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what's new

込山洋一

灯台になるのだ

明日は4時起きで、北に2時間走った山中の自転車イベント(100キロ)に参加する。

それもあって、今朝は身体を慣らすのに5時過ぎから走った。

その時間はまだ夜明け前と言うより夜だ。

手で触れられそうに星がよく見えて、シアワセな気分。

帰ってひと泳ぎの後、昨晩の薬膳鍋の残りをベースに、サルサと大豆を大量投入した新野菜カレーをこしらえた。

こちらも上出来。弁当にも詰めて持ってきた。

自分の食器を洗いながら、キッチンの出窓から見える青空や、色とりどりの庭先の花々、青い芝生、光が反射して金色や虹色の色彩を放つスプリンクラーの放水、日常の中の美しい光景にここでもシアワセな気分。

さて、今日8月30日は、ロサンゼルス版とサンディエゴ版ライトハウスの発行日。

第1特集の
「(3時間で行けるほっこり旅)LA近郊温泉案内帖」
も楽しいのだけど、

もうひとつの特集
「(アメリカ人と肩を並べて活躍する)アメリカ発グローバル企業で働く日本人たち」
を老若男女すべての日本人に読んでほしい!

彼らがどんな人なのか、彼らの思想、人生背景、夢に編集者が迫った渾身の特集だ。

少しだけ紹介しよう。

「英語は二の次。自分の中に確固たるものがあれば大丈夫!」
ボーイング B787型機燃料系統リードエンジニア 
杉山剛さん

「アメリカで高く評価されるのは、確かな技術力と高い人間性」
マイクロソフト サービスエンジニア
中野かよこさん

「グイグイ前に出て自己主張、意見を話すクセをつけよう」
アマゾン ソフトウェアエンジニア 
橋本幸司さん

「“エレベーターピッチ”で夢を伝えられるように」
グーグル オペレーションマネージャー 
ウィドナー・かすみさん
(*エレベーターピッチ=起業家の多いシリコンバレーで生まれた言葉。起業家はエレベータの中で投資家に会ったら、行き先の階に着くまでに相手を説得できなければならない、という意味)

どうです?ワクワクするでしょ。

僕らライトハウスは、こんな情報や教育事業を通して、
世界を舞台に活躍する醍醐味や道筋を紹介して、日本人の人生の選択肢を広げ、到達点を高くできたらと願っている。

最後にライトハウスの社是を紹介しますね。

「アメリカに暮らす人、目指す人、アメリカでの成功を志す人と企業の灯台となる」

そう、みんなの灯台になれるよう今日も頑張るのだ。

*ライトハウスを入手できない方は、電子版をご覧ください。http://www.us-lighthouse.com
ホームページ左真ん中あたり(オレンジ色)の「メルマガ登録」に、メールアドレスを入力するだけで、毎号ホヤホヤのライトハウスが届きます。

08 30, 2013

大樹

超晴天の木曜日。今朝は自転車から帰ってきてプールでひと泳ぎ。

それからエノキとキャベツとジャコのカレーをこしらえた(最後にお酢を入れると味が引き締まる)。

カレーは満点の出来。自画自賛で始まる一日。

毎朝なのだけど、今朝はとくに気分がいい。

ずっと温めていたビジネスプランが、ここ数日でようやく輪郭を帯びてきたのだ。

日中うんうん唸っても出てこないのに、真夜中、夢に足りないピースがぽろぽろ現れるから不思議だ。

それをすぐメモに書き留める。

そんな日が続いた。

ようやく頭が整理できてきたので、今朝石上会計士に、自転車で走りながら意見を求めたら、

「それは繁盛する絵が描けますね。面白そうですね。いけますよ!」

と返ってきた。

ついでにアイデアを出してくれて構想が厚くなった。

ここからは幹部でブラッシュアップ。合宿かな。。

あと4ヶ月でライトハウスは創業から25周年。

僕は48歳になる。

みんなと土台を作ってきた25年だった。

地上よりも、むしろ根っこを深く深く掘り下げてきた感じ。

次の25年がいよいよ本番。

日清ラーメンの創業者も、48歳で事業を始めたそうだから、僕らだって力を重ねたら何だってできそうだ。

残りの人生を費やして、嵐にも雷にも負けない、天を貫くような強くてしなやかな大樹を育てようと思う。

08 29, 2013

人生を費やしてやりたいこと

8月22日。 午前6時前、今朝の自転車。

「今朝も居候を連れてきました〜!Yくんです」(先週は別の居候クンを連れてきていた)

「Yです!よろしくお願いします!」

自転車の相棒の石上会計士が連れてきた青年は、一昨年K大学での僕の拙い講演を聞いて、それがきっかけで、去年ライトハウス(LCE)の国際教育研修に参加したYくんだった。

Yくんはその研修でさらに夢が膨らみ、
この夏休み、企業研修でお世話になった石上さんのアパートに居候しつつ、事務所で見習いをさせてもらっていると言う。

縁が縁を呼ぶ。

それにしても石上さんも面倒見がイイ。

夜明けの風の中でYくんは、帰国して大学を卒業をしてから、アメリカに本留学して、将来はアメリカで働きたいと言う。

こうして、アメリカで、世界で、勝負する若者を、人生を費やして輩出したい。

 

 
08 23, 2013

SF−LA 500マイル・自転車旅行記(その9)

 8月20日、薄曇りの朝。

娘が毎朝こしらえてくれるケールやほうれん草が山盛り入った野菜ジュースを飲んで出社。

旅から帰ってきて今日で早3日。すでに遠い昔みたいだ。

昨日の朝礼では、真っ黒けに日焼けした僕を見て、10日ぶりのメンバーたちが遠慮なく笑ってた。

確かに、写真を人と撮ると、僕だけ逆光みたいに黒い。

記憶が風化してしまう前に、書き残したままの旅の最後の二日間を綴ろうと思う。

その前に今回の旅日記、、、

一方では、いつか息子が社会に出た頃、

「親父はこんな思いで僕と旅してたんだ」って、

このブログを通して、伝えられたらうれしいと思っている。

旅の間やたらと説教が多かったけど、長期的戦略的教育的配慮満載であったのだと気づくであろう。

9日間という時間は、親元を離れていく息子に、様々なことを伝えるには、十分な時間だったかわからない。

彼が生まれた時にどんな想いを込めて名前をつけたのか、

僕がアメリカに渡った理由、

23歳の時にライトハウスを始めた時の想い、

考えてみたら初めて息子にそんな話をした。

そして、一人前の男になるために、絶対に肝にすえてほしい3つのことを、毎晩のように話した。時にはまた同じ話をしてるという顔をしてたけど、かまわず伝え続けた。

一つ目は、「継続することの強さと大切さ」

ペダルの一漕ぎで進む距離は小さいけど、その積み重ねがサンフランシスコからロサンゼルスまでの500マイル(キロ)の距離に繋がってる。

とんでもないと思えるような夢や目標も、実はまったく同じで、今日、今、この瞬間の努力の積み重ねが、必ず自らをそこに導いてくれる。

愚直に努力を継続する力、自分と自分の未来を信じてやれる力は才能だし、天才にも勝る。

二つ目は、「常識や当たり前と言われること、大きい声を疑うこと、鵜呑みにしないこと」

今回僕らが翻弄されたGoogleマップの「推奨コース」然り、ガイドブック然り。

人からのアドバイス、テレビや新聞、活字、国、政府、先生の言葉、教室の中で語られる当たり前、常識、すべてにおいて絶対も完璧もない。

何が正しいか、何を選択するか、それは自分の頭で考えるということだ。

僕が社会に出て、自らの経験や先輩たちから学んだことだ。

三つ目は、「在り方(姿勢)」

不機嫌そうな顔をしていたら、僕はいつも叱りつける。

人間は一人で生きてるもんじゃない。不機嫌、あるいは不足が顔や態度や言葉に表れると、まわりにも不快感が伝染するし、自らの心も汚してしまう。

心が乱れていたり弱っているならことさら、表情から、発する言葉から、態度から、明るく前向きに変えることだ。

環境はすべて自分の鏡。

「常に明るく前向きに、夢と希望を抱いて、素直な心で」だ。

これは僕の大好きな稲盛和夫さんの言葉だ。

どのくらい頭に入ったかわからない。でも耳にできたタコがいつか生きる日が来る。

先週の金曜日まで時間を遡ろう。

旅の8日目(自転車7日目)の朝は、サンタバーバラのB&Bで迎えた。

この日は、久しぶりに温かいフランスパンとコーヒーの朝食を食べて9時半に出発。

連日のハードな坂に、玄の膝の痛みが増していた。言葉で弱音は吐かなくても、顔や様子を見たらわかる。これ以上、激しい坂は上らせたくない。

山の中に何度も切れ込む、この日のGoogle推奨コースは無視して、反対方向の海岸線にハンドルを向けた。道が繋がっている確証はないけど、そこは出たとこ勝負。

サンタバーバラのビーチは、沖にヨットが帆を浮かべ、ジョギングをする人、犬の散歩をする人、芝生に寝転がる人、カップルの老夫妻、それぞれの朝を楽しんでいるようだった。やはり美しい街だ。

終日刺すような猛暑の前日とは一転して、マリブへの道のりは、ほぼ一日冷んやり爽やかなシーブリーズに吹かれながら走れることができた。

アメリカはその町の税収や行政の考え方によって、ローカルの道の様子がまったく異なり、それは自転車専用道や標識の充実度にも反映される。

道そのものも、デコボコのヒビだらけの道もあれば、滑らかなアイスリンクのような道もあり、それが市の境界線で変化したりする。

傾向として農業の町は、自転車道など二の次三の次という感じで、道そのものが荒れていて走りにくかった。

逆にサンタバーバラやマリブなど、固定資産税がザクザク入ってきそうな町は、美観や機能性に手間とお金が掛かっている印象だ。

結局この日も、袋小路にはまったり、右往左往しながらも、サンタバーバラ、サンバラディノ、オックスナードを経て、なんとか海沿いのルートだけでマリブに抜けることができた。

無事一日を終えたものの、顔を歪めて膝のマッサージをする玄が痛々しい。

そして最終日の8月17日。

サンタモニカからレドンドビーチの南端まで、お見事に自転車専用道が一気通貫していた。

ベニスビーチ、エルセゴンド、マリナデルレイ、マンハッタンビーチ、ハモサビーチ、レドンドビーチ、、、旅の最後のご褒美のように、美しいコーストラインの中を、自動車に脅かされることなく、ゆったり走ることができた。

ところで1号線。

当初の「1号線を南下すれば帰って来れる」というのは思い切り思い込みの妄想で、突然フリーウェイになって侵入禁止になったかと思えば、唐突に自転車を受け入れたりする。

また突然消えてなくなったかと思えば、どこからともなく生えてくる。1号線の「1」は、1番信用できないの「1」で、1番怪しいの「1」だとよくわかった。

フリーウェイ全般についても、原則自転車の侵入を禁止しているようなのだけど、例外も散見された。

また、稀にハイウェイでは、自転車専用車線が突然消えて無くなり、真横から新しい自転車専用道が生えて来たりする。

当然今走っていた道は自動車道に変わり、ぼうっと走っていたらトレーラーにぺちゃんこにされる運命が待ってたりしてまったく油断ならない。

話をレドンドビーチの自転車専用道に戻そう。

ここを走り終えてから、最後の難関が待っていた。

パロスバーデスの坂道を、麓から頂上まで上り切らなくてはゴールの自宅に帰り着けない。

麓で膝を確認するようにさする玄。そして大きく深呼吸をして上り始めた。

歩くより遅いくらいのスピードしか出せない。顔が赤く歪んでいく。

代わってやりたいけど、代わってやることはできない。

僕が先を走り、しばらくして振り返るといつの間にか姿が見えない。

慌てて坂を戻ると、玄は膝に手を当て、半分うずくまるように立っていた。

「大丈夫か、転んだのか」

「いや、膝がプチンって音がした」

「もういい、迎えに来てもらおう」

「絶対にイヤだ。最後まで走る。ここまで来て諦めるのは絶対にイヤだ」

「・・・・・」

それから30分あまり。

自転車を押して歩いては乗って、また降りて少し押しては乗った。

そして、、、ついに住み慣れた我が家に到着することができた。

息子の表情からかすかに笑顔が浮かんだ。そして、真っ黒けの顔同士強く抱き合った。

西海岸500マイル。自転車を漕いでた時間は約70時間。

今回の旅から、僕自身も大切なことを学んだ。

旅も人生といっしょで「どうしてくれるの?(何が与えられるか)」ではなく、自らがハンドルを握り「どうするか(いかに生きるか)」だった。

道が悪い(ない?)、車が危ない、宿が見つからない、水が切れそう、食糧が尽きる、陽が暮れた、足腰が痛い、病気になった、財布を無くした、、、それらは全部自分のリスクで、自分自身の責任なんだ。

会社で、仕事が面白くない、景気が悪い、上司がアホだ、同僚が意地悪だ、部下が気が利かない、給料が安い、、、そんなことをボヤいても何も変わらないし生み出さないのといっしょだ。

旅も仕事も人生も、自らが切り拓き、創造しなくちゃ面白くない。。

 

 
08 23, 2013

SF−LA 500マイル・自転車旅行記(その8)

 8月16日の早朝。サンタバーバラでこの旅日記を書いている。

ゴールのパロスバーデスまでとうとう残り118マイル。。

明日の夕方にはこの旅を終えることになりそうだ。

大学生にもなる息子と、ほぼ毎日同じベッドに寝て(ツインの部屋がほとんどない!)、毎食いっしょに食って、毎日ハイタッチして、時々ケンカもして、小さなことで笑い合う贅沢な時間も、いったんはおしまいだ。

息子が10年間剣道に打ち込んでいる間は、稽古でまとまった休みは取れなかったから、この日々、この旅は、密かなる夢だった。

はてさて。。

旅を自分でコントロールしている感覚、なんてFacebookに書いてるのを神様が読んだのかもしれない。

「ほぅ、そうなんだ。。やるじゃん」

昨日は「試練」の波状攻撃で、すでに陽が落ちた8時半に宿に辿り着いた頃には、無事一日を終えられた安堵感で鼻の奥が熱くなったくらいだ。

試練のカルテッド。

その1は「暑さ」。

一昨日、モロベイから内陸に入ったあたりから暑くなってきたけど、昨日は一日石鍋の中を走っているように熱かった。

頭はクラクラするし、日差しは、目に肌に刺さる。

飲んだ水はそのまま汗で噴き出す。

たった一日で、シャツもパンツも手袋も、汗が乾いた塩で白くなったくらい。

休憩地点で買った1リットルのダイエットコークの美味かったこと。喉をゴクゴク鳴らして飲んで、なおかつおかわりをした。この感覚は学生時代のラグビーの夏合宿だ。

これ、序の口。

試練の2番手は「高度」。

急な勾配で知られるパロスバーデスを毎朝上っているけど、サンタバーバラに抜ける154号線の山脈は、パロスバーデスの坂がタラちゃんとかイクラちゃんに見えるくらい、大人の坂だった。

見上げる坂の果てが頂上付近と思いきや、それが無数に繰り返される。1時間をとうに超えてもまだ坂は続く。まさか太陽にぶつかりはしないか、半分不安になった。

「この坂はタフだね」

息子の口から初めてタフという言葉が出た。僕に笑かけようとしているけど、表情から疲れがにじみ出ている。

試練3つ目は、「Googleマップと交通規制の整合性」。

Googleマップでは、ハイウェイ(自転車が走行可能)の表示になっているところが、フリーウェイの拡張で、走れなくなっているところが多かった。

また、道路の作戦変更で、道が一方通行になって、侵入できなくなっていたりする。

そのために、大きく迂回したり、先の山越えを余儀無くされたりした。

上記の3つはそれでも「とほほ」で済む。

「とほほ」

「とほほ」は後で笑いの種になるし、心と身体を鍛えてくれるから良いのだけど、最後の試練はいただけなかった。

4つ目は「安全性」。

南カリフォルニアに入ったあたりから、道が自転車に対して極端に薄情になった。

自転車がシンデレラなら、道は継母。

あんたなんかうちの娘じゃないのよフン、って意志が道に現れている。

それまで1.5〜2mあった自転車専用の路肩が、街中では無くなって、車と同じ車線を走らなくてはならない。

それはまだいい。

時速でせいぜい30マイル(50キロ弱)だから、まだ端っこをおとなしく走っていたら大事故の可能性は低い。

心底怖かったのはハイウェイ。

1フィート(30センチ)を切るような極細の路肩が平気で続き、その真横を時速60マイル(100キロ弱)、時には70マイルを超えるようなトラックや乗用車がビュンビュン走っていく。

狭い路肩には、漬物石のような落石やネジ、排水溝など障害物が控えている。(実際、玄は石にハンドルを取られて、幸いにも道路の反対側に転倒した)

そんな中、多くの車はスペースを確保して通過してくれるけど、中には十分な車道のスペースがあるにもかかわらず、意図的としか思えない数十センチの間隔で通過する車がある。

日本でもアメリカでもあるけど、自転車への嫌がらせだ。

先を走らせる玄の自転車が、そんな車の風圧で揺れるのを見ると、ミサイルを搭載した自転車で来ればよかったと唇を噛んだ。

山脈の頂上から、サンタバーバラへ一気に下る坂道は今思い出しても恐ろしい。車の車線までが双方向で狭くなり、そうでなくても横の車間距離が狭いところへ、アクセル全開で玄の横を通り過ぎていく。

対向車と進行車と玄が重なる度にヒヤリと息を飲む。

その度に、神様、オレの寿命がいくら減ってもいいからコイツを助けてください、と心で叫んだ。

だから、無事に宿に辿り着けた時には、鼻の奥が高温になったのですね。

いや、生きてて良かった。

それにしても、神様が昔からキチンとカウントしていたら、すでに300年前にオレは生きていないんだろうなあと、後から冷たいビールを飲みながら気づいた。

 

 
08 23, 2013

SF−LA 500マイル・自転車旅行記(その7)

 8月15日の朝。快晴。

サンタマリアという町で書いている。旅日記もとうとう7日目(自転車は6日目)。

計画通りに走ることができたら、明後日(土曜日)の夜には完走する。

昨日も一日山々山だった。

足腰こそ多少痛いけど、それ以上に身体が慣れてきたようで、平均10時間くらい毎日自転車を漕いで、5000kcal以上余分に燃焼しているのに、そんなに疲れが残らない。むしろ元気になって行く気がする。

当初は、スペインの闘牛の角にしがみついて、ひたすら振り回されるような感覚の旅だったけど、ようやく自分でコントロールしている感覚が持てるようになってきた。

この旅で気づいた小さな発見。

地の果てまで続くいちご畑を走る時、甘酸っぱく爽やかないちごの香りが鼻腔をくすぐり、疲れを吹き飛ばしてくれる。

キャベツ畑は、意外や野菜炒めの匂いがする。野菜炒めがキャベツの匂いだったと言うべきか。。

森林を抜ける道には、心を穏やかにしてくれる森の香りがある。

ぶどう畑は、視覚を伝ってワインを想起させ、一刻も早くワインを飲みたい気持ちがペダルに伝導して、目的地により早く到着させてくれる。

自転車の旅は五感の旅でもあるのだ。

今日は、サンタバーバラを目標に70マイル。

明日は、マリブまで70マイル。

明後日は、マリブからパロスバーデスの自宅まで50マイル。

今日明日のルートは、車だと海岸線の比較的フラットなルートだけど、自転車ルートはぐぐぐぐぐっと内陸の山脈に切れ込み、Googleマップを指でたどると、それだけでうめき声が漏れるくらい坂三昧だ。

最後まで楽しませてくれる。

さ、今日も元気に走ってきます!

 
08 23, 2013

SF−LA 500マイル・自転車旅行記(その6)

 出発前に、昨日の話を書いておこう。

カーメルの朝は、カモメの強烈な“騒音”で目覚めた。

あんまりうるさく、催促でもされているような合唱に、一瞬ワシはやつらの食事当番だっけと錯覚した。

今日の目的地は、サンシメオン。カーメルから94マイル(150キロ)

僕は小学生の頃から自転車小僧だけど、そんな距離は走ったことがない。まして玄にとっては、毎日が初めてでチャレンジだ。

実際走ってみると、20マイルおきくらいの間隔で宿はあったのだけど、Expedia で検索した限りでは、カーメルから40マイル以降は、サンシメオンまで宿泊施設はなかった。

野宿の備えはない。自転車の故障、体調不良や怪我、様々なリスクが脳裏をかすめる。チャレンジは大切だけど、無謀であってもいけない。

午後5時の時点で、その日のうちに到着できるメドが立っていなかったら、自転車を2台積める車を見つけて、拝んで頼んでヒッチハイクに切り替えよう。

何マイルかおきに展望ポイントがあるから、そこなら車も必ず日没までに見つかるだろう。

そういう作戦で出発した。

この日は、1号線を西海岸に沿って一直線。

距離は長いけど、道を探したり迷ったりする心配はない。

断崖に低く垂れ込めた雲海。その中を潜ったり、太陽の下に抜けてを繰り返す。

一日絶景が続くけれど、同時に一日強烈な坂も続く。

玄が気づいたのだけど、この一帯の観光客は、州外やヨーロッパからの人が多い。ネバダやオレゴンは序の口で、ニューヨークのナンバープレートも見かける。レストランでは、耳を澄ますとフランス語や聞き慣れない言葉がよく耳に入ってくる。

それだけ、カリフォルニアは世界から人を惹きつける観光資源を持っているのだ。

景色のいいポイントで休憩している時に、玄がポピーを指差して言った。

「パパ、あれ何か知ってる。カリフォルニアの州の花のダンデライオンだよ」

「おまえさ、これはポピー。ダンデライオンはタンポポでこれじゃねえよ」

玄が顔を赤くする。

「言った相手が、お前の未来の嫁さんじゃなくって、パパでよかったな。そんなの知らなかったら逃げ出すと思うぜ」

足腰はふらふらだけど、毎日笑いには事欠かない。

夕方の7時の時点で、道沿いにロッジを見つけた。

すでに75マイル走っている。残り17マイルをこのペースで走ると、9時を回るだろう。膝も痛そうだし、これ以上を無理はさせられない。

「玄、ここで泊まろう。今日はもう十分に走った。明日に疲れも残るし、今日はここでゆっくりしよう」

「パパ、僕なら大丈夫だよ。頑張って走り切ろうよ。最初の二日ともゴールまで行けなかったから悔しいんだ。ゴールまで諦めないで走り切りたいんだ」

よし!何時になっても走り切る腹を決めた。その時点でサンシメオンに宿の予約もした。

幸いにも、そこから急な坂はもう無かった。

「パパ、頑張るぞーっ!」

それまで、プレッシャーが掛かると、僕の前を走りたがらなかった玄が先頭を切って走り出した。

どこに残っていたのだろうという驚異的なペースで。

夕焼けに自転車を漕ぐふたつの影が伸びていく。

丘陵と太平洋が夕焼けに燃えて、幻想的な風景が広がる。

息子の背中を眺めながら、だらしがない坊主とばかり思っていたけど、少しは骨があるのかなと思えた。

そして今自分は、人生でもっともシアワセな時間を過ごさせてもらっているんだと感謝した。

70分後、トップスピードのままロッジに到着して、ハイタッチをした。

 
08 23, 2013

SF−LA 500マイル・自転車旅行記(その5)

 8月14日(水曜日)の朝。快晴。

サンフランシスコとパロスバーデス(我が家)のほぼ中間、サンシメオンという街のロッジで、この旅日記を書いている。

息子との二人旅は6日目、自転車旅の5日目になる。

そう、残り約250マイル(400キロ)、ここまで4日間で250マイル走ったことになる。

旅の真ん中だ。

親子ともども、足も、膝も、腰も立派に痛い。腕も腿も半分ヤケドでヒリヒリする。

でも、今日も力強くペダルを踏めそうだ。慢性の時差ぼけも遠い昔のようだし、むしろ身体が進化している気がする。

ここまで走って、迷って、悶絶して、発見できたこと。

アメリカを自転車で旅行する時、Googleマップは力強い味方なのだけど、地図上でフリーウェイは色付き(黄色)で表示される。

で、自転車はフリーウェイを走れないから、黄色を避けて、コースを決めたら良いのだけど、ローカルの道だけで行くのはコース選定の難易度が高い。

簡単な方法は、目的地を入力する時に、移動手段の選択(車、徒歩、バス)を「徒歩」にしたら、勝手に自転車が走れるルート設定になるのだ。

答一発カシオミニ。(若い方ごめんなさい。古いです)

今さらわかったというか気づいたのだけど、もし最初からわかっていたら、1日目と2日目のあの経験を得ることができなかったから、やっぱり今が最善最適なのだと思う。

人生で、思い出す度笑える経験なんてそうそうないから。。仕事もそうだけど、順風満帆より、泣きそうに苦労して乗り越えたことの方が、多くを教えてくれるし、宝になる。

一昨日に時計を戻そう。

この日は、モントレーからカーメルに抜ける“17マイル ドライブ”を3時間かけてサイクリング。ここでは、玄が鷹と鹿を発見。ペブルビーチのゴルフコースよりそっちに興味がいく。

ロッジに到着後は、シャワーを浴びながらまず洗濯。

そう、息子は来月からオレゴンの大学に入学するために家を出る。短期の留学やサマーキャンプ以外で初めて親もとを離れていく。

だから、せめてこの旅では、最低限の習慣を身につけさせてやることにしている。

旅では、自分の下着は毎日自分で洗って干すこと。

脱衣所は、使った後に水を拭いておくこと。

前の晩(できれば部屋に入った直後)に、次の日の準備は済ませておくこと。出発前に慌てるのはペケ。

部屋を出る前に、使ったタオルをシンクにまとめて、部屋を片付けること。ベッドを整えること。

お掃除の人が不快な思いをしないか、を基準にすればいい。

寮生活が始まれば、母親もメイドさんもいない。当たり前だけど。

そんなことを口うるさく言われるものだから、少しずつマシになってきている。

家だと、耳を塞いで車で脱出できるけど、ここには逃げ場がない。この機会を逃す手はないのだ。

父親らしいことを言っているけど、玄も負けてはいない。

肘をついて食事をすると厳しく咎める。

「僕がいつかお嫁さんを紹介した時に、そんなところは見せられないからね」

レストランの注文では「僕が頼むのを聞いててくれた。パパのはただ注文してるだけで、サーバーの人への丁寧さが足りないの。サーバーの人が気持ちいい言葉を使って。僕がいるうちにしっかり覚えてよ」と宣う。

旅を終える頃には、親子でそうとう紳士になっているかもしれない。。

 

 
08 23, 2013

SF−LA 500マイル・自転車旅行記(その4)

 

 旅の4日目。海鳥の鳴き声で目が覚めた。

ここはモントレー。昨夜は暗くてわからなかったけど、海が近いようだ。

って書くと優雅だけど、腰痛で寝転がって書いている。両手両足も筋肉痛で鎧をまとっているみたい。いてえ。

昨日は自転車の2日目。走りました。2日続けて70マイル(110キロ強)越え。連日10時間以上自転車の上にいた。

アメリカ自転車縦断を終えたばかりの知人の安部さんから、

「サンタクルーズからモントレーまでは、自転車で走れるルートがあっちに行ったり、こっちに行ったり、フリーウェイを挟んで右や左、いちご畑の真ん中を本当にこっちでいいのかと心配するようなところもありました」

と、事前にアドバイスを受けていたけど、いや凄まじかったし、認識が甘かった。

実は昨日の最終目的地は、モントレーの先にある街カーメルだった。

カーメル。

迷うくらいオシャレな飲食店やワイナリー、小物や骨董の店が軒を連ねるしっとり美しいオトナの街だ。

ロサンゼルス以外で住んで見たいと思ったのは、シアトルとサンディエゴ、そしてこの街くらい。

ここで話を昨日の朝に戻します。

テントからカーメルまでの距離は、すでに60マイルを切っていたので、朝は9時半にゆっくり出発。

予定通りサンタクルーズには正午前に到着。

玄が頻繁に膝を揉み出したので、午後2時まで念入りにストレッチをしてたっぷり休息を取った。

Googleマップによると、カーメルまで残り40マイル。

4時間くらい掛かるとして、6時に着いてシャワーをまず浴びよう。先に洗濯も済ませて、あのワイナリーでテイスティングをして、それからお店を見て歩いて、今夜はこのあたりの産地のワインでイタリアンでも食べるとするか。

そんな優雅な作戦を、午後の2時の時点で思い浮かべていた。

余談だけど、玄は前を走る僕の頭をハンバーガーに見立てて、早く走るモチベーションにしたそうだ。似るもんだ。

休憩を終えて、ローカルの道から1号線に戻ったところで、作戦がほころび始めた。

いつの間にか、道がフリーウェイになって侵入できない。。

Googleマップで周辺の道を探しても、ローカルのくねくねした道ばかり。

指でマップをたどっても、複雑すぎて途方もなくて、さっぱり目的地には繋がらない。

安部さんの言ってたのはこのことか。

少し気持ちが重くなる。

が、いかんいかん、目的地に着くことが目的じゃなく、旅そのものを味わい尽くすことが目的なんだ。風景も、想定外も、ピンチも、アクシデントもすべて楽しまなくっちゃ。

マップで、より南方向に行けそうな道を見つけては、頭にイメージして、通りの名前を暗唱しながらペダルを踏む。

ふつうの民家や学校があるローカルの道で、それを頻繁に繰り返しても、なかなか目的地との距離は縮まない。

たまに真っ直ぐ太い道を発掘して喜んでいると、山の麓で行き止まり。

中には、その後の迂回が気絶するくらい大回りだったりする。

例えて言うなら、横浜から東京に行くのに、モスクワを経由する感じ。もう、意味不明なのだ。

時々振り返ると、玄が豆粒みたいに遠くにいる。膝の痛みが大きくなってきているようだ。

気がつくと時計は6時どころか7時を回っている。空は雨雲が垂れ込め、今にも降り出しそうだ。

おまけに昨日より陽が落ちるのが早いのではないかと思ったら、サングラスを外してなかった。

気が遠くなるような迂回の後に、マップ上の1号線の色が変わっているのを発見。

やった。1号線が走れる!

ペダルが軽く感じられる。目的地がみるみる近くなる。

が、残り10マイルを切ったところで、道は前触れもなくフリーウェイに変わった。短い。

それもパトカーが丁寧に教えてくれた。ありがとうごくろうさま。

すっかり暗くなったローカルの道を再び走る。

道の両側には、ホテルやレストランがいくらでもある。でも、昨日の失敗があったから、予めExpediaでカーメルにロッジを予約済みなのだ。裏目大会。

もう止まりたい!

と、水戸黄門の歌がこだまする。

“泣くのがイヤなら、さ〜あ歩ぅけ〜”

深い歌だったんだ。。

「晩ゴハンの後、バニラアイス食べていい?」

足が痛かろうに、明るく振る舞う息子に気持ちが再充電。

「ひとくち食わせろよ」

互いに笑みがこぼれる。

繁華街はやがて暗くなり、一本道を真っ直ぐに進むと、勝手にフリーウェイに侵入していた。

路肩が狭くて後戻りするのも危ない。すぐ横を猛烈なスピードで車やトラックがビュンビュン通り過ぎていく。

わしゃ何やっとんじゃい。。

自転車を降りて、玄を前に歩かせる。短い時間がとても長く感じられた。

次の出口を降りると、モントレーだった。

落ち着いてGoogleマップを確認する。

すぐそこ(6マイル)なのに、山に囲まれたカーメルにたどり着くには、西に出て17マイルドライブに迂回して行くしか選択がなさそうだ。

推定25マイル前後。時計は9時。あと3時間走れるか、走る意味が見出せるか。

この時点で、断念。じゃなくって作戦変更。

今夜はモントレーで泊まる!

明日はモントレーの水族館を見物して、17マイルを優雅にサイクリングして、カーメルを午後からゆったり楽しむ!

最初に目に入ったトラベロッジにチェックインして、順番に熱いシャワーを浴びた。

すでにどこの店も閉まっているので、ふだんは非常事態以外に行くことのないデニーズに行った。まあ非常事態といえばそうなんだけど。

ステーキの後は、ストロベリーやナッツをもりもりのバニラアイスを玄が注文した。

「もう一口くれ」を3回くらいもらった。

 
08 23, 2013

SF−LA 500マイル・自転車旅行記(その3)

 

2日目の夜、テントでこれを書いている。ホテルでもモーテルでもなく、モンゴルのゲルの6畳版みたいなテントだ(写真参照)

電話もWi-Fiも使えない。大自然の小さな小屋。

時計を今朝まで戻すと、サンフランシスコでゴールデンゲートブリッジを根っこから眺めた後、せっかくなので橋の向こう岸まで渡って往復してみた。

橋は真ん中を車が走り、片側は歩行者、もう片側は自転車が走れる。小さな子供の親子連れもレンタルバイクでけっこう見かける。みんな楽しそうだ。ゆっくり走っても往復で30分くらい。

それから海沿いの道を地図で探しながら南へ南へ。1号線と思ってたけど、海岸沿いの道を見つけてはそっちを走る。夏なのに風が冷んやり気持ちいい。

途中、美しい湖のほとりを走っていたのだけど、どこか懐かしい風景。これをデジャブというのかと感心してたら、息子の玄(はるか)が「パパ、この道さっき も走ったよ」と確信を持って言う。地図に照らしたら、同じ湖の周りをぐるぐる回ってた。虎だったらバターになるところだった。(ちび黒サンボ参照)

それにしても、1号線は海沿いで平坦な道ばかりかと思っていたけど、それは車での記憶。自転車で漕いで走ると、なかなか立派に坂のデパートだ。下るのはあっという間で、上るのは何倍も時間を費やすから立ち漕ぎばかり。旅が終わる頃には彫刻のような身体になってそうだ。

それでも寄り道や回り道をした割には、午後3時半に今日の宿泊地候補だったハーフムーンベイに到着。

さあこの辺りで宿を取ろうと思ったら、息子がもう少し走ろうと言う。

うーん。確かに陽も高いし、もう30分か1時間も走ってから決めてもいいか。

これ、判断ミス。軽く考えてた。

ハーフムーンベイまではパラパラでも途切れることなく続いていた宿が、ピタリと無くなった。

Expediaもyelpも検索不可。

じわじわと落ちる陽。下がっていく気温。残りの水も食料もあとわずか。慌てた頃にはすでに8時間走りっ放し。

視界からは人工物が無くなり大自然の真ん中に取り残されたような気分。

結局ハーフムーンベイから、3時間30マイル(約50キロ)宿はなかった。

玄が平気な顔でついてくるのが救いだった。

小さい頃、ヤツが夜中によく高熱を出して、救急病院に駆け込んだ記憶が蘇った。勉強はしないし、部屋は汚いし、万事だらしないけど、思いやりのあるいいヤツには育ってくれたと思う。

途中ようやくたどり着いたペリカンポイント灯台のホステルも満室。

再び横風を受けながら黙々と走った。

そして、その30分後に見つけたのが、この宿。というか、このテント。

テントと言っても、ベッドはついていて、コンセントもある。窓も割れていないし、電球も点く。これで135ドルも取られるのはシャクだけど、他に選択肢がないからありがたいといえばありがたい。

お湯の出るシャワーを浴びて、地ビールを飲んで、温かいスープとリブを食べたら、心も身体もすっかり解凍された。

山小屋のレストランからテントに帰る夜道、満天の星空をしばらく立ち止まって眺めた。

 
08 23, 2013