卒業

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6月10日、快晴のもと、無事息子の中学の卒業式を迎えることができた。

オープニングはブランスバンドの演奏の中、名前を読み上げられた卒業生が壇上に上がって、担任教師から卒業証書を受取り、いったん担任のとなりで笑顔をこしらえてから席に着いていく。ここがシャッターチャンスだ。

早々に我が息子の名前が呼ばれて、望遠レンズで担任教師にフォーカスを合わせるも、いつまで経っても息子が舞台に上がってこない。

おかしいぞ。と、思って席の方を見渡すとすでに息子は座ってるじゃないか。

なんと。舞台の左右から入場していたのだ。いきなり決定的なチャンスを逃す。なんてこった。
 

まぁカミサンがビデオ回しているし、と思ったら同じ過ちを犯していた。文字通りおめでたい夫婦。
 

優秀生徒や奨学生の発表や生徒代表のスピーチ、校長や先生のお祝いの言葉が続く。
みな、ユーモアたっぷりで、それでいて品格と熱さのバランスも良い。大人も子どももアメリカ人のスピーチ上手にはいつも感心する。校長が何度も繰り返して「ネバーギブアップ」を訴えていた。そう、あきらめない大人、信念を通せる大人になってほしい。ふつうの人がとっくに諦めたその先にしか本当のチャンスや成功なんてないと思う。

成績優秀者には縁遠いけど、プログラムの途中で息子たちのバンドが演奏をさせてもらった。フルネームで紹介され、舞台に上がる息子。プログラムの「コミヤマ」に名前をなぞる。

仲間たちとうれしそうにドラムを叩く息子が眩しい。
 

 

息子は中学に入る頃、将来はMIT(マサチューセッツ工科大学)に進むと言って周囲を喜ばせたり、驚かせたものだが、テストの度にマサチューセッツは遠ざかるばかりで、今では言った本人がそんなこと忘れているようだ。

通信簿も視力検査で見たような記号も散見されるけど、本人もボクもあまり気にしていない。

明るく元気で、友だちに恵まれ、少しだけ礼儀も知ってて、無事に今日の卒業式を迎えられたことに感謝しよう。こいつや娘が小さい時、深夜や連日高熱を出して苦しむと、神さまに自分の命と変えっこしてくださいと祈った。ボクは神さまにそれ以外、シゴトのことや自分のことではお願いしたことがない。たぶん。覚えてる限り。

うちの親はどっちも超個性的で無茶も多かったけど、子を思う気持ちはきっといっしょだったんだろうな。

式が終わって、息子が駆け寄ると、娘が用意した2つのレイを首にかけた。

娘は自分の明日試験があっても、真夜中でも、弟がわからない宿題があると必ず手を止めて熱心に教えた。この姉に弟は頭が上がらない。

ファインダーの中で照れる姉弟。

お祝いに駆けつけた弟家族とも写真を撮った。
 

 

明日は姪っ子の卒業式だ。

子どもたちの成長は早い。そういうボクらが歳を重ねるのはもっと早い。

先ばっかり見ている毎日だけど、今この瞬間を噛みしめて、ていねいに生きなくては。

ネクタイをしめて、いっちょまえの格好の息子を抱きしめようとしたらそそくさと友だちの方に走っていった。