木の葉

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日本出張からもうすぐ一週間。
隕石みたいな出会いや再会に恵まれた。

“再会”というのは、過去に出会っているけど、互いにその時期ではなく、互いにその力もなく、向いている方向も目指す山も異なっていたのが、時を経て、同じ方向同じ山を目指す同志としての“巡り会い”のこと。

「あの(その)時」の相手でも、「あの(その)時」の自分でもない、最善最適のタイミングというのがあるようだ。すれ違うどころか、隣にいても気づかなかったりする。

そんな相手が、運命の人になったり、運命の人を連れて来てくれたりする。

あと、その時には、酷い仕打ちや屈辱を感じさせた人(機会)も、オセロゲームがあるタイミングにまとめて白くなるように、その時にはネガティブに見えても、それは必然で、
その痛みが生きる時が必ずくるように思う。前を向いて生きる限り何一つ無駄はない。

自分の意志や想いをはるかに超越した「縁」

人生って本人(自分のことです)は頑張って切り拓いているつもりでも、パチンコ台を転がる玉とか、川面を流れる木の葉のように、まわりの環境や出会った人、導かれるところが大きい気がする。

自分の意志で確かに決めているのは、せいぜい昼飯のチャーハンかチャンポンかくらいのもんだ。

じゃあ投げやりでいいわけもなく、人間の儚(はかな)さや脆(もろ)さをわきまえたうえで、与えられた中でコツコツ地道にやり切ることが大事なんだと思う。才能も金も環境も容姿も不足を言って解決するものは何一つない。今生きてたらそれを感謝しなくちゃ。

そんなことを改めて思った今回の出張。

月曜日の朝礼で、全メンバーを前に、今回の出張のことを共有しながら、僕らの才能とか努力をはるかに超えて、こうして与えてもらった縁とか、チャンスの意味をよく考えなくては、感謝しなくてはと強く思った。