おかげの人生

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日頃の不義理を反省する出来事が続き、善は急げで、昨日の午後はお世話になった方たちにひとりひとり電話をした。

お礼や近況を伝えたい方は尽きないが、まずは創業の頃からの恩師の方たちに。

アドレス帳を捲りながら気づいた。

実習生(学生)時代からお世話になっているビルさん夫妻も、本誌コラムライターの阿木先生も、ライトハウス創刊時のアパート兼オフィスの大家の小川夫妻も、初めてのオフィスを格安で提供してくれた大家の秀さんも、みんな20年前の一文無しのボクに対して見返りなんて一切求めない無償の愛で応援してくれたんだよなあ。

ゴハンや酒を何杯お替わりしても、いつもにこにこ(時に呆れながら)ご馳走してくれたし。(恥ずかしいくらいタダメシ人生を送っていました)

そう言えば、資金繰りが厳しくて、すぐに金になりそうな話に飛びつこうとした時、阿木先生に顔を真っ赤にして叱られたこともあった。「キミには志がないのか」と。

また、やはり創業間もない頃、風俗系の広告が4、5件入りはじめたとき、ある広告主に呼ばれて「苦しいだろうが、そういう業種の広告は歯を食いしばっても載せてはならない。キミたちが一生懸命作るライトハウスの品格を落とすことになるんだ。どうしてもたいへんなら私の会社が肩代わりするから頑として断りなさい」と諭してもらったこともあった。あの時は「貴様、訴えてやる」と脅かされながら、一件一件お詫びして掲載をお断りした。

トレーナーでリトル東京を営業している時に、一度何かで名刺交換をしたビジネスマンに呼び止められ、遠慮がちの困った顔で「そんな格好じゃ、相手に信用してもらえないんだ。自分の商品を営業するなら、まずキチンと身なりを整えないとダメだよ」とアドバイスしてくれた。言う方が辛かったろう。営業はおろか会社勤めもしたことがないボクだったから、そんな当たり前のことすら知らなかった。

なにも知らないと言えば、初めて広告を受注した保険のエージェントのKさんの自宅に営業に行ったときのこと。120%お情けで広告の契約をしてくれたのだけど、広告の制作や支払いの話を先方がしてもボクはトンチンカンプン。話せば話すほど何にも知らないことがバレて終いには呆れられてしまった。
それでも、オレンジカウンティが見渡せる広い裏庭に招かれ、「汗と涙とナニクソ(肥料の意味)という努力の積み重ねでカネの成る木が育つんです。あなたもせっかくこのチャンスの国アメリカに来たのだから頑張りなさい」と励まされた。

思い返せばきりがないくらい、たくさんのご恩に導かれて生きてきた。
忘れてしまっているご恩や不義理もたくさんありそうでまったくもって情けない。
それは辞めていったスタッフや今ここで働いてくれるメンバーも同様だ。

少しでも私心を捨てて、気持ちを真っすぐに据えて、この日系社会や後輩たち、世の中にその恩を返したい。

ちょっとは応援したりチカラを重ねた甲斐があったと思ってもらえるように。