心の軸

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連休最後の夜。
マーク・ボイルの「ぼくはお金を使わずに生きることにした」(マーク・ボイル著、吉田奈緒子訳、紀伊国屋書店刊)を読了。

飽くなき消費に蝕まれていく現代社会。その問題の根っこは、「お金」の存在にあると、若き社会活動家マーク・ボイルが、金銭を一切使わずに暮らした一年間の体験を綴っている。

この本は、世捨て人の自給自足日記ではなく、著者がユーモアとバランス感覚を持って「大切なこと」を伝えてくれている。

例えば、分ち合うこと。例えば、足るを知ること。

彼自身が、必要なものを分ち合い、感謝し、見返りを求めずに助け合うことを通して、人間同士の絆とコミュニティの再生を目指す姿に、多くの人が共感し、立ち上がり、大きなムーブメントになっていく様には、実に学ぶところが多い。

象徴的なのは、「金なし生活」最後の夜に3500人を集めて大成功させた「ブリストルで空前の規模となる金なしフェスティバル」の光景を眺める著者の言葉。

「感動的な一日だった。皆が見返りを一切期待せず、その日のために自分のできることをしている姿には、非常に心をゆり動かされた。人間が「どれだけ得られるか」ではなく「どれだけ与えられるか」を考えて生きることにしたならば世の中こうなるのだろう、という最高に美しい例を見せてもらったのだ。」

この本を読みながら、ずっと考えている。

お金というモノサシだけで見たら、日本という国も、アメリカの日系社会も、弱っていく一方かも知れない。再生できるかも知れないし、再生のために僕らは努力をしていくのだけど、少なくとも、社会に循環するお金が減っていくのに備えておくことは必要だ。

でもそれって「不幸」か。

そうとも思えない。

不幸なのは、不足を思う心の話だし、お金がなくっても幸せに暮らしている人はいくらでもいる。

むしろ、破綻したロバート・キヨサキ(金持ち父さんの著者)あたりに踊らされて、「お金にお金を生ませる」なんて幻想に飛びついた人たちこそ、「被害者」で不幸な人たちだろう。

もっと感謝しよう、足るを知ろう、そして与えよう(尽くそう)と思った。この日系社会に。

毎日、売上をにらみ、戦略を練り、カイゼンを説く毎日だけど、「与えること(尽くすこと)」を自分(経営)の真ん中に置ける人になりたいと思った。そこが「軸」だ。

ライトハウスから起こすムーブメント。

この異国の日系社会で、老若男女みんな異なる経歴の人たちが、与え合う社会、助け合う社会を作れたらどんなに豊かだろう。

同じタイミングで読んだ阪本啓一さんのブログにハッとしたのだけど、最近の僕は、無意識に「規模」とか「外」ばかり追いかけてた。

規模は結果で、広さも後からついてくるもんだ。

追いかけるべき「軸」に気づき、「足元」「質」を徹底的に磨き上げようと思えた三連休。

今日から主語は「何を貢献できるか(どうやって喜ばせるか)」だ。

うん、ますます心が軽い。いってみよう!