26日の午後の窓辺で

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12月26日の午後。

窓の外で雪が舞うのを眺めながらこの原稿を書いている。
山小屋の背後に広がる針葉樹の森を、横風が力任せに揺さぶっている。部屋の中では暖炉の炎がゆれる。

この一年は間違いなく、後で振り返ったときに節目となり、転機と言える一年であったと思う。

とりわけ一月に、京セラの名誉会長で、KDDI創始者で顧問の稲盛和夫氏が主宰する経営者のための学びの場「盛和塾」のアメリカ支部に入塾したことは大きかった。

3年ほど前に、ロサンゼルスに支部を発足すると知人に声をかけてもらったにもかかわらず、その時は心の準備ができていなくて見送った。もっと言うと、当時は人の話に耳を傾ける謙虚さも学ぶ姿勢も薄かった。恥ずかしながら自信過剰で唯我独尊だった。空っぽの。

時を経て、今年の一月に体験入塾したときの自分は成長に飢えていた。創業以来、17期連続で業績を伸ばしてきたけど全然物足りなかった。自分の中の天井を粉々に壊したかった。シフトチェンジしたかった。

群れることを嫌い、昔からグループで行動できない自分だけど、盛和塾だけは一年を通して参加した。ロサンゼルスの塾生が親切に、温かく迎え入れてくれたことも大きかった。みんなホント前向きでやさしい。

毎月の勉強会や、夏の全国大会、11月の市民フォーラムなどで、何百億、何千億円の年商をあげる経営者から、生まれたての個人事業主まで多くの経営者と交わることができた。話せない苦労や課題も、同じ塾生という連帯感で違和感なくぶつけ合えたし、ノウハウはお互い気持ちよく分かち合えた。

成功している塾生ほど謙虚で、自分を磨こうとする真摯な姿勢にふれ、素直に謙虚な気持ちになれた。稲盛和夫氏自ら、70歳をまわってなお、世の中のためだけに人生を捧げる生き様にふれて「利他の心」を学んだ。

同時に、効率を追い、物質主義の世の中に翻弄される自分の弱さや卑しさを恥じた。今この瞬間も煩悩まみれだけど、19歳の夏に坂本龍馬を読んで、世の中を前に進める人生を送りたいと誓った自分を取り戻しつつある。

11月にはロサンゼルスで、稲盛氏を囲んで、日本、ブラジル、NY、西海岸から塾生170名が集まり、市民フォーラムの前夜に、塾生だけの盛大なイベントが開催された。その中の「経営問答」というコーナーで、壇上の稲盛氏を前に、20分もの時間をちょうだいして、自社の経営を報告する場をいただいた。ステージに上がる前は、心臓が破裂するくらい緊張したけど、いざステージに上がると、稲盛氏や塾生の温かい視線の中でだんだん心が静まり、途中から自信を持って堂々と話すことができた。アガリ症のボクだけどすべて出し切ることができたと思う。

この発表を受け、稲盛氏が20分も長い時間、ライトハウスのためにコメントをしてくださった。

「何も言うことはない。本当によく考え、工夫してやっている。利益率も素晴らしい。新規事業で、日本から人材斡旋をして、アメリカで働ける日本人を増やすということは、ビザや距離など困難は多いだろうが、がんばって実現してほしい。尊いことだ。ひとつだけ注文をつけたら、50億、100億の売り上げというのはすぐに実現できるものではない。急ぎすぎないように」

飛び上がろうかと思った。大声で叫ぼうかと思った。

目の前3メートルに、自分がこの世の中の経営者で、最も尊敬する稲盛さんが、自分の事業についてアドバイスをしてくれている。そのままでいい、そのまま走れと笑顔で励ましてくれている。たった一代で、年商4兆2千万円の世界的なグループを創造した稀代の経営者が、ライトハウスを褒めてくれた。ボクの構想を応援してくれた。やってきたことを肯定してくれた。

この感激と感謝は一生忘れられない。
稲盛さんが生きておられる時代に間に合い、知識と人脈、気力、体力、組織力、財力、すべてにおいて黄金時代に入るこのタイミングで、この機会をいただけたことは決して偶然ではないと思う。

見えない偉大な力が、この機会を与えてくれた意味について、長い冬休みの間、考えてみたい。事業計画にも腰を据えて取り組もう。

そう、初心に返って、司馬遼太郎の「龍馬が行く」を読み返すことにしている。20年経って、どんな気づきがあるか楽しみだ。

今までで一番幸せで、安らかな気持ちで迎えることができたこの冬休みを目一杯楽しんでみたい。