お休みの前に時計の針がそろそろ次の日をまわる。 インターンシップの受入企業の満足度アップと、参加者(インターン)の達成感の両方を充実させるにはどうしたら良いか、また現在のボリュームの10倍、20倍になってもサービスの質を保つためにはどんなオペレーションとフォーメーションが必要か、等々、短期中期長期のブレストをしていたらあっという間に2時間経っていた。 難解なパズルを、知恵を出し合ってクリアしていくある種ゲームのような感覚で、ボクにとっては漫画本を開いたり、テレビを見るより1000倍楽しい。 今朝は6時半からのメールの送受信に始まって、朝イチでアメリカ側のスタッフ全員の勉強会。主にボクが講師になって、技術的な話から哲学的な話まで毎週のように10年以上続けている。 今朝のテーマは、先週の「マーケティング」に続いて「ブランディング」。基礎知識のおさらいとともに、ライトハウスがどういうブランドを形作りたいかみんなで考える。 午前中はオレンジ郡で弁護士とミーティング。(これは正直、退屈) 午後はオフィスワーク。TO DO LISTを箇条書きにしたスクラッチペーパーを片っ端から塗りつぶしていく。包装用にポッチンのついたビニールを潰していくようでこれも楽しい。 夕方からは会食を兼ねて、NYからのウェブの開発会社の社長のTさんとミーティング。 そして帰宅後、さっきのスカイプの会議で一日がようやく終わった。いや、今日もしっかりやり遂げた。気持ち良い。 世の中の経営環境は厳しいけど、こんな時こそ頭を目一杯使って工夫をするし、経営を強化して、未来の種蒔きをする最高のタイミングだろう。 24時間、夢にも出てくるくらい、ボクたちにしかできないこと、ボクたちだからできることを考え抜いて、未来を思い描く。 若かった頃、想像もつかなかったことが今なら、また、このメンバーならできそうな気がするし、きっと今は途方もないことでも、5年後10年後のぼくたちならできそうな気がする。 これまで散々失敗もしたけど、すべては今と未来のためだったんだなあと実感している。 近頃、ちょっと人生の転機に差し掛かってる気がしている。 今日もよ〜く眠れそうだ。 08 21, 2008
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みんなで献血しよう!「お母さんから電話あったよ。健康診断の結果が届いたみたいで、ばっちりオッケイだって。アナタ、日本でも健康診断受けたの?」とカミサン。 「ナわけねーだろ。」とアタマに疑問符を浮かべるボク。 しばらく考えて思い出した。 7月の出張の時に京都で受けた献血の結果だ。 その日曜日はLCEの京都オフィスで取締役会のため、ボクはJR京都駅から運動をかねて、蝉の音を大雨のように浴びて、四条烏丸のオフィスへ向かって歩いていた。 さっき冷たいシャワーを浴びたばかりなのに、額からは滝のように汗が流れ、背中にシャツが貼付いている。 それはそれでサウナに入って運動しているようで気分は悪くない。そこに、情けない表情で、情けなく背中を曲げたオジさんが看板を持って蝉に負けそうな声でボソボソなにか言っている。 建て売りマンションか、パチンコの新装開店くらいに思って、通り過ぎようとしたら「・・・・ケンケツ・・・・」が耳に入ってきた。 50メートルくらい歩いて振り返ると、そのまま情けなそうに通行人に声を掛けてる。 「オレがやったらボンボン献血入ると思うけどなあ、気合いと愛嬌がないんだよ」 腕時計を覗くと、役員会までにはまだ時間がある。 とことこ戻って、 「すいません、ちょっとだけ急いでるんで、10分の特急で献血。(量が)多い方で」 牛丼みたいな頼み方をした。 「いえ、特急と言われても。書類の記入や検診、それから献血ですので30分くらいは見ていただいた方が」 モノイイも情けない。 「喜んで!!10分はキビしけど、急行で行っときまっさ」くらい言えんかい! 「じゃあ、その中間よりちょっと速いくらいでお願いします」 看板のオジさんとエレベータで献血のフロアへ。 看板オジさんが情けない割に、フロアは広くて清潔で、看護婦さんも職員も明るくキビキビ動いている。 (こりゃ、選手交代だな) クーラーがよく効いて、ジュースやスナックも食べ放題飲み放題。 そんなオジさんでも多少社内では顔が利くようで、ボクはエクスプレスレーン(そんなのないけど)で対応してくれた。 腕をまくって差し出すと、毎回看護婦さんが誉めてくれる。 「(まっ)血管、太いですね!」 そう、ボクは血管が太くて、看護婦孝行な腕なのだ。 学生時代から割と献血は好きだったけど、ある出来事を境に、時間が許す限り、献血をさせてもらうようにしている。 それは今から11年前。親友の奥さんのHさんに、健康診断で乳ガンが発見された。 さらによく検査を進めると、すでにリンパ腺まで転移していて、日を追うごとに入院先のHさんはだんだんと弱っていった。 数ヶ月後、どちらかというと、可能性が望みにくい患者の病棟に移され、その時にはダメージの大きな治療の繰り返りで、体格の大きかったHさんは小さな小さなカラダになってしまっていた。 だけど、ご主人のMさんは決してあきらめず、献身的に看護を続けた。ただ回復を信じて淡々と。 専門的なことはよくわからなかったけど、ある日、体中の血液をずいぶん入れ替えるために大量の輸血が必要になり、ボクはO型とB型の血液を持つ社員や友人に片っ端から声をかけたら、誰もが二つ返事で病院に車を走らせた。みんな、ナンボでも抜いてという勢いで、自分の血に想いを込めて献血した。 そこから奇跡が起こった。 何が起こったのかわからない。 Hさんは驚異的な回復を見せて数ヶ月後に退院した。 ボクたち応援団は大喜びしてボロボロ泣いた。 後日、Hさんがお礼を言ってくれた。 「私、ヨウイチくんの血が輸血されたのが何となくわかったの。それから何だか元気になったような気がする」 もちろんホントの要因は、幼い子どもをこの世に残して去ることができないHさんとご主人の執念にも似た想いが引き寄せた「運」であり、そこに気持ちを重ねたドクターやスタッフの高度な技術と諦めない心に尽きるだろう。 だけど、ボクや仲間たちの献血も、焼肉を食べた後に出てくるチューイングガムくらいは役立てたかも知れない。 それ以来ボクは、Hさんの褒め言葉の良いとこだけ解釈して、ボクの血が誰かの元気を取り戻す役に立てるかも知れない、そう思うようにしている。 あれから11年。Hさんファミリーとは毎月のように行き来しては家族ぐるみのつき合いをしている。昔のように、いや、ひょっとしたら昔より立派な体格で大きくなったHさんは、息子と週末はテニスコートで汗を流している。 そして少しだけ子育てが落ち着いた今、Hさんは次の誰かに恩返しをするために看護婦になる勉強を始めた。 08 18, 2008
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母親の話若い頃は、いや歳を取っても、酒を飲んでは暴れるし、機嫌良いと、自分が大切にしてるものをポンポンあげて翌朝アタマを抱えていたり、また、ボクが県外の学校に進学したら、長距離電話のその先で「うっ、苦しい・・・ガチャ、ツーツーツー」ウソで倒れる振りをして心配させたり、本当に破天荒な母親だった。 エピソードは尽きない。 ある時は友だちをみんな呼べ、ご馳走するからと、大きなテーブルから落ちるくらい料理をこしらえてくれたけど、仲間たちから母親へのリスペクトが足りないと、10分くらいで「みんな、いつ帰るの」と強烈に不機嫌になった。 ボクは母親のおかげで、グレるタイミングを完全に逸してしまった。 そしてボクは大人になってもしばらくは、地球は母親を中心に回っているかと思っていた。 その一方で、四国の田舎の支店なのに、過酷な生命保険の営業では、市場の大きな首都圏の営業マンが上位を占める中で、日本全国でいつも母親はトップクラスだった。 小学校の頃は、3ヶ月に1回の記念月になると、いっしょになって販促ツールを真夜中までこしらえたり、一日歩いてパンパンになった足を母親が寝るまで揉んだ。寝たかなと、忍び足で部屋を出ようとすると「うぅ、足が燃えるように熱い」と呼び戻された。 「とてつもない目標だけど、私が達成することができたら、3人(母親とボクと弟)で、沖縄海洋博にいこう。いっしょに達成したらご褒美や。達成したらあんたらのおかげや」 そうやって意気込む母親に代わって、早起きして朝ご飯を作ったり、家事を手伝ったけど、達成したら話題を避け、約束は守られなかった。 文句を言うと逆ギレされて、オトナの世界の理不尽を早い段階からインストールされた。 会社を20年も経営していると、むちゃくちゃな人も擦(かす)るけど、母親に比べるとまだ甘いと思う。 そうそう、ウクレレや近くにあるもので殴られたり、飛んでくるから、反射神経がやたら良くなった。スポーツの成績が良かったのは母親のおかげだ。 だけど、もしその舞台がアメリカだったら、チャイルドアビューズ(幼児虐待)で引き離されて、ボクは養子になって遠くの町の知らない両親の子どもになっていたかも知れない。名前もウィリアムとかになって。 あまり悪口を書くと、読んでいたりするので少し誉めると、情に厚いところもあって、頼ってくる人の面倒は必ずみていた。貸したまま、返ってこないカネもずいぶんあったようだ。 誉めてないか。 ボクもその血をしっかり受け継いでいるのだけど、自分のことをしっかり棚に上げて、「ヨウイチ、人間って言うのはね」と読んだばかりの本の一節を生まれたときから知っているような顔でボクに語った。 そんな母親に感謝していることがいくつかある。 ひとつは仕事の姿勢。というか、営業への執念。 もうひとつはボクが中学生の頃にカーネギーの「道は開ける」と「人を動かす」の2冊を与えてくれたこと。この2冊は何年かに一度、読み返しては奮い立ったり、我が身を振り返って軌道修正している。 そして三つ目は、アメリカに行きたいんだけどと相談というより報告をした時、黙って行かせてくれたこと。ずいぶん心配だったと思うけど、記憶の中で肝心なことを反対されたことは一度もない。
今も時々「もう離婚します」とインパクトのある電話で家族を驚かせるけど、高松の郊外で新しいダンナさんと、近所の農家に畑を借りて、花や野菜を育てながら、福祉のボランティアに忙しく走り回っている。 08 16, 2008
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燃える言葉今日は8時半には会社を後にして真っすぐ帰宅。 夕食後は、娘の手作りのフレッシュな苺で作ったストロベリーアイスクリームに舌鼓。 一日脳味噌をたっぷり使った夜、甘いものが美味いんだなあ。しばしダイエットは忘れておく。 一息ついて、息子の日本語学校の国語の宿題につき合う。 それにしても、アメリカ生まれの息子に、日本の同学年の子どもたちがやっているテキストはかなり荷が重い。むしろ、日本語の進度に合わせたクラスがあったら良いんだけどなあ。ゼイタクか。 はてさて。 今朝は、この夏から初めてインターンシッププログラムで、学生を預けてくれた首都圏の歴史のある大学の理事長始め、大学の幹部の方たちがライトハウスを訪ねてくれた。 理事長自ら、将来どんな展開をしようとしているか、大学の構想や教育方針を熱く語ってくれた。その中でライトハウス(LCE)がどんなカタチで力になれるか、ブレストをする。実績のない会社にもかかわらず、大きな信頼と期待を寄せてくれる。 出版も教育事業もそうだけど、ボクたちを信じて、頼りにしてくれるところには命懸けで応えたいと思う。期待よりさらに上を行くお返しをし続けたいと思う。 逆に業者扱いされて、闇雲に値切られたり、駆け引きから入ると、仕事なので丁寧にソツなく社会人の対応はするけど、せっかくのご縁なのに、どうしてボクたちをうまく活かしてくれないんだろうと残念な気持ちになる。 大学の先生たちが帰り際に「もっと早くライトハウスを知っていたら良かった。力になってください」と言ってくれた。 こんな言葉をかけてもらって燃えないわけがない。 08 15, 2008
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レモンの木今朝は目覚まし時計無しで4時過ぎにスッキリと目が覚めた。 長年構想を練ってきた世界の日本語メディアを結ぶ「世界メディアアライアンス(仮称 世界日本語メディア協会)をいよいよ今年11月1日に発足させる。 メンバーも北米、南米、ハワイ、中国、東南アジアの地域の1番メディアが顔を揃える。 会の目的は、 ・同じメディアの経営者同士が、お互いの成功事例や失敗事例を学び、また悩みを相談できる関係を育み、各地域でのいっそうの経営の強化を図る(しっかり稼げる会社になる) こんなことを考えている。 そんな構想を膨らませていると居ても立ってもいられなくなるのだ。 一回目の総会でしっかり骨子を固めて、将来は本気でメディアづくりに取り組む多地域のメディアに加わっていただき、強い結びつきを持つ連合体を創りたいと願っている。 そんなことをまとめたり、連絡をしていたらもうすっかり外が明るくなった。 中庭に出て、大きな伸びをすると気持ちが良い。 レモンの木から、熟したレモンを何個かもいで、ギュッと絞ってペリエで割って飲んだら、クワッと目が覚めた。 今日も一日が楽しみだ! 08 14, 2008
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明日の先の設計図午後11時。や〜っと今日の仕事が一段落。 そうでなくても才能はイマイチで情熱だけの経営者だから「誰にも負けない努力」をせねばと仕事に打ち込んでいるのだけど、ライトハウスもLCEもさらに上をいく頑張りのメンバーや幹部がザクザクいる。本当に頭が下がるくらい。 うまくいくことがあったと思えば、こっちで失敗、あっちで玉砕の毎日だけど、毎晩毎朝このメンバーといっしょに仕事ができてありがとうと手を合わせている。 旅行も自転車もゴルフも楽しいけど、好きな仲間、かわいいメンバーと一進一退で夢を追いかける毎日が、ボクにとっては一番楽しくてシアワセを実感できる。 ボクらの仕事は、お客さんである読者にしても、広告主にしても、また研修生やHRのアプリカントにしても、失望させてしまったらダイレクトに返ってくるけど、シアワセになってもらえたら、それもまたストレートに返ってくるから。ドーンと。 人に喜んでもらえて、さらに人生にかかわれたり、人生の転機を贈ることもできるこの事業にすごく誇りを持っている。 だけど、もっともっと多くの人に良い影響ができるよう、世の中を前に進められるくらいになれるよう、明日の少し先の設計図をしっかり描いてゆかなくてはならない。メンバーやその家族の大切な人生を重ねてもらっているからね。 08 14, 2008
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ワイン三昧美味しいカリフォルニアワインをバーカウンターいっぱいに並べて、片っ端から飲み比べたりしたらさぞやシアワセであろうな。 そんな幸運、あるのですね。 日経新聞社の企画で、世界に冠たるカリフォルニアワイン(白)のナンバーワンを決める審査員に選んでもらった。 食の専門家やワインソムリエが居並ぶ豪華審査員に「なんでボク?」という話もある。それは一番本人が痛感している。 そこへ営業の瀬尾くんが「何で社長が選ばれたんですか?」と素朴で失礼な質問をぶつけてくる。 「酒、強いから」は関係ない。きっと酒を愛する気持ちが幸運を引き寄せたのだろう。 選考までのプロセスは、まず日経のスタッフの方たちが入念なリサーチのもと、100本を超える候補をリストアップして、そこからさらに専門家のアドバイスなどをもとに最終選考用に30本に絞り込んでくれる。 この30本をニューヨークとロサンゼルスで選ばれたそれぞれ5名の審査員が、点数とコメントをつけてベスト10を決めるという仕組みなのだ。 そして昨晩が選考の夜。 ボクのとなりは、「レバレッジ」シリーズで有名なビジネス書のベストセラー作家本田直之さん。彼は売れっ子作家にして、投資家にして、ワインソムリエ。 途中本田さんから声をかけられた。 「コミヤマさん、ひょっとして全部飲んでません?」 「い〜え、注いでる量が少ないだけです。でも良い気持ちいいなあ」 「それ、飲んでるよ」 「最後の方、点数甘くなりそう」 そんな楽しいやり取りをしながら30本を吟味。というか、晩酌。 みなさんは専門家らしいコメントを書いていたけど、ボクはと言えば「仲間と山小屋に行く時に持っていきたい一本」とか、「安いのに美味いから10人以上のパーティにおススメ」とか、書いている自分でわけがわからない。ボクのコメントはほとんど採用されないだろう。 はてさて。この様子は、日経新聞(米国版)の9月6日土曜日の号に掲載されます。 「幻の〜」とか、100ドルも200ドルもするような豪華なものではなく、ふだんの食卓から、ちょっと特別な日にフンパツできるくらいの、主に10ドル前後から30ドルくらいの範囲で、比較的入手しやすいワインを選んでくれていますよ。 08 13, 2008
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平凡な風景の中に朝会社に行く時に、ホーソン通りを南から北に向かう真っすぐの道路を走っていたら、メキシカンのおじさんが沿道の芝生の種を蒔いていた。 何気なく“緑の多い町で暮らしている”と思って生活しているけど、それは自分で作ったものでもなければ、自分が買ったものでもない。 ふだん見落としがちだけど、沿道の芝生も、季節の花も、街路樹も、手を汚して汗を流して、種蒔きをしてくれるヒトたちがいて、さらにさらに、その向こうに種を集めたり運んだりしてくれるヒトがいて、ボクたちの生活空間に潤いをもたらしてくれている。 そう思って注意してみると、ふだん意識もしない風景の中に、信号があり、標識があり、斜線があり、また自分を目的地に運んでくれる車があり、そのすべては誰かが作ってくれていて、それを運んできて設置してくれるヒトの存在がある。 そういうヒトの中には、機嫌が悪かったり、体調が優れないヒトもいるのだろうけど、家庭や職場で声をかけたり励ましたりして側で支えるヒトがいる。 街路樹の一本も、その向こうの何人ものヒトの「おかげ」があって存在する。 なにひとつ、当たり前じゃない。 ボクたちの視界は、困ったことや急を要すること、面白くないことが占拠しそうになるけど、それはきっと全体の中の限りなく数パーセントでしかなく、実は意識しないと見えない「ありがとう」に包まれて生きているのだと思う。つい、怒ったり、嘆いたり、不満を感じることもある人生だけど。 例えば誰かが、夢に出てくるくらい悩んだり、壁にぶち当っていたとしても、それは生きているからできることだし、越えられるから今その課題が用意されているのだ。 ということで、今週も元気だしていこう! 種蒔きのおじさんにムーチョグラシャス! 08 12, 2008
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寿司カウンターで日本出張から帰って二日目。 昨日は12時間も熟睡して、朝8時にスッキリ目覚めたので、早くも時差ボケ解消かと思ったら甘かった。 午前3時にパッチリと目が覚めた。 観念して、書斎で今回お会いした方たちにメールでお礼状を書きはじめた。
はてさて。 昨日は久しぶりに静かな土曜日を過ごした。 午前中は出張のレポートをまとめて、お昼はタイのナンバーワン情報誌「ワイズ」の社長西岡さんと数年ぶりに再会。 今まさに世界中の日本語情報誌をネットワーク化しようとしているメデァアライアンスの話で盛り上がる。 午後からは出張前に見そびれた「インディアナジョーンズ」を上映している映画館をカミサンにインターネットで探してもらう。 あったあった。ホーソン沿いに人気映画を遅れて上映する映画館が。 カミサンと出掛けていくと、ナント入場料が大人3ドル。安普請の小さな映画館だけど、懐かしい感じで悪くない。なにより3ドルはありがたい。 ストーリーは単純明快。期待通り楽しい映画を満喫できた。ハリソン・フォードは60歳代半ばなのにアクション満点の大活躍。 タータラッタ〜のメロディが耳についたまま、その足で親父をピックアップして3人で寿司をつまみにいく。 そう言えば、カミサンと寿司のカウンターに座るのは子どもが生まれてたぶん3回目。回転寿しならまだしも、子どもにカウンターは贅沢だから、家族ではあまり寿司屋の暖簾はくぐらない。 ボクの両脇で親父とカミサンが「おいしい、おいしい」と寿司を頬張る。 チビたちがいないのはすごく寂しいけど、たまにはこんなオトナだけの時間もシアワセだ。
だけど早く帰ってきてほしいなあ。 07 27, 2008
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本番スタートロサンゼルスまであと一時間くらい。 関空を発つ前に、書店で簿記・経理や決算書の読み方の本をドッサリ買った。 ボクは会社経営を20年もやっているのにそっちの知識がサッパリでこれまで会計士に任せっきり。 売上やコストはけっこう細かく把握しているけど、経営がだんだんと高度で複雑になっていく中で、決算書や損益計算書をしっかり読めるようにして、会社の経営分析をしっかりできるようにせねばならないと反省し、今さらながら勉強を始めることにした。今回は本を買って安心しないと決めている。 ウソです、マジメにやります。
はてさて。先のブログでも書いたけど、最後のアポイント10本勝負は、絵の具をおしまいまでしぼり出すようにチカラを出し切れた。 最後の方は脳味噌の電池が切れそうになって、糖分を摂取するために移動の電車で飴玉をボリボリ齧りながら次のアポイントにむかった。そのくらい、一本のアポイントに全エネルギーを注いで取り組んだ。
最近、自分で自分を変えられたと思う。どのアポイントでも決してあきらめない粘りが出てきた。
正直ボクは、こちらが熱心に伝えても、相手に脈や誠意がないと感じるや「これ以上話にならん」と途中であきらめて席を立つところがある。 また無礼なふるまいや悪意を感じたら、全身で憤慨してしまう未熟さと、謙虚さの欠落がある(いや、今も短気で思い切り未熟なんだけど)。 だけど近頃は、なかなか糸口がつかめなくても、席を立たれそうになっても、気まずい空気に支配されそうになっても、ボクの後ろで全社員が見ているつもりで決してあきらめない。
今回、ライトハウスがグループとしての転機になるような出来事がたくさんあった。 ボクたちが作ってきた教育プログラムや日米の態勢や姿勢を評価して、がっぷり四つに組んで(地域やターゲットがうまく棲み分けられるカタチで)日本での販売でタッグを組もうと言ってくれる会社を3社も得ることができた。 どの会社も名前ややっていることを聞いたら世の中みんなが知っているような立派な会社で、それぞれの社長が直接テーブルについて真剣勝負で対応してくださった。なにより、「ボクたちにしかできない」価値やメンバーを、正当に評価してくれたことがうれしかった。 世界のメディアとのアライアンスもいよいよ具体的な動きが出てきた。 LCEのHR事業も役員の間で徹底的に議論して方向感がハッキリした。 あとは日米のメンバーがキッチリ役割を果たしたら目指す領域でそれぞれが世界一になれる。 走り幅跳びの助走としてはちょっと長過ぎたけどいよいよここからが本番だ。 07 26, 2008
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