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込山洋一

胸の痞(つか)え

昨夜はガーデナの「新撰組」で美味いモツ鍋をつつきながら、牛角USAの社長で友人の早川氏(写真)と痛飲した。
早川氏は世代も近く、毎月のようにソフトボールをやったり酒を飲む、良きライバルであり同志だ。役者張りのマスクがいただけないが、人の痛みのわかる大好きな仲間のひとりだ。
 
牛角は早川氏の強いリーダーシップのもと、現在全米8店舗、国際色豊かな300名近いスタッフが働いている。ビバリーヒルズやマンハッタン、そして今月オープンしたパサデナ店など、とりわけアンテナが敏感で口の肥えたアメリカ人に愛され、競争の激しい飲食業界で急成長を続けている。
 
高校時代はMTB(マウンテンバイク)の日本代表選手として世界選手権にも出場した早川氏の夢は、日本の焼肉をアメリカの文化として定着させること。それは牛角チェーンの全米制覇を意味する。
 
私の夢は、事業を通して、この南カリフォルニア20万人の日系社会が活性化拡大すること。それは、もっともっと日本の若者や企業が移り住み、日本人同士が助け合い結束する、韓国人や中国人に負けない強い日系コミュニティを創ることだ。
 
そしてそれと並行して、世界中の日本語メディアをネットワークして、世界主要都市のメディアが、日本に向けて情報発信することで、もっともっと日本の若者や企業が(時間とお金をセーブして)海外に進出して、世界中どこででも当たり前に日本人が活躍できる世の中「和僑」の礎(いしずえ)を創ることだ。
 
そんなお互いの夢の実現も、メンバー全員の日々の小さな努力、失敗と改善、泥臭い作業の積み重ねなくしてはありえなくて、99%は地味でタフな毎日の取組みだと思う。経営者や幹部社員は、夢や目標というポジティブな要素とともに、小さな綻(ほころ)びに敏感でなくてはならないし、失敗や無駄が改善されるよう、小さなことこそ大切にして、思いを伝え続けなくてはならない。
 
ライトハウスのメンバーは、生まれた環境は違えども、日本の文化と教育の中で育ってきたから、1を聞いたら10と言わずとも、5つ6つ悟ろうとするのが習慣であり当たり前のことだけど、早川氏の多国籍軍メンバーは多種多様な言語、文化、教育の中から集まってくるから、共通する常識というものがそれぞれまったく異なる。だから、1つのことを定着させるために、10,20の言葉を尽くさなくてはならないという。
 
酒が進むと、叱り過ぎたんじゃないか、本当は自分に非があったのではないか、取り返しのつかない言葉を吐いてしまった・・・、そんな胸の痞(つか)えを明かすこともある。会社でも家でも言えない、あるいは認めたくない、そんな情けない自分が晒せる仲間はそうそういないし、そういう存在がいることはありがたいことだと思う。
 
04 21, 2006

地中海・日食をめざして (後)

(3月29日)
10時過ぎに12階のトップデッキに上がると、お母さんとひろみちゃんが日食の場所を確保してくれていた。日食まで2時間以上あるが、トップデッキや船首のあたりは、いかにも天体をやってそうな風貌のヨーロッパ人が、本格的な機材を組み立てている。

今回、日食が見られるのは地中海からリビアにかけてのわずかなエリアに限られるのだが、船長がアフリカ側の天候不順を予測して、より北側の晴天のエリアに舵を切ってくれている。日食の30分前には船の行き足を完全に停止して、今回のクルーズのハイライト日食に備える。

12時27分、船内放送で日食が始まることをアナウンス。
12時32分、いよいよ日食が始まる。首が痛くならないよう、太陽の角度に合わせてデッキチェアに仰向けになり、日食用サングラスと、双眼鏡にフォルムを貼り付けたものを交互に覗き込む。

フィルム越しの太陽は溶けそうに鮮やかなオレンジ色。そのオレンジが少し欠けて、ダイエーのロゴになる。やがてダイエーはマスターカードに姿を変え、次第に三日月のように痩せていく。いよいよ最後は一本の弧になり、あたりの温度が急速に下がる。

弧は加速してその身を縮め、とうとう点となりぽっと消えた。
その瞬間、空は青紫色に染まり、石川氏の指差す先に金星が浮かぶ。


船全体から歓声が沸きあがる。
月の輪郭にプロミネンスが揺れる。

4分後。完全に隠れた太陽が再び顔を覗かせる。それを船が汽笛で応える。再び、デッキは拍手と歓声に包まれ、人々は抱き合い、握手を交わし、それぞれの喜びを身体いっぱいで表現する。言い知れぬ感動で、大粒の涙がこぼれそうになる。いやボロボロこぼれた。プロにして、誰より思い入れの強い石川氏は、胸に穴が開いてしまったと翌日まですっかり抜け殻になった。こんな機会をくれた石川夫妻にしみじみ感謝。

その日の夕方、事件が起きた。
3時頃に「30分で帰ってくる」と部屋を出た息子が、6時を過ぎても帰ってこないのだ。暢気にかまえていたけどあまりにも遅すぎる。卓球場、サッカーゲーム、ゲームセンター、船内の思いつくところをみんなで手分けして探すけど見つからない。不安が暗い焦りになる。何かに巻き込まれたのか。船内の華やかな内装すべてが色を失う。早足でもう一度祈るような気持ちで心当たりを回ったが見つからない。努めて冷静に、あらゆる状況をシュミレーションしながら部屋にもどると、泣きそうな顔で肩を落とし、うな垂れる息子が立っていた。時間をすっかり忘れて、友達と遊び歩いて、最後にゲームセンターにいるところを家内が見つけたらしい。

思わず拳を握ったが、自分もまたそうであったことを思い出した。いや、正確にはこの歳になっても何かに意識が行くと、一切の音が入らなくなるし、見えなくなってしまう。それでずいぶん迷惑をかけている。遺伝だな。諦めにも似た思いが広がる。それでも肩に手を置いて「お前がどんなに大切な存在かを忘れるな」と絞り出したら、息子は堰を切ったように泣いた。こっちもつられて熱いのがこみあげ、喉の奥で飲み込んだ。

その夜は乗組員によるナイトショー。
世界の歌やダンスが続く。みな芸達者だ。いや、私もいけるかな。ふとアイドル衣装の南米女性に目を凝らした。あれま。うちの部屋のメイドのシーラじゃないか。舞台から目が合うとにっこり合図をくれた。うれしいような困った気持ちになる。横目で見ると、まだ鼻の赤い息子が小さく手を振っている。

 (3月30日)
ゆっくり起きてブランチへ。この日はイタリアンのバフェで、赤ワインをハーフボトル。野菜のラザニアがイケる。

午後は帳面を広げて、事業の構想やフォーメーションについて棚卸をする。お金を稼いでこその事業なのだけど、その前に、読者の信頼とか、メディアとしての使命とか、あるいは広告主のケアとか、大切なことが留守になっていないか振り返る。課題は尽きないけど、改善・成長をし続けることが事業の醍醐味だ。

今回、ヨーロッパの人たちと接するなかで、改めて思いを強くしたのだけど、もう大きさは追わない。もっともっと強い会社を創ろうと決意を新たにした。強い会社とは、財務基盤はもちろんだが、オンリーワンを持っていて、顧客に愛され(喜ばれ)、社員が物心ともに豊かになり、世の中に必要とされる会社だ。人生の後半戦、これからも良い仕事をていねいに、まっとうに紡いでゆきたい。

この夜、アレックスと卓球で汗を流す。なかなか善戦。
プレイ後、世界中にあるこのクルーズ会社についていろいろ教えてくれた。また、オレは毛皮の商売だから冬以外ずっと時間があるんだと笑った。おいおい。

 (3月31日)
自然と目覚めてカーテンをめくると薄闇にリビアの町が浮かぶ。

このところ、時差調整やサマータイムで、時計を進めたり戻したりしていて、今何時なのかわからなくなってしまう。カメラを持ってベランダに出るも、低い町並みから誰かがこっちを見ているような気がしてちょっと不気味だ。

戒律が厳しいリビアは一切のアルコールが禁じられていて、入港と同時に室内の冷蔵庫には鍵がかけられた。その棚の上には焼酎のビンがそのままなんだけど。

朝食を済ませ、8時から上陸。ただしUSパスポートの上陸は認めない。
オプショナルツアーのバスが20台ほどもタラップのまわりに並ぶ。軍服の役人がうろうろしていて物々しい。英語のガイドが同乗するわれわれののバス(新車のベンツ)には、カダフィの肖像画がフロントガラスに貼ってある。画の背景には、雲の切れ間から太陽が射している。

中東に詳しい仲間から、女性が肌を晒してはいけないと聞いていたので、われわれ一行は、ターバンを巻いたら埋没するくらい控えめな格好で備えた。もちろん私も、役人受けしそうな模範的な衣装で、くれぐれも国民感情を逆なでせぬよう最善を尽くした。にもかかわらず、ヨーロッパの連中は一切お構いなし。タンクトップに短パン、サンダルでペタペタ歩くおじさんもいる。

複雑な気持ちで出発を待つと、リビア人の青年ガイドが颯爽とバスに乗り込み、明朗にあいさつ。なんか肩透かし。写真撮影もオッケイだって(ただし撮影許可料として13ユーロ支払う。自己申請)。

バスは町を抜けて郊外のローマ遺跡へ。

リビアの町並みや家屋は、ギリシャに輪を掛けて質素なつくりだ。崩れたままの廃墟も目立つ。曇り空のせいか、市場も通りも歩いている人々は何だか疲れた感じで全体に覇気がない。そこへ持ってきて、たまに見かける老女や子供以外、歩いているのはすべて男性だけだから何とも異様な光景だ。

舗装の悪い道路に体を預けていたら、後ろの席の年配者が話しかけてきた。彼はスチュワートさんというアイルランド人で73歳。今回、息子夫婦と兄の4人で参加するこのクルーズで通算30回目だそう。

クルーズ自体、旅の「目的」ではなくどうやら「手段」のようで、クルーズに乗っていろいろな国を巡るのが趣味のようだ。来月には中国、韓国、日本をまわるクルーズに奥さんと参加するというから忙しい。もともと町の電気屋さんをやっていたが、10年前にすっぱりリタイヤしたのだそうだ。「アイルランド人は、人懐っこくて親切だから遊びに来るといい。海岸に囲まれた風景はとても美しく、とくに夏が良い。ビールもウイスキーもおいしいから」と、親しくなった帰り道に誘ってくれた。そして「子供が旅を忘れないように、毎年旅の思い出を語ってあげるといい。旅の思い出は彼らの人生を豊かにしてくれるからね」と加えた。


博物館の正面玄関に、3階建てほどの高さでそびえる、カダフィ大佐が拳を振り上げる肖像画が独特だったけど、アフリカ料理を食べながらの演奏や踊りも楽しかったし、午後のローマ遺跡はスケールの大きさと当時の技術力の高さに感心。あと、昔ボリビアで見上げた空に負けないくらい、深く鮮やかなブルーが目に沁みた。


最初は慣れぬ雰囲気に面食らったが、接するとリビアの人たちは素朴で親切だ。ガイドも職員も店員もウエイターも、観光地にありがちな世間ズレしていない。石川氏の元同僚が、夕刻面会に来たときも、警察官のひとりがわざわざトランクに乗り込み、窮屈なパトカーで送ってくれたりした。マスコミの情報や表面的な部分で、彼らに先入観を持ってしまった自分を恥じた。

その夜は最後のフォーマルディナー。ウェイターは毎日のユニフォームを、テーマに合わせて変えるのだけど、この夜は紺のジャケットに身を包み、キリッとしていてカッコいい。毎晩、サービスをしてくれる中で、彼らとの会話があったり、われわれを喜ばせるための、さまざまな演出をしてくれる中で、自然と親しみが増していたので、明日の夜でお別れと思うとなんだか寂しい。

旅も人生も必ず終わりが来る。

いつの間にかすっかりクルーズのファンになった。

きっとそれは、毎日進化する、スタッフとの血の通ったコミュニケーションによるところが大きい。少なくともこの船では、毎日のディナーも、部屋の世話も、あるいはジムのトレーナーも、それぞれ同じ担当者が面倒を見てくれるから、自然と、個人対個人の信頼残高が積み重なっていく。一度頼んだ醤油が、毎食テーブルに用意されていて嫌な気持ちがする訳がない。

同様に、イベントやオプショナルツアー、稀にカジノなど、さまざまな接点を通して、客同士でも、ちょっとしたキッカケで仲間になったり心が通ったりする。とどのつまり、人は人によって癒され、元気になったり、やさしい気持ちになる。旅は「人」であり「コミュニケーション」なんだなあと改めて納得。

 

卓球仲間のアレックスからは、次回うまく連絡を取っていっしょにクルーズに行こうぜと誘ってもらった。ちょっと調子がいいけど、気持ちの良いイタリア男だ。サウナでは、カジノで隣り合わせた男が肩をすくめた笑った。その後ずいぶん酷い目にあったと。聞けばジェノバに住んでいて船は馴染みらしい。こんな日々のやりとりが、心の底に蓄積したザラザラやドロドロをきれいに洗い流してくれる。

 (4月1日)
今日が最終日。明朝はいよいよ下船だ。

ブランチをゆっくり楽しみ、早めに下船のために荷造り。明朝、サボナに帰港するから、今晩のうちに大きな荷物は出しておかねばならない。荷造りが終わったところでジムへ直行。クタクタになるまで身体を苛めて、予約しておいたエステへ。フランスのブルゴーニュから期間契約で参加しているエリーが、頭皮、フェイシャル、首と肩、ふくらはぎと足の裏を、それぞれ50分掛けて丹念にマッサージしてくれる。だけど、やわらかい指先は筋肉の表面を滑るばかりで、さっぱり効かなかった。踏んでもらった方が良かった・・・。


この夜は、最後のひと時を名残惜しむ人たちでどの盛り場も遅くまで賑わった。息子たちも、船ですっかり親しくなったオランダとサンタモニカの少年たちと再会を約束してメール交換をした。

 (4月2日)
8時ちょうどにイタリアのサボナに帰港。

2000人以上が大荷物で下船するから、どんなに混雑するか半ばあきらめ気味でいたらさにあらず。実に手際がよく、とくに待たされることもなく、9時15分には船を下りて、荷物をピックアップしていた。これってすごいことだと思う。

明日は早朝のフライトなのでジェノバの空港近くのホテルへタクシーを走らせた。タクシーの窓から、お世話になったコスタ・フォーチュナが小さくなっていく。

 いろいろな旅をしてきたけど、今回のように、この時この場所でしか見られない日食に遭遇できて、親友や家族と毎日楽しく過ごせて、ヨーロッパ人の仕事観や哲学にもちょっぴり触れて、さらに世話をしてくれるクルーたちのもてなしも満喫できるという旅は、なかなか体験できるものではない。本当に素晴らしい旅だった。いつか親や弟家族も連れて行ってやりたいと思った。

さてこのクルーズ。参考までに料金を案内すると8泊9日で1人1200ユーロ。ホテル代の高いヨーロッパで、全食事がついて、これだけのサービスが受けられての料金だから良心的と言えるだろう。部屋を選ばなければその半額くらいからあるそうだ。圧巻は子供ひとりの追加料金110ユーロ。毎晩、大人と同じ本格的なコース料理が出てきたけど採算が合うのかちょっと心配。

 (4月3日)
午前4時起床。
チェックインの際、ミュンヘン−ロサンゼルス間のチケット予約が入っていないとひと騒動。不安を残したまま7時の飛行機でジェノバを後にする。

幸い経由地のミュンヘンで帰りのチケットは確保できたけど、今度は通関で、石川氏のお母さんが「アメリカから先(すなわちロサンゼルス−東京間)のチケットがないと飛行機に乗せない。日本にここから直接帰ってください」ということになって大慌て。

絶体絶命のピンチだったけど、そこは全日空(帰りのエアライン)、日本からすぐにチケットのコピーをファックスしてくれたので間一髪、事なきを得た。もう少しで片道1600ユーロ払って日本に帰るところだったので、みな胸を撫で下ろした。

いやはや、最後まで油断ならない。

ロサンゼルスへ向かう飛行機が急速に高度を上げてミュンヘンの地を後にする。日食のシーンや旅で出会った人たちの顔を思い浮かべながら、窓からの景色を眺めているうちに、やがて深い深い眠りに落ちていった。

温かい人たちと過ごす豊かな旅が終わろうとしている。

(旅を終えて)
石川氏へのメールでも宛てたのだけど、帰国してから、前にも増してポジティブで、もうひとつ言うと、とても穏やかな気持ちだ。

微量の焦りや迷いがなくなって、やるべきこと、やりたいことが集約された思いとでもいうか。これからは、自分たちにしかできないこと、自分たちがやるべきことだけを追いかけていこう、常に高いハードルを設定して、それを当たり前にクリアし続けたい、その繰り返しによって、自分たちの後に道ができて、世の中が少しでも前に進んだらいいなあ、とそんな気持ちでいる。

またブレそうになったり、軌道修正を一生繰り返すだろうけど、今回の旅は人生の中の大きなポイントになりそうな気がする。

04 13, 2006

地中海・日食をめざして (前)

(3月23日)

夕刻、ロサンゼルス国際空港に、今回いっしょに旅をする親友の石川夫妻、その友人のひろみちゃん、石川氏のお母さん、そして込山ファミリーが合流。


とうとうこの日がやってきた。

 

石川夫妻から声をかけてもらったのは昨年の秋頃。
数年に一度しかない日食。しかもヘンピ(アマゾンだったり、砂漠だったり、極地だったり人間が踏み込めないこともある)な地域ではなく、気候的にも安定している今回の地中海の日食はまたとないチャンスだ。子供の学校を一週間も休ませなくてはならないのが気になったけど、自分がそうであったように彼らにとって、親と旅行をして心から楽しいと感じられる時代はもう残り少ない。親として彼らには思い出を遺してやりたい。そう思うと決心は早かった。


いつもアジア系やヒスパニック系を中心に、ひたすらごった返している午前中の出発ロビーとはちがい、夕方のロビーはほとんどが白人客で、全体に穏やかな雰囲気。便数が少ないのと欧州線が中心だからか。経由地のミュンヘン(ドイツ)に向かうルフトハンザ機はさらにその傾向が強く、アジア系はわれわれ一行だけだった。乗客の多くがベッカーやグラフの系統の顔立ちに見えた。ドイツ語の機内放送が旅心を盛り上げていく。ドイツのビールおかわり。


(3月24日)

曇天のミュンヘンから小型機に乗り継ぎ、ちょうどスイス、オーストリア、イタリアの国境が集まる上空を通過してジェノバ(イタリア)へ飛ぶ。雲間からは天を突くような山々が顔をのぞかせる。

うとうとしているうちに2時間足らずでジェノバに到着。ここから30分、タクシーで海岸線を走らせる。トンネルとカーブの多い道を容赦なくアクセルを吹かす。ふと、この運転手がどのくらい保険に入っているのか気になる。そんな気持ちをよそに風景は矢のように流れていく。

明日から乗船するクルーズ「コスタ・フォーチュナ」が停泊するサボナの宿に着いたのは、あたりが薄暗くなった夕方の6時頃。家を出てから19時間経つが、不思議と疲れはない。その場でストレッチをしたら身体は現地時間だ。


手早くシャワーを浴びて、以前にローマで手に入れた丈の短いコートを着て、ホテルお薦めのイタリアンレストランへ歩く。

明日からの安全を祈って、一同シャンパンで乾杯。
蛸とポテトの煮込みも、生ハムと青野菜のピザも、イカ墨のパスタも何を食べてもことごとく美味い。アコーディオンの流しが、懐かしいような曲をテーブルで演奏してくれる。勢い追加のワイン2本も空っぽ。


気分が良いので、子供たちを寝かせてから、石川氏と石畳をぶらぶら散歩しながら酔いを醒ます。つもりが、気になるバーに入って夜更けまで思い出話で飲む。




(3月25日)

4月はそこまで来ているけど、港町サボナの朝はまだ十分に肌寒い。

午前中は、子供たちに引っ張られて、あてもなく古い町並みをぶらぶらと歩く。そのうちにどこを歩いているのかわからなくなるけどそれもまた楽しい。ふと入った路地裏、そこで通り過ぎる人たち。また自分はこの通りを歩くことがあるんだろうか、通り過ぎた人と何年か先にすれ違うことはあるんだろうか。


事前の案内には13時から乗船受付とあったけど、一時間前に行って正解。
すでにたくさんの乗客が到着して、乗船手続きをしている。われわれのタクシーも、若いスタッフが手際よく誘導して、その場でスーツケースなど大きな荷物はチェックインしてくれる。たいへんよろしい。



そのまま手ぶらでカウンターに行って乗船手続き。隣接の待合室のソファーで一時間ほど経った頃、ようやく今度は出国手続き。流れに身を任せていよいよ乗船。


12階まで吹き抜けガラス張りのエスカレータに乗って一気に9階へ上がる。
各階の斬新な色使いや装飾が立体的に視界に入る。


9階にある海側のキャビンは、12畳くらいの部屋の中に、マスターベッド、子供用の二段ベッド、シャワールーム、クローゼット、デスク、テレビ、冷蔵庫などがコンパクトに納まっている。ドアの外側にはバルコニーがあって、小さなテーブルと、読書がしたくなるような椅子が2脚。その向こうにはこれから旅をする青い地中海が広がっている。


さっそくみんなを誘って船内の探検に。

朝方の雲はどこかに消えて、いつの間にかブルースカイが広がっている。同じ階のデッキには船首と船尾のプール、ジャグジ、レストラン。11階に上がるとトレーニングジムやサウナ(スチーム、ドライ)、エステサロン、ヘアサロンなどが完備している。11階受付に行くと、笑顔の男性スタッフがていねいに案内をしてくれる。ジムも本格的な施設が揃っていて、オーストラリア出身のスポーツトレーナーはプライベートトレーニングも受け付けている。こんなキレイな女性ならトレーニングも力が入りそうだ。心強いではないか。12階のフロアには2台の卓球台やキッズコーナー、子供用のプールもある。朝から晩まで子供たちを預かってくれるのだ。それも単に預かるだけではなく、子供たちを飽きさせないさまざまなプログラムが充実している。(しかし息子は、オシッコを溜めている子供とは遊べないと、自分を棚に上げて頑なに参加を拒んだ)


その他に船内には複数の劇場、アートギャラリー、カジノ、チャペル、インターネットカフェ(ただし、これはさっぱり繋がらなかったけど)、テニスコート、図書館。バーにいたっては船内11箇所にあるという。とても全部回りきれない。


すべての乗客が乗船を完了したところで、避難訓練開始の船内放送。これが国際的なクルーズらしく、イタリア語、フランス語、英語、スペイン語、ドイツ語、ポルトガル語(ここまでが船内の基本言語)、これに日本語や数カ国の言語でもアナウンスしてくれる。乗客はライフジャケットを着用して、緊張感のない表情で5階の救助艇のところに集合。ひととおり非常時の説明を聞く。面倒な儀式が終わると、みんな大喜びで手をたたく。


船が汽笛を鳴らしながらゆっくりとサボナ港を後にする。いよいよ出航。
しばらくぶりの船がうれしくて、バルコニーから小さくなっていく港をいつまでも眺めていた。


(3月26日)

クルーズでは毎晩4ページの船内新聞「コスタトゥデイ」が配られる。ありがたいことに日本語版も発行されている。

コスタトゥデイには、航行情報、船からのお知らせ、翌日(当日)の催し物、食事やショッピングの情報が案内されている。船内の行事は、朝の運動から始まって、各種アート&クラフト、イタリア語やギリシャ語など語学講座、スポーツ大会、クイズ、ダンス講習、ゲーム、セミナーなど同時進行で一日中、船内のそこここで実施していて飽きることがない。毎晩食事の前後には、クラシックのコンサートやタレントショー、マジックショー、クルーによるダンスや歌謡ショー、ビンゴゲームなど、大掛かりな催しも日替わりで実施される。


夜中は夜中で、ゴージャスなミッドナイトバフェをやっているから、乗客は寝る間を惜しんで多種多様なイベントを満喫する。10万トンで全長が300メートル近いこのクルーズにはおよそ思いつく施設や環境がすべて揃っているのだ。


カーテンから漏れる朝陽でゆっくり目覚める。
バルコニーにでると、濃紺の地中海と水色の空が眩しい。流れる風のシャワーが心地よい。船はおよそ時速40キロメートルで地中海を南下する。


息子とデッキを散歩してから、10時の卓球大会に参加する。
初戦はフランス出身のカットマンを撃破。まずは肩慣らし。


一回戦をひと通り眺めて、気を抜くと優勝できないなと少し気を引き締める。が、シーメンスの赤シャツ男に2回戦で軽く敗退。誰も気付いていないが、本来の力を発揮する前に自ら姿を消してしまった。悔しい・・・。


卓球名人の石川氏はちがうブロックで、準優勝したイタリアの毛皮商アレックスと2点差で惜敗。アレックスは、マイラケット(持参したラケット)を持ってトーナメントに参加していたから気合の入り方がちがう(後日、ラケットを借りてアレックスと試合したら3勝3敗だった)。次回はマイラケットを持ってこようと決意。


二日目のディナーはフォーマルナイト。
めずらしく石川氏もネクタイで決めている。元商社マンの同氏は、10数年前に独立して、天体観測周辺の商品を、世界中の人々にインターネット販売している。

www.astrohutech.com


仕事も性格もまったくちがう石川氏とはかれこれ17年のつきあいで、思いついては、いっしょに4000メートル級の山(ホイットニー)を一日で登ったり、おなかを壊すまで酒を飲んだりする。(もうひとり、高津氏と言う隊長がいて、この夏も3人でホイットニー登頂のタイムトライアルに挑む)


話はフォーマルナイトに戻って、石川氏の母君は桜色の鮮やかな着物姿でイタリア人を喜ばせ、子供たちもネクタイやドレスで目いっぱいおめかしをしている(12歳が化粧をするな)。行き交う老若男女は、ここ一番パリッと決めていて船全体が華やかなムードに包まれる。食事の前にはコンサートホールでキャプテンやオフィサーからのあいさつ。何カ国もの言葉で流暢にしゃべっているのがカッコいい。シャンパンがキリリと冷えて喉越しが良い。贅沢な時間が流れていく。


(3月27日)

8時のオープンと同時にジムに一番乗り。
海を眺めながらトレーニングとサウナでたっぷり汗を流す。


午後はギリシアのカタコロンに到着。

観光バスでオリンピアにあるオリンピック発祥の地を訪ねる。が、あまり遺跡に興味が向かず、子供たちと鳥の巣や草花の写真を撮って過ごした。車窓を流れるカタコロンの住宅は、コンクリートの簡素なつくりやバラックのような家屋が連なる。遺跡でガイドの長い解説を聞くより、町並みを眺めたり、路地裏に踏み込む方がワクワクする。ライトハウスに長年執筆いただいているミスター世界こと関根さんがコラムの中で「サラダはギリシアが世界一」とおっしゃっていたけど、なるほどギリシアのサラダは抜群にうまい。


この夜のディナーのテーマは「地中海」。
前菜、スープ、パスタ、メイン、サラダ、チーズ、デザートと、毎晩コース料理が楽しめるのだが、この日はイタリア、スペイン、フランス、ギリシア、オランダの名物料理を、それぞれ自分の好みで組み合わせてオーダーするようになっている。ワインは、その日の料理にあうシャンパン、白、赤ワインがそれぞれ一本、日本語のメニューに表示している。ワインは通常ボトルで20ユーロ以内で手頃(クルーズの料金には通常食事代は含まれるが、ドリンクは別払い)。なんか飲んだり食べたりの話ばかりしてるみたいだけど、まったく飲んだり食べてばかりだから仕方がない。それにしても何を食べても美味しいのはどうしたことか。


(3月28日)

日中はギリシアの南の島クレタ島のヘラクリオンに上陸して観光地をまわる。
映画で見たように、地中海の風景はとても美しいけど、パロスバーデスやレドンドビーチの海、そして私が生まれ育った瀬戸内海の海もぜんぜん負けてないなと思った。そういう風景のそばで暮らせることもありがたい。




この日は娘の13歳の誕生日。早いものでとうとうティーンになった。
ディナーの席では石川夫妻やお母さんから心のこもったプレゼントをいただく。そして彼女の名前が描かれたケーキが船から贈られ、ウエイターたちがハッピーバースデーを歌ってくれた。この日は特別。夜遅くまで子供たちとゲームや卓球をして遊んだ。船で得たサービスのヒントを書きとめ就寝。

いよいよ明日は待望の日食だ。 

04 13, 2006

うれしいこと、ありがたいこと

昨日休暇から仕事に復帰した。すっかりリフレッシュさせてもらって、とっても清清しい。3月29日の地中海の日蝕を眺めるためにヨーロッパを旅してきたのだ。こちらの様子は改めてアップしますのでお楽しみを。

たまにこうして仕事を離れると、自分のまわりにあるたくさんのうれしいこと、ありがたいことが見えてくる。

久しぶり朝の勉強会では、スタッフの口から「仕事を楽しもうよ」、「仕事の中から楽しみとかやりがいを見出そうよ」、「職場にユーモアを忘れずに」、「お客さんだけでなく、社員間の心配りやサプライズも大切にしよう」、「遊び心って大切だよね」・・・、そんな意見がひとり一分間の発表の場で次々生まれた。

親はなくとも子は育つじゃないけど、自分なんかいなくてもこうしてスタッフたちは会社を動かし、自力で成長を重ねていく。自分は経営者としてホントに恵まれているし、ありがたいことだと思う。

時差ぼけで早起きしてオフィスでこの原稿を書いているんだけど、3階の窓から眺めていると7時過ぎにはデザイナーの西村くんの車がもうやってきた。すぐに営業の原田くんが到着。ほどなく、リタイアして会社を手伝う父が来た。こんな早くから来てくれていたんだ。

私はみんなが寝静まってからメールの返信や企画書に目を通すのだけど、幹部の西川さんや片山さん、青木くんからは夜中の12時や1時に平気で返事が来たりする。それは会社からであったり、自宅からであったり。

こうして24時間みんなが会社を支えてくれている。ライトハウスを創ってくれている。

04 05, 2006