メンフィス1900マイル

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「パパありがとっ。旅行楽しかったよ。いつも大好きだからね!」

日曜日の夜。メンフィスから帰って、風呂を浴びてるうちに娘からのメッセージが留守電に残ってた。

娘が高校の教師に赴任するテネシー州のメンフィスへ、娘のプリウスで1900マイル(3000キロ)の道のりを3日掛けてドライブして、帰りは飛行機で帰ってきた。

車と荷物を運ぶのと、娘の社会人生活が始まる街を自分の目で確かめておきたかった。(まあ要はいっしょに過ごしたかったという話なのだけど)

1900マイルの道中はちっとも退屈することがなかった。

話は尽きなかったし、小腹が空いたら、娘がスイカやスナックを運転する僕の口に放り込んでくれた。

大きな橋を渡る時は、両方の窓から手を出してはしゃぎ、海底を抜けるような大雨の時は、雄叫びをあげた。まるで子どもだ。

音楽はケンカしないように選択権を交替した。子どもの頃からギターで聞かせた佐野元春が流れるといっしょに歌い、山崎まさよしの声がサビで裏返ると、その度に娘は裏声のマネをして大きな声で笑った。

何でもないことが可笑しく、何でもないこの時間がずっと続くといいなあと思った。

「お前、高校の数学なんて教えられるの?」と訊ねたら、「何を教えるかより大切なのは子どもをやる気にすることなの。私はその子をやる気にさせるのが得意なの」と明快な答えが返ってきた。

僕も学習塾を経営していた頃、子どもの成績を上げるのにはちょっと自信があった。その子を好きになって、いいところを見つけて、一生懸命褒めて自信をつけたら面白いように頑張る。頑張ったら、遅いか早いかだけのちがいで成果は必ず現れる。娘が同じ言葉を口にしたのに驚いたし、なんだかうれしかった。

昔から何度も話してきたことだけど、人生や仕事のこと、人間関係のこと、お金のこと、僕の考えを話した。きっと耳にタコができてるだろうけど、表情豊かに娘は相槌を打つ。そんな彼女は、みんなの言葉に誠実に耳を傾けるけど、最後は自分で決めて行動する。

「先生を何年か経験したら、もっと勉強するために大学院に行くの。それからアジアかオーストラリア、どこかちがう国でも教える経験を積みたい。そしていつか州の政治家になって、国の政治家になって、この国の教育をもっと良くしたいの」

一人前のことを言ってるけど、全然頼りないし心配は尽きない。

僕は昔から子どもたちに何かになってほしいとか、出世してほしいなんて思ったことがない。一日が無事に終わったらただそれだけで有り難い。

メンフィス最後の夜、スポーツバーで手羽先をかじりながら一番大事なことを伝えておいた。

「お前ができる一番の親孝行は、毎日健康でいること、元気でいること、常に安全な環境に身を置くことだ。ひとりで生きてるんじゃないってこと、忘れるな。ママに時々電話して元気な声聞かせろよ」