになりたいと思った。こんな時代こそ、日本語メディアが前向きに、元気や勇気を発信しなくては!

 

吉田会長に話をもどそう。

同氏はアメリカ人なら誰でも知っている「ヨシダソース」の創業者で、食品以外にも、物流、サービス、不動産など、グループ数十社を束ねるオーナー経営者だ。

オレゴン州知事をはじめ、州の政財官のリーダーとの親交も厚く、オレゴン州の商工部門のアドバイザーも長年務めている。その一方で難病の子どもたちのために毎年先頭に立って寄付を集め、自らも多大な時間とお金を投じてきた。

ただ単にビジネスの分野で成功しているだけでなく、アメリカ人に最も尊敬され、慕われている移民のひとりだろう。

同氏は幼い頃に片目を失明し、さらに在日韓国人として差別を経験し、やり場のない怒りからケンカに明け暮れ、関西でも手がつけられない不良だった。

当然大学受験にも失敗して、片道切符でアメリカに語学留学。その後に起業と3回に渡る絶体絶命の倒産のピンチを乗り越え、その度に数少ないチャンスを奇想天外の力技で制して、今日の地位を築いてきた。その決して平坦でない、決して学校では学ぶことのできない波瀾万丈の半生は、多くの人に感動と勇気を与えてくれるにちがいない。

今回またまた厚かましくも、創刊間もないハワイと日本の大学での講演をお願いして快く引き受けていただいた。

例えば吉田会長の講演の一節を披露するとこうだ。

「事業(夢)とは、地図もなくガソリンの入っていないバスを動かすようなものだ。

多くの人は、地図やガスがないことを理由(できない理由を探す)をアタマで考えて行動しないだろう。それでは永遠に目的地にはたどり着けない。

動かなければ、バスを降りて後ろからひとりでも必死になって押せば良い。

最初はみんなその姿を見て指差して笑うだろう。

それでも押し続けるんだ。決して諦めず、狂ったように血と汗をにじませて押し続けたら、やがてひとり、ふたりと隣で押すものが現れるだろう。そしてさらにひとり、さらにふたり。

それを見ていた傍観者たちもやがて袖をまくり、いっしょになってバスを押し始めるんだ。

そうするとバスは本当に動き始めるんだ。夢とか事業とはそういうものなんだよ」

 

初めて吉田会長のその話を聴いた時、ボク自身の創業当時と重なって、不覚にも涙がぼろぼろ止まらなかった。

本当にそういうものだと思う。

決してボクひとりでは動かせなかったバス、ライトハウス。

それが大勢の人たちがいっしょになって押してくれたおかげで今日のライトハウスが存在する。それが今につながっている。狂人と見紛うような信念と情熱、感謝と謙虚さを一生忘れてはならないと思った。

 

今回シアトルから3時間弱、P社のオーナーUさんの運転で、ポートランド国際空港に隣接する吉田グループのビルの駐車場に正午過ぎに着いた。となりの大きなビルもそのとなりのビルも、向こうに見える立派なビルも吉田グループの所有だ。

そこにプリウスを自ら運転する吉田会長が到着。

「どうよ社長(ボクのこと)、元気でやってんの!!」

車から降りてくるなり会長の大きな笑顔が弾けた。

そのまま会社を案内していただき、みんなでベトナムソバを食べてから、テレビで観た吉田邸にお邪魔した。

市内から15分、山の手に位置する敷地15エーカー(2万坪くらい)の邸宅はまるでリゾートホテル。あっちにゲストハウス棟、その隣もゲストハウス(かと思ったら公衆便所)、その向こうには道場。本宅はホテルそのもの。

玄関で靴を脱ぐと、奥さんのリンダさんやお嬢さんが温かく迎えてくれた。

リンダさんは吉田会長自慢の奥さんで、ロサンゼルス出張中もしょっちゅう電話しては「スィートハート」を連呼する。隣でハンドルを握るボクの方が赤面してしまう。

会長にさっそくツアーをしていただく。

フォーマルダイニングは16人掛けの特別注文。地下には映画の試写室。庭には森と池。道路を挟んで敷地の向かいには、300人規模のパーティができる高級(my)レストランまで。でももう驚かない。

夕食はそのレストランでごちそうになった。地ビールと土地の食材をたっぷり使った料理に舌鼓。

いつも話題は、前向きなビジネスの話で本当に楽しい。

テーブルを囲む5人はみんな経営者だから、自然ビジネスのアイデアが飛び交う。こんなことできないか、こんなことやったら絶対に喜ばれる(助かる)、対象が毎年○名で単価がこのくらいなら粗利益が○%は見込める、それ私が顧問をしている大学の研究者にすぐ調べさせよう、今年は大不況のおかげで家賃も会社(買収)も何でも安くてチャンスが溢れとるよ、こんな具合に、もうテーブルにポジティブオーラがいっぱいに溢れるのだ。

夕食後、内陸に向かって1時間のスキー場に隣接する吉田会長の別荘に、わざわざ会長自らの運転で連れて行っていただいた。

道中、今まさに目の前の事業展開や、頑張った幹部社員やメンバーの報い方やそのタイミングについて、マンツーマンで“レクチャー”を受ける。会長のアドバイスは常に実践的で、そのままボクの血肉になる。

実は今回みんなで山荘に一泊する予定が、翌朝の飛行機が早いボクのために、深夜に会長は仲間を残して、空港の側にあるホテルまでボクを送り届けてくれた。

リンダさんが用意してくれたワインで、暖炉を囲んでゆっくりされるつもりだったのに、イヤな顔のひとつもせずに若造のボクを気遣ってくれた。こんな心遣いのひとつまで今回もまたまた学ばせてもらった。ボクもはやく立派な経営者にならなくては。もっともっと「利他の心」で。

さあ、ハワイと日本、元気だしていこう!

01 19, 2010

稲盛さん、日航CEO就任に思う

 会社更生法の適用で再建の道を歩む日本航空の経営最高責任者に、ボクが学ぶ経営塾(盛和塾)の塾長の稲盛和夫さんの就任が決まった。77歳である。

そのニュースにふれて、稲盛さんが現在のKDDIの前身第2電電を創業した時のことを思い出した。

通信回線の自由化に伴い、「世界でも異常に高額な日本の通信料金を下げたい」

その一点の思いで、巨大な独占企業NTT、その後名乗りをあげた国鉄や、道路公団・トヨタ連合を向こうにまわし、まだ当時は今ほど大きくなかった京セラのトップの稲盛さんが名乗りをあげた。

「動機善なりや、私心無かりしか」

決断に至るまでの半年間、毎日毎晩自問自答して決断されたそうだ。自分の欲や名誉のためではないか、本当に自分は世の中のためを思っているのか、そこに私心はないか。

結果は周知の通り。

鉄道や高速道路を利用して、自前の通信回線を持つのにはるかに有利な国鉄も道路公団もとうにステージから姿を消した。資金力でも設備でもすべてにおいて不利であった第2電電(現KDDI)が日本で2番目の通信会社に躍進し、日本の通信料金は飛躍的に安くなった。日本の通信料金が下がったことの恩恵は、すべての日本の企業のコスト削減や推進力、個人の生活品質の向上において、その貢献は計り知れないだろう。

もしも稲盛さんが手を挙げず、国鉄や公団のゆるゆるの経営陣しか参入していなかったら、そこに命懸けの情熱も信念も哲学もなかろうから、ちょっとくらい値下げをしたところでお互いに手打ちにして、依然日本の通信料金は世界でも高額のままで、大いに日本経済の足を引っ張りまくっただろう。

 

それにしてもJAL。こんなになってもJALはボクら日本人の誇りだと思う。それは今も変わらない。

過去の経営陣の放漫(傲慢)と組合の肥大化でボロボロにされてことは許されるべきではない。そもそも退職金の減額も、なぜリタイヤ組は3割カットで許されて、現職組が5割もカットされるのかわからない。むしろ逆で、過去の役職の重い人ほど9割でも100%でもカットして、これから残って負の遺産と取組む人たちにこそ厚くすべきではないかと思う。ボクがとやかくいう立場ではないけど。

 

ただ、稲盛さんが経営のトップに立てば必ず再建できると信じている。

心配なのは健康面だ。すでに77歳の高齢にして今回の重責である。好き勝手言う評論家とかがボウフラのように湧いてきて、面白可笑しく世論を混乱させるだろう。そんなもんに、ついていく社員やグループに関わる方は惑わされてほしくない。ただベクトルをひとつに重ねてほしい。そうしたら絶対に再建は成功する。そう祈ってる。

ボクなんかの寿命でよければ残り全部差し上げても、稲盛さんには世の中のために今しばらく生き続けていただきたい。きっと日本も再建してくれるだろう。

JALの再建と稲盛さんの健康を心から願う。

01 14, 2010

シマウマ

今日、 クリスマスに間に合うようカミサンが注文したボクへのプレゼントが届いた。

2週間以上遅れているのはいいけど、箱を開けたらお絵描きセット。

実は絵を描くのが大好きなボクのために買ってくれたそれは、教材のDVDとテキスト、スケッチブックとデッサン用の鉛筆がセットになって入っている。

「基本も勉強すると良いと思ったの。でもきっとアナタはスケッチブックしか使わないかナ」

むこうの部屋から「英語の教材だから、パパの英語の勉強にもなって良いね」と娘。

そうでなくても「教材」というだけでアレルギーなボクは別の角度からの図星攻撃にムッとなる。近頃、般若心経の本を読み始めたけどやはりまだ身についていないようだ。

 

絵の話と言えば、

幼少の頃、テンションが高くて様子がおかしかったボクは、知能の発達を疑われて、専門家に連れて行かれたりした。

極度に集中力が欠乏していて、5分と人の話が聴けなかったから当然授業にも小学1年生からついていけず、学校でも家の中でもプカプカに浮きまくっていた。

担任の先生や近所の大人は顔を歪めてボクを見るし、母親はいつも怒るし嘆くから、けっこうその頃のボクは劣等感が強かった気がする。

ませたクラスメイトが、ノストラダムスが1999年に地球は滅亡すると予言しているのを聞いて、すごく怖いけどどうぜボクはダメだからリセットしてしまうのもいいやと悲観的に考えた。

2年生になる時、同じ市内の学校に転校した。

そこでもしばらくはみんなにバカにされていたけど、何かを発言した時に初めて担任の先生に褒めてもらって、すごく気持ちが良かった。耳がカーッと熱くなって、鼻の奥がツーンと熱くなって、体験したことのない感覚だった。

ボクが生まれた瞬間にきっと喜ばれたのが「白」とすると、その後ずぅ〜っとひたすら「黒」で、その時の先生の言葉が「白」。

で、白と白に挟まれた99.99%の時間がオセロゲームのようにパチンパチンパチンとみんな白にひっくり返った気がした。存在してて良いんだ、ボクでも。一生氷塊で終わると思っていたのに。

そして、小学2年生の時のこの体験が「第一回存在認定大事件」とすると、翌年に絵画コンクールで全国大会で特選を受賞したのが、ボクにとっては「絵画部門天上天下唯我独尊的大事件」だった。

絵の題は「シマウマ」。

今でも原色で思い出す、画用紙いっぱいに描いたシマウマの大群。遠近感に束縛されないダイナミックで斬新な筆致に審査員は心を奪われたのだろう。

ちょっと前まであんなに自信のなかった少年が、この受賞をきっかけに変貌した。

「やってくれると思っていたけど、さすがオレ。すごいオレ」

短い間だけど、本気で画家になろうと思った。

以来、小粒だけど毎年の学内のコンクールには必ず入選した。金賞ではなく、銅賞とか取ろうものなら本気で悔しがった。そして金賞の作品と見比べて、最後は先生の目を疑った。(傲慢!)

自信は人を変えるもので、少年は学校の内外に声をかけて少年野球の小さなリーグを作った。もちろん、ボクは大人のいない、選挙のないそのリーグで理事長でキャプテンでスラッガーだった。

やがて近所の子どもたちの間でもリーダーになって、隣町の小学校の悪ガキと戦ったり、勝てないどころか追いかけ回されたけど、不良やチンピラの成敗に果敢に挑むようになった。

不思議と学校の勉強も、親が家庭教師をつけてくれたのも手伝って、瞬く間に成績が良くなった。

そしてそこで得た自信があれから35年も続いているのだから人生は面白いし、ありがたい。

 

今は(家族以外)費やすエネルギーのすべてを仕事に集中したいから、このお絵描きセットもスケッチブックもしばらくは引き出しで待機だけど、もしも自信を取り戻したいような事態が発生したら、このスケッチブックにまたシマウマを描こう。自信過剰で唯我独尊だから教材は必要ないけどね。

01 10, 2010