花火

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少し前になるけど、7月4日の独立記念日はラスベガスで過ごした。

と言ってもカジノではなく、我が家の恒例行事で、毎年ラスベガスに住む友人の薬師寺邸に、ボクが学生時代からお世話になっているビルさん夫妻と集い、独立記念日をいっしょに過ごすのだ。

元駐在員の薬師寺さんは事業で成功して久しいのだけど、独立してすぐの90年前後はボク同様ビルさん夫妻にずいぶんとお世話になった。

ビルさんは日系人だけど、日本人以上に義理人情の人で、昔からそれは多くの人たちの面倒を無償で見てきたボクのヒーローだ。

ゼロから事業を興して苦労の末に成功を収めたビルさんは人の痛みがわかる。

その昔、掃除をさせてほしいとアポなしで来たメキシカンの少年を学校に行かせて、その後幹部に取り立てたり、アメリカに渡ってきて食えない日本人の若者を支援したり、数え切れないくらいの人たちの面倒を見てきた。

社会の中で決して強くない立場の人たちには特に温かい。ウエイトレス、ゴルフ場でクラブを磨く人、ガードマン、売店やレジのおばちゃん、みんなにやさしくてユーモア溢れる一声をかける。チップもうんと弾む。そんなビルさんをみんなが慕う。

7月4日の6時前に自宅を出発して途中で親父をピックアップして行く。親父はみんなを喜ばせようと前日に釣った魚をクーラー一杯に積み込んだ。

車中では親父が大量に作ったスパムおむすびを頬張りながら走る。

渋滞を覚悟していたのだけどラスベガスの薬師寺邸に10時過ぎには無事到着。まもなくビルさんの夫妻も到着した。

親父が釣ってきたオコゼ(刺身、煮付け)、スズキ(刺身)、コブダイ(刺身)、メバル、タナゴ(煮付け)を手際良くウロコを落としてさばいていく。それを頼もしげにみんなが囲んで「お父さんやるねえ」「このオコゼは銀座でさばいてもらったら1万円じゃ食べられないよ」「ヨウイチは良いねえ。いつもお父さんの魚が食べられて」と持ち上げる。

ふだんはひとりでいることが多い親父の顔が輝く。シアワセそうだ。

親父に対して、生活習慣や細かいことが気になって、つい小言を言ってしまう自分に反省。そういや最近労ってないもんなあ。

このメンバーはみんな料理ができるから、キッチンは流しもコンロもフル稼働。あっという間に15人くらい囲める大きなテーブルが自慢の料理でいっぱいに埋まる。カミさんが独立記念日が近づくと何を作るかうれしそうに思案するのはこの日のためだ。

ビルさん夫妻、薬師寺夫妻、そして親父と我が家4人。ビルさんの71歳から息子の12歳まで、今年もまた無事に、健康な笑顔で集まれたことに感謝してスーパードライで乾杯。親戚があまりいないボクにとっては親戚以上に親戚だ。

夜は日が落ちるのを待って、薬師寺邸のゴルフ場に面した庭で花火をした。
45℃まで上がった昼間の空気がまだあたりに横たわっている。

子どもたちが買ってきた小さな花火。そのむこうの西の夜空に大きな花火が弾ける。

儚(はかな)い花火たちは夜空をカキ氷のシロップ色に染めては溶けていく。子どもたちははしゃぎ、大人たちは懐かしそうにそれを眺めている。

いっしょに歳を重ねるから気づかないけど、子どもたちが成長する一方で、大人は老い、時計の針を刻む分だけ残り時間が減っていく。こうして揃って会えることも永遠じゃない。

慌ただしい毎日だけど、時々立ち止って自分にとってかけがえのない人たちとの時間を大切にしなくてはと思う。