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what's new

込山洋一

ハヤブサのツィティ

息子の玄(はるか)が「パパ昨日ハヤブサを空に帰したんだよ」と背中から言った。

昨日は遅くに帰って今朝も早くに家を出たのでぜんぜん知らなかった。

ハヤブサの赤ちゃん(たぶん)「ツィティ」がビルの駐車場で倒れていたのは10日ほど前。鏡のような会社のビルには、敵と勘違いしたカモメや野鳥が誤って突っ込んでくることがある。それを事務の鈴木さんが見つけて、うちのチビたちが引き取らせてもらった。

その夜は大きなバスケットの中でタオルに包まれてジッとしているのが精一杯の小さな命を家族が代わる代わるに見守った。羽を広げることもできず、目を閉じて苦しみにひたすら耐えているようだった。動物であっても、子供が痛みに耐えるのを見るのは辛い。

翌朝、子供たちの思いが通じたのか少しだけ動けるようになった。昨日よりは生気がある。よかった!峠を越えていることを祈る。でも何も口にしてくれない。

3日目。家に帰ると娘のひかるが嬉しそうに手を引っ張る。

「ご飯、食べるようになったんだよ」

千切った鶏肉をくちばしで不器用に啄(つい)ばんでいる。

「おおっ共食い!」と思ったが余計なことは言わない。

その日、子供たちのバスルームには新聞紙がしかれ「ツィティ」の部屋になった。飛べないけど、羽を頑張って広げようと何度も試みている。

会社から帰ると抜け出したツィティが床にいてハッとしたりも。

家内はあちこちに落としたお土産を拭いて走る。

5日目、6日目と加速的な回復を見せ、食欲も旺盛に。失敗しながら短い距離なら飛べるようになる。なんか末っ子の成長をみんなが見守る感じ。

子供が覗いたら便器の中からこっちを見上げていたことも。

そして昨日。

玄が剣道のコテにツィティを載せて庭に出ると一気に飛んだ。見たかったなあ。

たぶん、ツィティにはこれから自分で餌を確保することや身を守るというハードルに苦戦するだろう。だけどだけど、頑張って長生きをしろよ。

08 29, 2006

マウントホイットニー登頂

週末、アラスカのマッキンリーに次いで北米で2番目の高山マウントホイットニー(標高4400メートル)に登頂した。土曜日の夜11時から徹夜で14時間50分歩き続けて達成。今回はひたすら歩き続けた体力勝負の話をお届けします。

8月19日午前11時に山の相棒高津誠氏のトーランスの自宅を出発。

高津さんはTWI INFOTECH(www.twiit.com)という技術系の人材会社の経営者。大学時代は山岳部で、雪山もロッククライミングもやった根っからの山男。年齢は一回り上だけど、公私のつっこんだ話もすれば、酒を飲んでピアノとギターで夜更かしをしたり、時には焚き火を囲んでキャンプをする仲間だ。

ホイットニーの麓の町までのドライブの間ひたすらライトハウスのウェブサイトの活性化についてアドバイスをもらう。新しい技術、とりわけそっち方面に疎い私が、外で恥をかいたり、そのことで会社が乗り遅れぬよういつも知恵を授けてもらっている。今回も横でスイスイとペンを走らせる私。いやホントありがたい。

ビジターセンターには午後3時過ぎに到着。あらかじめ予約しておいた入山許可証をピックアップしてから近所のレストランで腹ごしらえをする。登山の前はすぐにエネルギーに変わる炭水化物を多めに摂取するのだ。とくにこの一週間は多めにご飯類やパスタでローディングをしておいたし、準備という意味では半年前からこの日に備えて、ジムや自転車でカラダを作ってきたのでコンディションは万全だ。

実はホイットニーは今回が4回目。

10年くらい前に、高津さんや数名の仲間で初めてワンデイアタック(一日で頂上を踏み、その日のうちに下山すること。多くの人は1〜2泊かけて高度に身体を慣らしながら頂上を目指す)をしたときはメンバーの高山症状と体力不足で4000メートル手前のところで断念して下山した。

その翌年、選抜5名でアタックして、高津氏と石川氏(ブログのヨーロッパクルーズで登場)と私の3人が19時間かけて頂上を踏むことができた。2名は高山症状で途中断念。その時は早朝5時に出発して帰ってきたのが深夜0時。ワンデイの標準タイムが17時間なので不満が残るもひとまず達成。

5年くらい前に登ったのは、ビギナーを含む仲間を連れて、テントを張りながらのアタックだったので、どちらかというと遠足の引率のような感じだった。なるべく多くのメンバーに頂上を踏ませるとか、安全にみんなが下山することに頭がいって、自分のことどころではなかった。高津さんは隊長だから輪をかけてたいへんだったろう。

そして今回。

目的ははっきりタイムトライアル。40歳代になった自分が、20歳代、30歳代の自分に体力でも負けていないことを証明するための挑戦だ。と、何でもエエ話にするのは習性か。

食事を済ませて早めに登山口へ。パーキングに車を停めて出発予定の午後11時に備える。

高津氏の車はトヨタのシエナなんだけど、2列目のシートを外して、3列目のシートを床下に収納すると、大人二人が横になってもゆったりの広々空間ができる。こういう登山やキャンプ、自転車などのアウトドアでは無敵の車だ。ちなみに会社の車も家内の車も同じシエナを愛用している。

お互い足の向きは逆に、寝袋に足を突っ込んで本を読んだり、昼寝をしてリラックス。数時間熟睡できたので頭もスッキリ。

着替えながら、装備をもう一度チェック。ヘッドライト、地図(防水)、食料(パワーバーなど)、水3.5リットル、帽子、サングラス、タオル、頭痛薬、防寒着、簡易トイレ(自分のモノは自分で持ち帰らねばならない)、ゴミ袋、しめて約7キロ。靴下は分厚いものを。靴は底が固くて、ハイカットの足首を守る頑丈なもの。疲れて足が上がらなくなってくると、誤って岩を蹴飛ばしたり、着地で足を挫きやすいので靴は重要だ。この靴は最初にホイットニーを登った10年前からのつきあいだ。腕時計(カシオ)にはコンパスと高度計がついている。

午後11時、予定通り出発。

高津さんが前を歩きペースを合わせる。グループで登るときは通常30分に一回の休憩を入れながら、一番遅いメンバーを先頭にしてそのペースに合わせていくのだけど、今回は二人とも体力が溢れているので休憩は思いついた数時間に1回。ペースも競歩をしている感じ。

「なんですか、この星空は。空に星が溢れとるじゃないですか」(私)

「月が出ていないのかなあ。この明るさは星明りみたいだね」(高津さん)

「満天の星に、天然のクーラーみたいなこの空気、あちこちから聞こえてくる涼しげなせせらぎの音。あぁ、最高だなあ。ありがたいですねえ」

「そしてこうして登れる健康。本当にありがたいねえ」

「ありがたいありがたい」

ありがたいありがたいと年寄りのようなことを言いながらオッサンふたりはズンズン歩く。

山道はスイッチバックで登ったり、飛び石や丸太で川を横切ったり変化に富んでいる。途中の滝ではコップで直接水を汲んで喉にゴクゴク流し込む。4400メートルの山から湧き出る天然水はヒンヤリと冷たくて、甘くて、もうクラクラするくらいに美味しい。たぶん人生前半戦の「水部門」でナンバーワンだろう。

しばらくして振り返ると、彼方の稜線から少し上の辺り、夜空にナイフを入れたような薄く鮮やかなオレンジ色の月が浮かんでいる。天頂では天の川がゆらゆらと流れている。オリオン座やカシオペア座もいつもより賑やかだ。なんて贅沢な時間を過ごせているんだろう。ありがたい。

夜空を背中にウキウキ登っていたんだけど、歩き始めて4時間くらいすると、快適な[天然クーラー」は冷蔵庫のように寒くなり、6時間経って高度が4000メートルを越えたあたりから冷凍庫のように冷たくなった。

防寒着と言っても、薄手のウィンドブレイカーと長袖のシャツだけなので気温の変化に追いつけない。気温は100メートル高度を上げると0.8度下がるのだけど、夏とはいえこの寒さは想像を超えていた。杖を持つ手のひらの感覚も薄れていく。ココアを沸かして飲んでも二口目にはコップが冷たいくらい。「ありがたい」時代は終焉を告げ、氷河期を迎えた二人であった。遭難している場合ではないので、冷気を弾くように身体の芯に力を入れて強く歩く。後で思うとここだけが唯一最大のピンチだった。

それからしばらく。漆黒だった東の山の稜線がゆっくりと朱を帯びて来る。もうしばらくで日が昇る。お日さまが昇ったら気温も上がる。もう少しの辛抱だ。眼下にあったオレンジ色の月はいつの間にか白く変化し、見上げる高さまで昇っていた。地球の自転に合わせて空は一時間に15度動くから相当時間が経ったのだろう。

歩き始めて7時間経った午前6時7分。朱に染まって燃える雲海のまん中に、ぽっと朝陽が点った。その後は力で押し上げるように一気に昇った。ありがたい。ありがたい時代が返ってきた。あまりに神々しい光景に二人して思わず感謝の手を合わせた。少し弱ってきた身体にも再び力が漲(みなぎ)ってくるようだ。

それから一時間あまり。

高山症状で手はグローブのようにパンパンに浮腫(むく)んでいる。薄い空気の中で頭も回らない。考えようにもゆっくりとレコードを回してるみたいな感じ(それは今もいっしょか)。それでも頂上に向かう意志だけはハッキリしている。いくつかの峠を越えて、目印になる山頂の小屋が見えてからが精神的にも距離的にも長かった。無心で歩いている間は何のプレッシャーもなかったのに「あとどのくらい」と考え始めると気持ちが息切れをし始める。深呼吸をしても酸素が入ってこない。それでも一歩、それでも一歩、足を前に出す。出し続ける限り頂上は確実に近づいていくから。

午前7時45分登頂成功。

その瞬間高津さんと笑顔でガッチリ握手する。じゅわっと涙腺がゆるんだ。頭の中ではアドレナリンのクス球が豪快に弾けブラスバンドがマーチを奏でた。

頂上の岩をグルグルまわると360度の風景が視界の中にある。カメラにそのでっかい風景を収めて家内に携帯で電話する。

「おい、着いたぞ。頂上からだ」

「おめでとう。無事着いてよかったね。よく電話つながったわね。体調は大丈夫なの?」

電話を短く切り上げて、岩の上に大の字に寝ころがってしばらくその充実感を噛み締める。

30分くらいゆっくりして8時20分に下山する。途中で何人ものハイカーとすれ違う。道はひとりしか通れないところが多く、難所になると、足を滑らしたら即死という危険なポイントもけっこうある。だからみんな真剣勝負だし、必ずどちらかが道を譲らなくてはならない。多くの場合、われわれ日本中年選抜は相手に譲るのだけど、そんな時に交わすちょっとした会話が空気を和ませる。労う言葉、励ます言葉、お互いをやさしい気持ちにさせる。

一方でリボンをした花瓶に花が挿しているのを難所で見つけたときは胸が痛んだ。

下りの山道は膝にくる。なるべく段差の少ない岩や石を選んでダメージが少ないよう慎重に歩を進める。時々バランスを崩したときは杖が良い仕事をしてくれる。下りに入って頭の端っこの辺りがズキズキ来たけど、タイラノ−ルを飲んでしのぐ。

途中で冷たい小川の水でゴシゴシ顔を洗って、水をすくって飲んだらまた元気が湧いてきた。なんて爽やかで気持ちいいんだろう。もうひと頑張り。

スタートから12時間を過ぎると、両足の親指と小指の外側にできた靴ズレの痛みがじわじわと尖ってきたが、こればっかりはどうしようもないので無心で歩く。最後は体力でなく気持ちだ。

午後13時50分。往復22マイル。高度差1800メートル。出発から14時間50分で無事に登山口に帰ってきた。

再び高津さんとガッチリ握手。記録も大幅更新!!

つま先は火鉢に突っ込んだみたいに熱いし、膝もグラグラだけど、心の中は幸福感と充実感でいっぱいだ。若い時の自分に勝った。体力で勝った。それもタイムが19時間から14時間50分に大躍進だ。

大喜びしながら、一方の頭で次のチャレンジを企んでいる二人であった。

08 21, 2006

信頼の集団

ライトハウスでは「サイボーズ」というスケジュール管理ソフトを導入していて、お互いのスケジュールがどこにいても確認できるようになっている。

私のスケジュールも同様で、空いているところは自由にアポイントを入れてもらうようにしている。とくに最近は営業のメンバーを増強しているので、新人のトレーニングも兼ねて、空いている時間はできる限り同行するようにしている。

メンバーに伝えたいのは、小手先のテクニックとかではなく、お客さんに対する姿勢。前にもふれたけど、ライトハウスにとって契約書はゴールじゃなくってスタートライン。うちがいくらで受注できるかなんて2の次3の次で、兎にも角にも大切なことはお客さんの事業の繁栄。お客さんの事業がうまくいくためにライトハウスとして何ができるかだけに集中すれば良い。人間関係は直球勝負。

まっとうな商いでお客さんが20年、30年と成長を続ければ、ライトハウスが貢献できる集団である限り取引もついてくる。

ライトハウスの一番ベースになる小さな広告は一回の掲載料が260ドル。30年掲載していただくと10万ドルを超える。多くの場合、お客さんの成長過程で、広告のサイズも伴って大きくなる。そうすると将来に渡って託していただく金額は30万ドルにも50万ドルにもなる。

そうやって将来お互いに笑えるよう、最初の接点でどれだけしっかり握れるかが大切だ。

どんな方が、どんな環境で、どんな商品、あるいはサービスを、どんな想いを持って提供しているのか、そこをしっかりと学ばないと方向性も打つべき手も浮かび上がってこない。五感をフル稼働して吸収すべし。

その瞬間におけるありのままの現状を、生の声で引き出しては確認して、引き出しては確認する。やりべきことはクライアントとの視界の共有。まず「耳を澄ますこと」。ヒアリングに徹する。ライトハウスの話はそれからだ。

去年、ずいぶんと久しぶりに営業同行したとき、(私が横にいるので緊張もあったのだろうが)自社の営業マンが名刺交換もそこそこに価格表を開いて説明を始めたのに唖然とした。いたたたたっ!

まったく「人」と「人」で握れていない。会社の前に「人」として握れていない関係は脆(もろ)い。クレームは剥き出しになるし、何かの拍子ですぐにキャンセルになる。営業マンだってクライアントとの連帯感もなければ、頼りにされないから仕事が面白いはずもない。そんな人生の連続はあまりに切ない。

悔しいけどそうさせてしまったのは自分だ。

それ以来、時間が許す限り同行するようにしている。

最近では営業部長の片山とともに、営業の社内勉強会の機会を増やしている。また全体の勉強会でも、新人社員やインターンにも、ライトハウスが大切にしてきたことを伝えるようにしている。

自分たちが大切にしてきたフィロソフィーを、耳にタコができても伝え続けようと思う。理想とのギャップはまだまだだけど、毎日10センチでも20センチでも確実に埋めていきたい。信頼の集団になりたい。

08 17, 2006

ロンドン出張(後)

この日は昨日紹介していただいたJPパブリケーションの市川氏と、午後からはロンドンベイスポの渡部氏、宮田氏とそれぞれ面会。両社ともに、双方向での記事や情報交換をすることに。幸いなことに市川氏はヨーロッパ全域の情報をカバーされている。バラエティに富んだ情報が得られそうだ。それにしても、どっちもトップなので話が早い。早ければ10月の誌面から反映させたい。この春からの動きで、アジア、ヨーロッパ、カナダからある程度の情報ソースの目処が立った。新生ライトハウスのグローバルな誌面づくりができそうだ。このネットワーキングを通じて「(日本人が)世界中どこでも暮らせる世の中作り」に進化させたい。


出発の朝。空港でゆっくり土産を見ようと早めにホテルを出発。確かな手ごたえを胸に空港へ向かうタクシーに乗った。青空は限りなく高く広く、そして未来はどこまでも広がっているように感じた。とその瞬間。


「13時10分は出発時刻じゃなくって到着時刻では?????」


嫌な予感、いや確信が頭をよぎってカバンに手を突っ込んてチケットを確認した。ゆっくり腕時計を凝視する。


ガーンーーーーーッ!!!


もう出発しとるじゃないか。一瞬頭まっ白。それでも1分後には熱い血が流れ出し頭もクールに。ターミネーターみたい。


片山と最悪のシナリオを想定しながら対応策を考える。その結果、一日帰国が遅れた場合、片山が責任を持つ台割(記事と広告の割付表)の最終チェックができないこと。その場合どう対応するか。それ以外のリスクは。またどこかを経由して帰ることはできないか。


そのうちに空港に到着。ひとまずカウンターに飛び込む。ユナイテッドのスタッフは厳しい表情でPCを叩く。時々電話であちこちと相談や確認をしながら。20分ほども経っただろうか。「オッケイ、ワシントン経由で押えたわ」「ありがとう(5回くらい)」なんと素晴らしい。なんてありがたい。いっぺんでユナイテッドのファンになった。そこから出発まであと20分。まだ油断できない。係員に導かれて、長蛇の列を横切り、定規で引いたように真っ直ぐ出発カウンターに連れて行ってくれた。


実はこの後まだオチがあって、エアの到着が遅れたうえに、DCで乗り継ぐときに通関の混雑で3時間ほども遅れて、乗り継ぎ便はとっくに出発したのだった。がっ!再びターミネーターのように後発の便に捻じ込んでもらってその日のうちにロサンゼルスに辿り着いたのだった。


余談だが、迎えに来る予定だった家内に、ロンドンの空からサテライトで電話をかけた。「事情は後で詳しく話すが、エアがDC経由になって遅れることになる。大丈夫だ何も心配するな。迎えにはこなくていい。何とかしてみせる」カッコよく語って見せた。テロにでも巻き込まれたのかと電話の向こうの家内はすっかり心配と同情で心を痛めているようだった。


帰宅してビールを飲みながら、単に出発時刻を勘違いしていたことを正直に話したらえらく怒られた。たいへんな出張であった。


 


 


 

08 11, 2006

ロンドン出張(前)

今日は制作長の青木と編集長の西川とランチを取りながら将来の誌面づくりについてブレスト。これまでに仕込んできた世界中の日本語メディアやライターとの関係を活かしてどんな誌面づくりができるか。会議室のテーブルいっぱいに様々なジャンルで人気のマガジンを広げアイデアをぶつけあう。うれしくも悔しいのがライトハウスの誌面は何百倍も発展の余地がある。


そんなネットワーク作りとリサーチが目的で、先週は営業部長の片山と夏のロンドンを訪れた。


ロンドンには朝7時に到着。いったんホテルでスーツに着替えて、英国日通引越しセンターを訪ねる。ロサンゼルス支店に紹介いただいた営業部長の横山さんが、初対面にも関わらず自らハンドルを握り日系の食料品店や市外を案内してくださり、日系社会や進出企業の傾向を詳しく学ぶことができた。


1000ドルを両替すると500ポンド(1ポンド=約2ドル)になるのだけど、実感値として物価も人件費も不動産もロサンゼルスの2倍という感じか。ポンドを稼ぐ分には良いが、オペレーションコストはかかりそうだ。またアメリカ同様、雇用にはビザや労働法の問題がついて回る。道路やインフラが追いつかなくて渋滞の問題もある。日本から送られてくる駐在員層についても、若年化、企業自体の現地化の傾向があり、このあたりは全世界的な傾向のようだ。


ありがたいことに、横川さんから長年ロンドンで「英国生活ガイド」や日本語電話帳を発行しているJPパブリケーションの社長の古川さんをご紹介いただいた。マジメに取材して自社記事で成り立つ出版社と組みたいので願ってもないチャンスだ。明日の午後11時に大使館の待合室で会うことに。


翌朝は6時に目覚めた。


ホテルからひとりで、ダイアナ妃が暮らしていたというケンジントン宮殿とその周辺を散歩する。昨日は5時間ほども市内を行ったり来たり歩いたのでだいたいの土地勘はつかめた。水を飲む白鳥やロイヤルアルバートホールの写真を撮りつつ、路地に切れ込むと路上にロールスロイスやベントレーなどの高級車がズラリと路上に駐車してある。ナンバープレートの表記が、アラビア語のような馴染みのない文字の車が多かった。このあたりは高級マンションが集まっているようだ。


帰りはホテルの方向に向かう二階建てバスに思い切って飛び乗った。乗ってから、乗車時に1.5ポンド払うことを知った。二階の一番前の席に腰掛ける。と、ハンドルは北に切られてホテルからはどんどん遠ざかっていく。あらま。時間もあるし何とかなるさとしばらく地図と風景を見比べながら体を預けることにした。途中でタイトルは忘れたが、ヒューグラントとジュリアロバーツの映画の舞台ノッティングヒルを通過する。そのうちにガイドブックの地図からは外れてしまった。それでもその頃には、バス停に表記している番号はそこを通過する路線番号のことで、このバスが52番だということはその表記とすれ違うバスの番号で理解できた。どうやらバスの路線マップを手に入れたら今回の移動でも使えそうだ。またひとつ技が増えた。結局終点まで行って同じコースを戻ってきた。


小さな冒険をしたようなウキウキした気分でホテルにもどる。


 


 

08 11, 2006

3世代で過ごすハワイ

ガス欠から一夜。2度あることが3度あっては困るガス欠だが、自分だったらやりかねないと諦めることにした。潔く。

自分は何かに集中すると他のことがさっぱり留守になる。アポイントのドライブでふと気がつくと果てしなく遠くの町を走っていたりする。同乗者がいて「次が降り口ですよ」「わかった」と答えながら、数秒で頭が他に行って、キッパリ通過してしまったりする。同乗者は新鮮な驚きを感じているだろう。あまりこんなことばかり書いていると、中にはスタッフも読んでいて転職の準備など始められると困るから話題を変えたい。

先月はハワイで会合があって、それに合わせて日本から家内の両親、ロサンゼルスに暮らす父親、そしてわれわれ家族で集結した。サーファーたちが愉しげなワイキキの海を見下ろすコンドを借りて7人3世代の合宿生活は始まった。

サプライズの一環として、平均年齢が70歳を超えるシニア3人にはあろうことかバナナボートやパラセーリングを体験してもらった。モーターボートで引っ張ってもらっているバナナボートでは勢いあまってダイナミックに転覆。ライフジャケットで仰向けに流される義母を追いかけ、ボートの底で海水をシコタマ飲んだ親父を慰めたりした。その後の写真はみな表情が固い。

ある日はダイヤモンドヘッドを登ったり、ハナウマベイではシュノーケリングで原色の熱帯魚を眺めたりした。毎日のように囲む大人数の食卓はどのテーブルよりも賑やかで、また温かなテーブルで、みんなの笑顔を見ながら至福の時をかみしめた。子どもたちが逞しく成長する一方で、親たちは確実に老いていく。それを止めることは誰にもできない。せめて、生きている間に少しでも多くの楽しい思い出を共に刻みたい。

創業する前の88年の冬、私は家内の両親に手紙を書いた。

自分はこれから起業するが、自分の生活すら心もとないこと。先で露呈するのが嫌だから正直に話すと複雑な家庭環境で育ったこと。まもなく両親は離婚するであろうこと。だけど結婚を前提にお嬢さんとおつき合いさせてほしいということ。誰にも負けないくらい大きな夢があること。だけど、それはまだ自分には何なのかわからないこと。

その手紙を受け取った義父は倒れてしまった。正直すぎたことを悔いた。

あれからもうすぐ18年が経つ。義父とは世界でベスト100組に入るくらい仲が良い。いつか成功して一番喜んでもらいたい人のひとりだ。

ハワイが初めての父は、ベランダから朝に夕にダイアモンドヘッドやワイキキの海を眩しそうに眺めていた。毎日の暮らしでは、近ごろ耳が遠くて同じ話ばかりする父親をつい疎んじてしまったり、大切にできないことがある。自分のことを棚にあげて、酒が過ぎる父に口うるさくなってしまう自分がいる。時々そんな自分がすごく嫌になってしまうことがある。ハワイに来ても快調に酒ばっかり飲んでいる父に複雑な思いでいることは変わりないのだけど、せめてこの休みの間は嫌なことを言うまいと口をつぐんだ。

楽しい時間はあっという間に過ぎる。

空港からはそれぞれ日本とロサンゼルス、反対方向に発つ。別れる間際、家内の両親はこんな幸せな人間はいないと喜んでくれた。ふたりとも目のふちが赤いので、こっちもついつられてしまう。押されたらボロッと零(こぼ)れそうでこういうシーンはいつも苦手だ。家内の方はなぜかアッケラカンとしていた。

08 11, 2006

月間ガス欠記録

ウカツものである。いや頭にスが入っているのかもしれない。

昨日ガス欠をやってしまった。この一ヶ月で2回目。前回は大切なお客さんを空港に送る途中フリーウェイのうえでガス欠。その瞬間車線変更しようにも隣はトレーラー、後方からものすごい勢いでトラックが突っ込んできてあわや大惨事というピンチだった。間一髪、停止と同時に路肩に辿り着き事なきを得たが、その時「二度とガス欠は起こすまい。ランプが点灯する前に常に給油しよう。死んでもおかしくない中で助かったのだから、生まれ変わった気持ちで生きなくっちゃいかん」そう埃っぽいフリーウェイで誓ったばかりだったのに。

実は昨日は、前回のブログでふれたが、3人の幹部それぞれに、メンバーひとりひとりから上がってきた要望や現状を伝える重要なカウンセリングだった。良い話ばかりではなく、当然マネージメントに対する辛辣なコメントもあるから、どうやって伝えるか、またどうやってそれを幹部のモチベーションにつなげ、日々の経営や職場環境に反映されるようつなげられるか、正直この数週間は明けても暮れてもそのことが頭を離れなかった。

結論が出るのはこれからだけど、余すところなくメンバーの声と想いを伝え、それを幹部たちはポジティブに受け止めようとしてくれている。誤解や不本意な指摘もあったのだろうが、誰一人言い訳をせず、誌面と職場環境の改善を誓ってくれたのがうれしかった。

が、安心している暇はなくって、ライトハウスの大改革はすぐにでも始めなくてはならない。誌面のパワーアップ(特集の充実、魅力的なコラムの投入)、ウェブの充実、海外メディアや特派員の開拓と提携、配布網の強化、2年後に控える20周年に向けてのブランド戦略、手薄になっている広告主のケアももっともっと強化したい。すべて「人」だ。

そういうことを考えながら眉間にシワを寄せて走っている矢先だった。ガタガタガタガタプスンプスン・・・・・

「check engine」ランプ点灯>頭が現実にもどる>ヨレヨレ停車>静寂が広がる>背景はコーストラインに鮮やかな夕焼け空>

困った事態ではあったけど、やたら清々しくて、思わず笑顔で深呼吸した。やれること、やりたいことが尽きない。

08 11, 2006