タクシー人生

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11月11日午後、上海のホテルにようやくチェックインした。

浦東空港からタクシーに乗ったのだけど、飛ばし屋の運転手に当たってしまい、途中何度も冷やっとする場面にカラダを硬直させ、ホテルに着いた時にはぐったり。

いや、前を走る車にはバンパーギリギリまでせっつき、さらにレーザー光線さながらにハイビームを連射。割り込みに対しても意地になって絶対に譲らない。
もう、他人を思いやる気持ちのカケラもないのだ。

どうもまわりの車を見渡しても同様で、クラクションや急ブレーキはザラ。

とくに双方腹を立てる様子もなく、やってもやられても意に介していない様子だから面白いと言えば面白い。

飛ばし屋と言えば、4、5年前に地中海に日蝕を観に行った時、イタリアのジェノバから乗ったタクシーも命知らずの運転で、乗っている間中カラダをつっかえ棒のようにして衝突に備えた。

これまたイタリア人の特色のようで、運転好きでスピードを楽しんでるように映った。フェラーリやランボルギーニを生んだ国だもんなあ。

ボクの知る世界の都市でタクシーの運転がおっかないベスト(ワースト?)5は、ニューヨーク、サンパウロ、メキシコシティ、それから我らが日本からは大阪。

これに今回上海を加える。みなさん、覚悟してください。

ニューヨークの運ちゃん。絶対に譲らない者同士がよく接触事故を起こしているからおめでたい。ニューヨークといえば若い頃、マンハッタンの信号待ちで中東の運転手に「お前の宗教は何だ」と訊かれた。ボクは毎日仏壇に手を合わせる方であるけど、面倒なので「とくにない」と答えた。そうしたところが大いに驚かれて、窓を開けてまわりのタクシーの連中に、「こいつ、無宗教だとよ!」と見せしめにされたうえ大笑いされてしまった。その後、「信仰がない」ことは世界では珍しく、ともすると恥ずかしいことなのだと知った。日本の常識が世界の非常識であることは多い。こういうのは会社や業界にも多いですね。

大阪の場合、まわりのドライバーに思いやりがないのは、タクシーというよりハンドルを握る府民全体の傾向かも知れない。渋滞時など「いわしたろか」というイライラが路上に溢れていて、田舎者のボクにはとてもおっかない。

東西対決で言うと、景気の良い頃の深夜の東京のタクシーもいただけなかった。
近距離だったらロコツにイヤな顔をされたり、平気で無視されるのに驚いた。
そんな時にはこっちも負けていないので、運転席の後ろあたりにぶら下げている運転マナーに関するアンケートハガキをおもむろに拾って、「こんなのあるんだ」と大袈裟に感心してみせるとようやく人並みに扱ってくれる。

そう言えば銀座ではタクシー乗り場が決められていて、道には客待ちのタクシーが溢れているのに、グッタリ顔のビジネスマンが長蛇の列を作るという不思議現象に、誰もがウンザリしていたけど今も貫いているのだろうか。

ボクは機嫌の悪い運転手の態度にふれるのもイヤだし、逆に長時間待った挙げ句に近距離では気の毒なので、土地勘があって荷物が小さい限りはなるべく電車を利用するし、東京駅や京都駅など、長時間タクシーが並ぶところでの乗車を避けて、少し歩いてでも流しのタクシーに乗るようにしている。あと、気持ちだけだけどコーヒー代くらいはチップを置かせてもらう。

その点、新大阪駅のタクシー乗り場は、近距離専用ラインがあるので、実際にはそう遠くなくてもそこから乗るようにしている。少し距離のあるところなら、たいてい運転手さんの機嫌も良い。ボクにとってタクシーの移動空間は、電話やメールのやり取りをする「仕事場」でもあるから少しでも穏やかな気持ちで乗っていたい。

なんだか今日はタクシー話が続くけど、
10年以上前、ペルーのリマでは目的地に行くのに毎回タクシーと交渉しながら乗っていた。どうせ吹っかけられるので、最初はダメ元で低めから交渉すると、相手が「参ったなあ」という顔をする。やり取りの末に良いディールをもらったかと思えば、帰り道は半額で帰れたりする。向こうが一枚上手なのだ。

ついでにペルー話を書くと、プーノという高度3000メートルを超える町に着いた夜、今晩の宿の交渉にのぞんだ。最終列車からはき出される客と、この日最後の営業に抜かりがない客引きの一大バトルだ。
こっちは凍えそうなカラダを一刻も早く温かいお湯で解凍したい。
シャワーがある部屋を条件に、米ドルで向こうが30ドル、こっちが5ドルくらいから交渉を始める。むこうが両手を広げて頭を振ったら、こっちも悲しそうな表情で身をよじる。たがいに押したり引いたりを繰り返し、結局10ドルくらいのところで握手をしてチェックインする。戦いの後、服を放り投げてシャワーを捻ると、いつまで経っても凍りそうに冷たい水が流れ続けた。ここでもペルー人に一本とられた。

再びタクシー話にもどろう。

稀に泣きの入る運転手さんもいる。
東京での話。フィリピンの若い嫁さんをもらったは良いが、向こうの親戚への仕送りがけっこうな額で、そのうちに嫁は里帰りばかりしてあまり帰ってこない。オレは一体どうしたら良いでしょう、お客さんと。
ホテルに着く頃にはボクまで一体どうして良いのかわからなくなった。

そうかと思えば、10年くらい前に北陸のどこかの町。
ミラー越しにまじまじとボクの顔を見る運転手のオバちゃんから、突然「アンタ出世するよ。きっと偉い人になれる。この仕事してるからアタシにはわかるんだ」と褒めてもらった。
何の根拠か今もわからないけど、新しい事業を立ち上げたばかりで成果がさっぱり出てなかった時期だから素直にうれしかった。

再び大阪。
ほんの数年前、あいさつ代わりに「運転手さん、関西の景気はどうですか」と訊ねたら、「サッパリですわ」とため息。気まずい空気の後「ええのは東京だけ。それと名古屋ね。トヨタ様々ですわ。でも大阪はサッパリあきまへん。まあ、広島あたりよりはマシやろけどね」って。広島の人にとっては大きなお世話だと思った。

思えば見ず知らずの者同士、限られた時間とはいえ、一対一で人生を重ねるタクシーという空間は予期せぬドラマに満ちていて面白い。ふだんは目的や共通項のない相手と一対一になることなど考えられないもの。

きっとこれからも、見知らぬタクシーのお世話になりつつ、不思議で楽しい物語を紡いでゆくのだろう。飛ばし屋だけはなるべく勘弁してほしいけど。