遠くへ、遠くへ

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3週間の日本とアジア出張から日曜日に帰国。
出張前半に大学で講演をしてまわったことや、大阪版満員電車に揺られたり、ちゃんこを食べて感激したのが遠い昔のようだ。

帰路は、土曜日の深夜にマレーシア(クアラルンプール)からシンガポールに入って、空港内のホテル(なんと搭乗ゲートと隣接!)で仮眠を取り、早朝出発から東京経由でロサンゼルスに帰ってきた。

まず、シンガポールからマレーシアの飛行機の予約が、リコンファームがないという理由で落っこちていた。(こんなことはしょっちゅう。きっと何とかなるし、なってきた)

それから、シンガポールでの乗り継ぎ(空港内ホテル宿泊)は本来通関の外に出てはならないのに、知らないでうっかり外に出てしまったものだから、深夜でボーディングパスを発行してもらえず、危うく野宿の人になるところだった。(24時間の空港のヘルプデスクのお嬢さんたちが必死に通関に交渉して入ることができた)

最後までハラハラドキドキ楽しい出張だった。

思えば、マレーシアの空港に着いてから、ロサンゼルスの通関を抜けるまで26時間のロングトリップだったけど、窓の外を眺めたり、メールの返信をしたり、本を読んだり、眠くなってはコックリコックリしているうちにあっという間に帰ってきた。長旅がちっとも苦にならない。

ボクは小学生の頃、週末はポケットに数百円の全財産を入れて、ママチャリ(フツウの自転車)で、それも時には近所の子どもとタンデムで、大人がビックリするくらい遠くまで走る少年だった。

故郷の讃岐山脈を越えて徳島県の吉野川まで訪ねた時は、目算を誤って、登っても登っても風景が変わらない帰り道、いつの間にか闇が降りて心細くって泣きそうになった。

やがて10代はヒッチハイクの味を覚えて、遠くに行く時はトラックの運ちゃんの好意と退屈しのぎに甘えて日本のあちこちを旅するようになった。知らない世界、ちがう境遇の先輩たちとの会話は教室の1000倍楽しかった。

19の時、運輸省航海訓練所の帆船日本丸で、冬の北太平洋を風のチカラだけで45日かけてホノルルまで辿り着いた。

ディスコもコンビニも信号もテレビもない世界。そして女性がいない野郎だけの世界。

風呂は海水。洗濯はタライで手洗い。毎朝、ヤシのブラシで甲板磨き。

毎日風景は水平線。朝晩海面から55メートルの高さのマストに、裸足で登って水平線を眺めると、本当に地球が丸いことを実感した。

天の川は、本当に夜空に大きな川が横たわっていることも、星座が教科書に出ている点と線ではなく、星座そのものであることも、月のない夜空が教えてくれた。

六分儀で星や太陽の高度を測って、手計算で船の位置を確認する毎日。
その延長線上に、ホノルルも、アメリカ大陸も、南半球のタヒチもあった。人間ってスゴイ。

海の向こうに陸があって、そこには灯りがあって、まだ見ぬ人の営みがある。

遠くへ、遠くへ。

あれから20数年。ボクの性質はあんまり変わっていないようだ。