親父の人生第3コーナー(3)

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施設は決まったもののやるべきことは山のようにある。

引越はもちろん、アパートの解約手続き(ガス、水道、電気、不動産業者)、郵便の転居届、電話の手続き、住所変更、最寄りの銀行口座の開設と家賃などの自動引き落としの手続きなど。

手続きを進める中で、海外在住者のボクは身元引受け人にも連帯保証人にもなれないことがわかった。海外に暮らすボクは様々な点でつくづく頼りにならないのだ。

これらの膨大な手続きや段取りをボクが日本に行く前から仕事そっちのけで従兄弟のアキラさんが取り組んでくれたことでどれほど助かったか。
親戚のありがたみを改めて噛みしめた今回の出来事でもあった。

9月3日。本来ならその場にいるべき、20周年のイベント(小林三郎先生の講演会)に立ち会えない非礼を小林先生にお詫びして、あとをスタッフに託してロサンゼルスを後にした。

その日のうちには萩に辿り着けないので4日深夜に博多に1泊。
朝一番にレンタカーで、新しい施設に入居したばかりの親父を訪ねたのが昨日のことだった。

カーナビに従って博多で合流した弟がハンドルを切る。

「んっ、この温泉、前に父ちゃんと来たで」

カーナビが最終目的地まで200メートルを表示したあたりはちょっと知られた温泉地だった。

良いではないか。

そこから1分、なだらかな丘を少し登ったあたりに、真新しいその施設はあった。

背景の田園風景、その向こうの中国山地の青々とした緑が眩しい。
耳を澄ますと夏の虫の音がまだ賑やかにこだます。

見上げると、こっちの心配をよそに2階のベランダから待ちわびた親父が呑気に手を振っている。子の心親知らず、である。まあ良かった。元気でいてくれて。

規則正しい入院中の食生活と断酒のおかげで顔色も断然良くなっている。

その日は施設の人にこれからの説明を受け、案内をしてもらって後にした。

施設長は、いかにも天職といった感じ(失礼!)のマジメでやわらかい感じの方で安心した。

今回、感謝状を100枚贈りたいくらいよく手伝ってくれた事務長のAさんには会ってみて驚いた。まだ歳の頃は30くらいか。

ひと言で美人。親父に話しかける表情は慈愛に満ち、その佇まいは朝のNHKの連続テレビ小説のヒロインのようだ。「さらに追加点!駄目押し」って感じ。

「バスの本数が少ないのがイカンのう。それが不便じゃ」

さっそくAさんに甘えてみせる親父。

そうそう、この施設には男性が4人。女性が16人入居しているそうだ。女性比率8割。

この日から3日間、施設に手続きや荷物を運び込むのに通ったのだけど、いきなり親父はモテている。

廊下の奥に親父の部屋は位置しているのだけど、ある時、施設内なのに首に金のネックレスをして化粧もキチンとしたバアちゃんが、廊下を通る親父に、腕組みのまま「あなた、いくつ?」と話しかける。

その向こうでは別のバアちゃんが様子を見守っている。

歳を答える親父に「まあ若いわね」と3回繰り返す。

そして親父の部屋の前まで話しかけながらついてくる。

「ちょっと耳は遠いみたいだけど、若いわね。うふふ」と去っていった。

なんか、ちょっとコワイ感じもしたけど、枯れ木も山の賑わいと言うし。食われるなよ親父。

朝ゴハンの5分前に食堂に行って待っていたら、少し年下の男性の同居人からも話しかけてもらったそうだ。

滞在中、親父の老眼鏡と新しいクローゼットとベッドを買った。
ベッドは寝転がったままテレビを見たり本が読めるよう電動のものにした。

親父が再び車を買おうと企んでいることをいち早く察知したので、先手を打ってブリジストンの3輪の自転車を贈ったら少しイヤな顔をされた。
安全第一なのだ。

こんなこともあった。
身分証明書を持っていることを確認して、最寄りの銀行に口座の開設に行ったら、親父が出してきたのはカリフォルニアの運転免許証だった。
「おう、あるで」
信じたボクらがバカだった。元来た道を再び車を走らせる。

伯母と親父を温泉にも連れていった。
いっしょにいられる時間は限られているから忙しい。

痩せて小さくなった親父の背中を擦ってやると照れくさそうに喜んだ。

親父のことでは、安心したり喜んだ後に必ずなにかとんでもないことになったから、ちっとも油断できないのだけど、今なにかをしてやりたい時に生きててくれるってありがたいなあと感謝している。

日曜日にこれを書きはじめて、今は火曜日の朝。

昨日は萩から福岡に入って、取引先の先生方の前で突然「元気の出るためになる話をせよ」と指令を受け、アタマを切り換えるのがたいへんだった(汗)。もう、すっかりアタマはシゴトモード。

これから京都、大阪、名古屋、東京で一仕事して帰国前にもう一度親父の様子を見に行く。

親父の人生の第3コーナー。
なんか良い感じになってきそうだ。