仲間からの相談

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日本とアメリカで事業をしている長年の友人からメール。

彼女は努力と才覚に人で、どっちの事業もうまくいっている。
このご時世に日本の親に5000万円出して新築の家を贈ったりしている。

どこから見ても順調なんだけど、人生の真ん中あたりで少し疲れてしまっていて、一方の事業を誰かに任せきりにしたい、どうライフバランスをとっていったら良いだろうという相談だった。

僕は「信頼できる幹部に任せても、決して手放しで任せ切ってはならないよ」とアドバイスした。

頼りにすることと、依存することは似ているようでまったく異なる。僕もその失敗を繰り返すし、油断するとつい忘れる。

「そのこと」をもう考えないでいいようにしたい、
任せ切りたい、不在時の不安や心配から解放されたい、
日常の問題や雑事からも解放されたい、

と、経営や人生にくたびれると、つい逃げたくなるものだけど、「手放しで任せ切れる人が現れる」「任せきりで次のやりたいことに専念できる」というのは、あるそうでない幻想だ。

トップ、ならびに経営陣は、どこまで行っても「当事者」なんだ。

人に任せながら、人を頼りにしながら、経営者(陣)自らも、いっしょに考え、いっしょに悩み、いっしょに汗を流して、いっしょに成果を分ち合って、初めて人がついて来てくれる。会社を支えてくれるメンバーたちに、感謝と愛情の水(時にビールと焼肉)を朝に晩に注ぎ続けてこその経営だ。

そして、有意注意。チャンスやピンチのサインは日常にある。一見小さなクレームや、社員の一瞬の表情の中にこそある。それを見落とすことで、商機や大切な社員を失うことがある。経営が手放しでそんなサインに気づくはずもない。

経営者は楽(ラク)しようなんて考えちゃならない。またそういうことが楽しいと思えないなら経営者は向いていないのかも知れない。

先週は(自分を棚に上げて)仲間たちに一人前のことばかり言ったから、僕も(自分)今週が史上最強の一週間になるよう真剣勝負で取り組むのだ。

水曜日から久しぶりのサンディエゴ出張。