時間

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昨晩は息子の剣道の道場で、今朝は息子が試合をしているサッカー場で、観戦半分ずっとむこう5年間の事業計画を立てていた。

いつもより応援が足りなかったのか試合は6−0でコテンパンに負けたけど、仕事の方はずいぶんと捗った。

ボクは週日も出張先でも、食事の時間がもったいなくて、なるべく取引先との会食や、メンバーであれば弁当をとりながら会議をしたいほうだ。

うちの幹部もみんなそうかと言えば、必ずしもそうではないようで、編集長の川嶋は食べるなら食べる、仕事をするなら仕事をするでケジメをつけたいようで、ボクがシュウマイをおいてマジックで図を書いている間も弁当に箸をつけようとしない。

人間関係に飛躍すると、ボクは公私ともに人と漠然と接するということは考えにくい。遊ぶにしても飲むにしても「とりあえず」はありえなくて、必ずそこに目的を求める。

(1)相手から学べる(あるいは学んでもらえる、チカラになれる)
(2)関係が強くなる(あるいは関係を作れる)
(3)刺激を受ける(あるいはやる気になってもらえる)*切磋琢磨
(4)仕事が前に進む(あるいは進化・改善する)
(5)お互いの無事と健康を確認できる、お互いが元気になる、楽しい、癒される

自分ひとりで過ごす時間においても同様で、

(1)    学ぶ、吸収する
(2)    仕事に打ち込む
(3)    心身を休める、癒す、楽しむ、鍛える
(4)    施(ほどこ)す、役立つ、恩返しができる
(5)    省みる、想う、練る

そんなふうに必ず意味を見出したい。

O型気質なんだろうか。打算的と言われそう。

だけどひとりの時間も、誰かと過ごすにしても、大切な人生の一部を費やすわけだから無意味には過ごしたくない。

小さな時間とか機会を大切にできない人間が、大きな仕事を成し遂げたり、大切な人たちを守ったりできるわけがないと思うもの。

と時計を見たらもう11時をまわっている。

今晩は夕食のあとに近所のボーダーズで買っておいたシカゴとハワイの写真集を眺めて寝よう。