地中海・日食をめざして (後)

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(3月29日)
10時過ぎに12階のトップデッキに上がると、お母さんとひろみちゃんが日食の場所を確保してくれていた。日食まで2時間以上あるが、トップデッキや船首のあたりは、いかにも天体をやってそうな風貌のヨーロッパ人が、本格的な機材を組み立てている。

今回、日食が見られるのは地中海からリビアにかけてのわずかなエリアに限られるのだが、船長がアフリカ側の天候不順を予測して、より北側の晴天のエリアに舵を切ってくれている。日食の30分前には船の行き足を完全に停止して、今回のクルーズのハイライト日食に備える。

12時27分、船内放送で日食が始まることをアナウンス。
12時32分、いよいよ日食が始まる。首が痛くならないよう、太陽の角度に合わせてデッキチェアに仰向けになり、日食用サングラスと、双眼鏡にフォルムを貼り付けたものを交互に覗き込む。

フィルム越しの太陽は溶けそうに鮮やかなオレンジ色。そのオレンジが少し欠けて、ダイエーのロゴになる。やがてダイエーはマスターカードに姿を変え、次第に三日月のように痩せていく。いよいよ最後は一本の弧になり、あたりの温度が急速に下がる。

弧は加速してその身を縮め、とうとう点となりぽっと消えた。
その瞬間、空は青紫色に染まり、石川氏の指差す先に金星が浮かぶ。


船全体から歓声が沸きあがる。
月の輪郭にプロミネンスが揺れる。

4分後。完全に隠れた太陽が再び顔を覗かせる。それを船が汽笛で応える。再び、デッキは拍手と歓声に包まれ、人々は抱き合い、握手を交わし、それぞれの喜びを身体いっぱいで表現する。言い知れぬ感動で、大粒の涙がこぼれそうになる。いやボロボロこぼれた。プロにして、誰より思い入れの強い石川氏は、胸に穴が開いてしまったと翌日まですっかり抜け殻になった。こんな機会をくれた石川夫妻にしみじみ感謝。

その日の夕方、事件が起きた。
3時頃に「30分で帰ってくる」と部屋を出た息子が、6時を過ぎても帰ってこないのだ。暢気にかまえていたけどあまりにも遅すぎる。卓球場、サッカーゲーム、ゲームセンター、船内の思いつくところをみんなで手分けして探すけど見つからない。不安が暗い焦りになる。何かに巻き込まれたのか。船内の華やかな内装すべてが色を失う。早足でもう一度祈るような気持ちで心当たりを回ったが見つからない。努めて冷静に、あらゆる状況をシュミレーションしながら部屋にもどると、泣きそうな顔で肩を落とし、うな垂れる息子が立っていた。時間をすっかり忘れて、友達と遊び歩いて、最後にゲームセンターにいるところを家内が見つけたらしい。

思わず拳を握ったが、自分もまたそうであったことを思い出した。いや、正確にはこの歳になっても何かに意識が行くと、一切の音が入らなくなるし、見えなくなってしまう。それでずいぶん迷惑をかけている。遺伝だな。諦めにも似た思いが広がる。それでも肩に手を置いて「お前がどんなに大切な存在かを忘れるな」と絞り出したら、息子は堰を切ったように泣いた。こっちもつられて熱いのがこみあげ、喉の奥で飲み込んだ。

その夜は乗組員によるナイトショー。
世界の歌やダンスが続く。みな芸達者だ。いや、私もいけるかな。ふとアイドル衣装の南米女性に目を凝らした。あれま。うちの部屋のメイドのシーラじゃないか。舞台から目が合うとにっこり合図をくれた。うれしいような困った気持ちになる。横目で見ると、まだ鼻の赤い息子が小さく手を振っている。

 (3月30日)
ゆっくり起きてブランチへ。この日はイタリアンのバフェで、赤ワインをハーフボトル。野菜のラザニアがイケる。

午後は帳面を広げて、事業の構想やフォーメーションについて棚卸をする。お金を稼いでこその事業なのだけど、その前に、読者の信頼とか、メディアとしての使命とか、あるいは広告主のケアとか、大切なことが留守になっていないか振り返る。課題は尽きないけど、改善・成長をし続けることが事業の醍醐味だ。

今回、ヨーロッパの人たちと接するなかで、改めて思いを強くしたのだけど、もう大きさは追わない。もっともっと強い会社を創ろうと決意を新たにした。強い会社とは、財務基盤はもちろんだが、オンリーワンを持っていて、顧客に愛され(喜ばれ)、社員が物心ともに豊かになり、世の中に必要とされる会社だ。人生の後半戦、これからも良い仕事をていねいに、まっとうに紡いでゆきたい。

この夜、アレックスと卓球で汗を流す。なかなか善戦。
プレイ後、世界中にあるこのクルーズ会社についていろいろ教えてくれた。また、オレは毛皮の商売だから冬以外ずっと時間があるんだと笑った。おいおい。

 (3月31日)
自然と目覚めてカーテンをめくると薄闇にリビアの町が浮かぶ。

このところ、時差調整やサマータイムで、時計を進めたり戻したりしていて、今何時なのかわからなくなってしまう。カメラを持ってベランダに出るも、低い町並みから誰かがこっちを見ているような気がしてちょっと不気味だ。

戒律が厳しいリビアは一切のアルコールが禁じられていて、入港と同時に室内の冷蔵庫には鍵がかけられた。その棚の上には焼酎のビンがそのままなんだけど。

朝食を済ませ、8時から上陸。ただしUSパスポートの上陸は認めない。
オプショナルツアーのバスが20台ほどもタラップのまわりに並ぶ。軍服の役人がうろうろしていて物々しい。英語のガイドが同乗するわれわれののバス(新車のベンツ)には、カダフィの肖像画がフロントガラスに貼ってある。画の背景には、雲の切れ間から太陽が射している。

中東に詳しい仲間から、女性が肌を晒してはいけないと聞いていたので、われわれ一行は、ターバンを巻いたら埋没するくらい控えめな格好で備えた。もちろん私も、役人受けしそうな模範的な衣装で、くれぐれも国民感情を逆なでせぬよう最善を尽くした。にもかかわらず、ヨーロッパの連中は一切お構いなし。タンクトップに短パン、サンダルでペタペタ歩くおじさんもいる。

複雑な気持ちで出発を待つと、リビア人の青年ガイドが颯爽とバスに乗り込み、明朗にあいさつ。なんか肩透かし。写真撮影もオッケイだって(ただし撮影許可料として13ユーロ支払う。自己申請)。

バスは町を抜けて郊外のローマ遺跡へ。

リビアの町並みや家屋は、ギリシャに輪を掛けて質素なつくりだ。崩れたままの廃墟も目立つ。曇り空のせいか、市場も通りも歩いている人々は何だか疲れた感じで全体に覇気がない。そこへ持ってきて、たまに見かける老女や子供以外、歩いているのはすべて男性だけだから何とも異様な光景だ。

舗装の悪い道路に体を預けていたら、後ろの席の年配者が話しかけてきた。彼はスチュワートさんというアイルランド人で73歳。今回、息子夫婦と兄の4人で参加するこのクルーズで通算30回目だそう。

クルーズ自体、旅の「目的」ではなくどうやら「手段」のようで、クルーズに乗っていろいろな国を巡るのが趣味のようだ。来月には中国、韓国、日本をまわるクルーズに奥さんと参加するというから忙しい。もともと町の電気屋さんをやっていたが、10年前にすっぱりリタイヤしたのだそうだ。「アイルランド人は、人懐っこくて親切だから遊びに来るといい。海岸に囲まれた風景はとても美しく、とくに夏が良い。ビールもウイスキーもおいしいから」と、親しくなった帰り道に誘ってくれた。そして「子供が旅を忘れないように、毎年旅の思い出を語ってあげるといい。旅の思い出は彼らの人生を豊かにしてくれるからね」と加えた。


博物館の正面玄関に、3階建てほどの高さでそびえる、カダフィ大佐が拳を振り上げる肖像画が独特だったけど、アフリカ料理を食べながらの演奏や踊りも楽しかったし、午後のローマ遺跡はスケールの大きさと当時の技術力の高さに感心。あと、昔ボリビアで見上げた空に負けないくらい、深く鮮やかなブルーが目に沁みた。


最初は慣れぬ雰囲気に面食らったが、接するとリビアの人たちは素朴で親切だ。ガイドも職員も店員もウエイターも、観光地にありがちな世間ズレしていない。石川氏の元同僚が、夕刻面会に来たときも、警察官のひとりがわざわざトランクに乗り込み、窮屈なパトカーで送ってくれたりした。マスコミの情報や表面的な部分で、彼らに先入観を持ってしまった自分を恥じた。

その夜は最後のフォーマルディナー。ウェイターは毎日のユニフォームを、テーマに合わせて変えるのだけど、この夜は紺のジャケットに身を包み、キリッとしていてカッコいい。毎晩、サービスをしてくれる中で、彼らとの会話があったり、われわれを喜ばせるための、さまざまな演出をしてくれる中で、自然と親しみが増していたので、明日の夜でお別れと思うとなんだか寂しい。

旅も人生も必ず終わりが来る。

いつの間にかすっかりクルーズのファンになった。

きっとそれは、毎日進化する、スタッフとの血の通ったコミュニケーションによるところが大きい。少なくともこの船では、毎日のディナーも、部屋の世話も、あるいはジムのトレーナーも、それぞれ同じ担当者が面倒を見てくれるから、自然と、個人対個人の信頼残高が積み重なっていく。一度頼んだ醤油が、毎食テーブルに用意されていて嫌な気持ちがする訳がない。

同様に、イベントやオプショナルツアー、稀にカジノなど、さまざまな接点を通して、客同士でも、ちょっとしたキッカケで仲間になったり心が通ったりする。とどのつまり、人は人によって癒され、元気になったり、やさしい気持ちになる。旅は「人」であり「コミュニケーション」なんだなあと改めて納得。

 

卓球仲間のアレックスからは、次回うまく連絡を取っていっしょにクルーズに行こうぜと誘ってもらった。ちょっと調子がいいけど、気持ちの良いイタリア男だ。サウナでは、カジノで隣り合わせた男が肩をすくめた笑った。その後ずいぶん酷い目にあったと。聞けばジェノバに住んでいて船は馴染みらしい。こんな日々のやりとりが、心の底に蓄積したザラザラやドロドロをきれいに洗い流してくれる。

 (4月1日)
今日が最終日。明朝はいよいよ下船だ。

ブランチをゆっくり楽しみ、早めに下船のために荷造り。明朝、サボナに帰港するから、今晩のうちに大きな荷物は出しておかねばならない。荷造りが終わったところでジムへ直行。クタクタになるまで身体を苛めて、予約しておいたエステへ。フランスのブルゴーニュから期間契約で参加しているエリーが、頭皮、フェイシャル、首と肩、ふくらはぎと足の裏を、それぞれ50分掛けて丹念にマッサージしてくれる。だけど、やわらかい指先は筋肉の表面を滑るばかりで、さっぱり効かなかった。踏んでもらった方が良かった・・・。


この夜は、最後のひと時を名残惜しむ人たちでどの盛り場も遅くまで賑わった。息子たちも、船ですっかり親しくなったオランダとサンタモニカの少年たちと再会を約束してメール交換をした。

 (4月2日)
8時ちょうどにイタリアのサボナに帰港。

2000人以上が大荷物で下船するから、どんなに混雑するか半ばあきらめ気味でいたらさにあらず。実に手際がよく、とくに待たされることもなく、9時15分には船を下りて、荷物をピックアップしていた。これってすごいことだと思う。

明日は早朝のフライトなのでジェノバの空港近くのホテルへタクシーを走らせた。タクシーの窓から、お世話になったコスタ・フォーチュナが小さくなっていく。

 いろいろな旅をしてきたけど、今回のように、この時この場所でしか見られない日食に遭遇できて、親友や家族と毎日楽しく過ごせて、ヨーロッパ人の仕事観や哲学にもちょっぴり触れて、さらに世話をしてくれるクルーたちのもてなしも満喫できるという旅は、なかなか体験できるものではない。本当に素晴らしい旅だった。いつか親や弟家族も連れて行ってやりたいと思った。

さてこのクルーズ。参考までに料金を案内すると8泊9日で1人1200ユーロ。ホテル代の高いヨーロッパで、全食事がついて、これだけのサービスが受けられての料金だから良心的と言えるだろう。部屋を選ばなければその半額くらいからあるそうだ。圧巻は子供ひとりの追加料金110ユーロ。毎晩、大人と同じ本格的なコース料理が出てきたけど採算が合うのかちょっと心配。

 (4月3日)
午前4時起床。
チェックインの際、ミュンヘン−ロサンゼルス間のチケット予約が入っていないとひと騒動。不安を残したまま7時の飛行機でジェノバを後にする。

幸い経由地のミュンヘンで帰りのチケットは確保できたけど、今度は通関で、石川氏のお母さんが「アメリカから先(すなわちロサンゼルス−東京間)のチケットがないと飛行機に乗せない。日本にここから直接帰ってください」ということになって大慌て。

絶体絶命のピンチだったけど、そこは全日空(帰りのエアライン)、日本からすぐにチケットのコピーをファックスしてくれたので間一髪、事なきを得た。もう少しで片道1600ユーロ払って日本に帰るところだったので、みな胸を撫で下ろした。

いやはや、最後まで油断ならない。

ロサンゼルスへ向かう飛行機が急速に高度を上げてミュンヘンの地を後にする。日食のシーンや旅で出会った人たちの顔を思い浮かべながら、窓からの景色を眺めているうちに、やがて深い深い眠りに落ちていった。

温かい人たちと過ごす豊かな旅が終わろうとしている。

(旅を終えて)
石川氏へのメールでも宛てたのだけど、帰国してから、前にも増してポジティブで、もうひとつ言うと、とても穏やかな気持ちだ。

微量の焦りや迷いがなくなって、やるべきこと、やりたいことが集約された思いとでもいうか。これからは、自分たちにしかできないこと、自分たちがやるべきことだけを追いかけていこう、常に高いハードルを設定して、それを当たり前にクリアし続けたい、その繰り返しによって、自分たちの後に道ができて、世の中が少しでも前に進んだらいいなあ、とそんな気持ちでいる。

またブレそうになったり、軌道修正を一生繰り返すだろうけど、今回の旅は人生の中の大きなポイントになりそうな気がする。