コブシをチカラをこめて

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昨日は関西大学、今日は同志社大学の研修生たちにレクチャーをさせてもらった。
みんなすごく前向きでビュンビュン手が挙がる。表情も豊かで、こういう若者たちにはもっともっと伝えたい、あれもこれも伝えたいと俄然チカラが入る。

近頃の若者は、なんて聞かれるけど、なんのなんの、熱くて気分の良い学生はいっぱいいる。日本の将来は決して暗くない!

振り返れば、国際教育事業に乗り出して10年目になる。
情熱以外はナイナイ尽くしで始めた事業が今少しずつ開花している。

最初の頃にインターンや研修に参加した学生はもう30歳くらいになるだろう。

当時、今よりさらに名もない会社だったライトハウスのプログラムを日本中の大学や専門学校に推薦してくれたリクルート。

リクルートの熱き担当者を信じて、単位のつく正規プログラムとして導入を決めてくれた学校。

道半ばの今もそうだけど、当時からリクルートの学び事業部の営業戦士や学校関係者と世を徹して飲んでは夢を語った。

ちなみに当時、中部北陸の統括部長として、1万馬力で応援をしてくれて、後に合流してライトハウスキャリアエンカレッジの社長を務めるのがターさんこと高畠だ。この事業の主役である。

教育で日本を変えるんだ。日本を救うのは教育しかない。世界中で個人が活躍できる世の中を創ろう。

お開きのタイミングと思ったら誰かが合流して、またそろそろというタイミングで誰かが合流する。終電はとうに過ぎ、しばらくすると始発に乗れる頃やっと解散する。まだ紺色の空を見上げて、必ずこの期待に応えてみせるぞとコブシを握りしめた。ボクは期待に応えたい時、溶岩みたいになった気持ちをコブシにこめるクセがある。

それから数時間の睡眠で飛び起き、朝一番の学校訪問からコンテンツ強化を訴えた。

ほとんどの学校は相手にしてくれなかった。お前だれ?って感じ。

だけど、相手の口から出る「やらない理由」「できない理由」は黄金のヒントだった。それを塗りつぶしていくことで、提案力や研修に磨きをかけることができた。

一日中、断られ人生だったけど、どのリクルートの担当者もイヤな顔もせずに新たな学校の開拓に根気よくつき合ってくれた。一日が終わるとまた天下国家を語って酒を酌み交わした。

現場責任者の鎌塚とボクの日本出張は毎日がその連続だった。

そのうちにぽつりぽつり、任せてくれる学校が現れていった。

それでうまくいきはじめたかと思うとニューヨークの同時多発テロ事件が起き、半年先まですべての研修がキャンセル。涙目になったけど、根拠のない信念が揺らぐことはなかった。試練こそが磨き砂だ。

そうそう、年々参加者が増えた学校が、ある年の研修で質の低いサービスを提供してしまって打ち切りにもなったこともある。たったひとつのミスや学校との連携不足で、それまでの実績も信用も瞬間で吹き飛ぶことを学んだ。

ボクらが頑張るのは当たり前で、あの頃、リクルートの役員から現場の人たちの応援がなかったら今はないかもしれない。

あの見返りを求めない無償の愛と期待、夢を重ねるパッションをボクらは決して忘れない。

そしてその恩返しが、この分野で圧倒的絶対的にナンバーワンオンリーワンのなることに他ならない。大恩は次世代にキッチリ返すのだ。

話を昨晩にうつそう。

昨日は日本有数のマンモス大学の女性経営者と深夜まで語らった。

ライトハウスのプログラム導入について検証するための視察の最終日だったのだ。ありのままを見ていただき、素のままの思いを伝えることができたと思う。

Kさんも心を全開にしてくれて、直球勝負で大学の信念や構想、人生観、若き日のご苦労を聴かせていただいた。

人と人の距離は、会った回数や時間、性別や年齢差などまったく関係なく、価値観とベクトルが重なったら瞬間で埋まるものだと実感した。そして、この方と生きた時代が重なって良かったと思えた。

「失礼ながらうちの教員も職員もライトハウスのことはよく知らなかったの。

それが不思議なことに、日本語を読めない外国人のスタッフにライトハウスを知っている人が多いのね。

とっても良い会社だよ、現地の日系社会でとても信頼されている会社だよって。

それで実際に来てみて、ライトハウスさんの社員や協力してくれている企業、関係者の方たち、研修に来ている学生さんたちに会って、本当にキチンとやっておられることがわかりました。

やっぱり来てみるものね。自分の目で確かめないとわからない。

これからはうちの大学のチカラにもなってくださいね」

Kさんを乗せた車を見送りながら、ツメがめり込むくらいコブシを握った。