サウナで語ろう

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出版の仕事はアメリカの中で完結するけど、国際教育事業の方はフィールドが日米であることと、顧客である大学や専門学校の要望で、よその会社や個人とタッグを組んでプロジェクトを推進することが多い。

1000倍もあるような大きな企業と組む時も、先方はちゃんと我々をその分野のエキスパートとして尊重してくれるし、もとより我々も心強いパートナーとして全幅の信頼を寄せる。

だから相手の大小、受注関係(発注側、受注側)に関わらず、「学生に最高の価値(体験)を提供する」一点にベクトルを重ねて、チカラ以上の成果を上げてくることができたと思っている。

ボクは威張ることが大嫌いだし、威張られることも好まない。人間いつ立場が変わるかもわからないのに、客であるからとか、規模が大きいとか、立場が有利だからと大きく出るのは卑しいしみっともないことだと思う。誰に対しても謙虚でやさしい気持ちをもてる自分でありたい。

もうずいぶん昔で時効だから書いてしまうけど、大手と言われる企業と組む時、とんでもなく威張り散らすおとうさんと遭遇することも稀にあった。ゲロゲロと思うけど、クライアントのご指名だから拒否権はない。

「オレ様を誰だと思ってる」と。「天下の●●だぞ」と常に言葉に態度で威圧してくる。本質の話、価値の最大化の話ができないのだ。

それでもうちのメンバーの方が大人だから奥歯を噛みしめては屈辱を飲み込む。

ボクはそんな報告を受けると、人間が練れていないから、会社訪問をして机を全部ひっくり返して、サンダルでターゲットの頭を3回張りたい衝動に駆られるが、日本の営業サイドが苦労して受注まで結びつけたビッグプロジェクトを無にすることはできない。

担当者の痛みや苦労を考えたら、ひとり熱くなってる場合じゃない。
相手がどんな輩であろうと、粛々と最善最高の仕事を残すのがプロだ。
そう思ってコブシをおろす。

小学校の時か、弟が近所の悪ガキにやられて泣いて帰ってきた。

「ゆるさん、絶対にゆるさん」

ボクは弟を連れてすぐにそいつの家に行って海まで連れ出した。

冷静に話したかったけど、言葉が足りなくてその場で張り倒した。

許してくれと泣き叫んだけど、気持ちを上手に整理できなくて、ボクはそのまま堤防の脇からヤツを突き落とした。

今ならそんなことは絶対にしない(かもしれない)けど、根本はちっとも変わっていない。メンバーや仲間がやられたら頭の方に血流が集結する。理屈じゃない。日本国憲法でもない。ハムラビ法典なのだ。

ヘンなことを思い出した。

それにしても思う。

大手だろうが、社長だろうが、先生だろうが、隊長だろうが、みんな裸で生まれて裸で死んでいく。そんなもの何の足しにもならない。あの世で社員証や会社のバッジはあまり有効ではないのだ。

だったら看板もバッジも最初から捨てて、素手で勝負して腹で語れば良いのだ。

いつか仕事を離れても、慕ってくれる人、つき合ってくれる仲間、頼ってくれる人たちの存在が、シゴトと人生の通信簿ではなかろうか。言い換えると、「在職中の人間関係」ー「リタイヤ後の人間関係」が大きい人はちょっと切なめ。ではないかな。

背広脱いで裸でサウナで語ろうではないか、先輩よ。

とおびき寄せ、外から泣くまで閉じ込めたりして。