征露丸

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ライトハウスはあと2ヶ月ほどで創刊26年。
ロサンゼルスの大先輩メディア羅府新報は創刊1903年。111年の歴史を持つ。
ライトハウスはまだまだ洟垂れである。
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その羅府新報の随筆欄「磁針」に掲載された、日系社会の大先輩半田さんのエッセイがとても面白かったので共有します。

(羅府新報 磁針 10/16/14)
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題:「正露丸」
10月15日の日本の報道で、
大阪で胃腸薬「セイロガン糖

  1. 衣A」を製造する大幸薬品が

商品名や包装が似た「正露丸
糖衣S」を販売する富山の会
社を相手に包装の使用差し止
めを求め訴訟していたが、最
高裁が上告を退けたと出てい
た。1、2審とも判決は「正
露丸」が多数の業者に使われ     
ている普通名詞だとして原告
の請求を退けている。今回の
最高裁決定で大幸の敗訴が確
定した。正露丸の名で約30種
類も販売されているらしい。
名前はそれ程普及していた。
僕はこの薬の名前で古い感慨
が呼び起こされた。
正露丸は元々の名前は征露      
丸だった。これは約百十年前     
の日露戦争に関係する。日露
の開戦寸前に出た征露丸は兵
隊たちの腹痛予防や下痢止め
の胃腸薬として使用された。
軍の装備品となり、食や水あ
たりで腹をくだす兵士のために
使われたが、要はこれを飲んで
腹を直して元気に戦いロシア
に勝とうとの意味で征露丸と
名付けられたという。ところ       
が昭和の大戦後にロシアを征
伐しようというのはまづいと
言うことになり、征のぎょう
にんべんを取って現在の正露
丸となってしまった。
因に大幸薬品は「ラッパの
マークの正露丸」として知ら
れるが、このラッパのマーク
とは日露戦争のまた10年前の
日清戦争で戦死した陸軍兵、
小口小平ラッパ手の美談がモ
デルだ。小口は致命的な敵弾
を受けたが突撃ラッパを止め
たら突撃が止まってしまうと
苦しい中に必死に突撃ラッパ
を吹き続け、遂に絶命したが、
それでも口からラッパを離さ
ず死んでいたと、明治から昭
和の戦前まで英雄として知ら
れた。              
また、ラッパのマークで当
初発売された薬は「忠勇征露
丸」の名だった。更にだ、大      
幸のセイロガンは7年前に現
在の防衛省に採用された。歴
史は巡り百年ぶりの装備品復
活となった。
話を戻すが、昭和の大戦後
に征露丸を正露丸と変えた考
え方が気に入らない。戦後の
平和、民主のと言うより、敗
戦のちぢんだ精神構造により
征を正としたのだ。名前の歴
史と意味がなくなってしまう。
これは過去の歴史。今のロシ’
ア人に対しても「当時こんな
背景でこの名前が付いたんだ
よ」と笑って話せること。お
互い歴史の話。過去の戦勝記
念を毎年大祝いする国は周辺
にも遠くにも沢山ある。敗戦
したからと言葉を姑息に変え
てしたり顔と言う行動は堂々
とせず情けない。その点、奈
良県の日本医薬品製造という
会社は今も「征露丸」の名前
で販売している。エライ。 
半田俊夫    
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身近な商品の背景にも、国の歴史や人の生死があることを思った。
半田さんがおっしゃるとおり、ネーミングを変えることが姑息にも思えるし、変えざるを得ない圧力や葛藤もあったのではないかとも想像した。
ひょっとしたら、奈良の日本医薬品製造はまだその当時マークもされない会社でそんな圧力もなかったのか、それとも同じ条件下、屈することなく曲げることをしなかったのか。
戦勝国の事例を知っていたのか、知る機会はなかったのか。
また、自分であったらどうしただろう。。
先ばかり見てるけど、歴史から学ぶことは多い。羅府新報しっかり読まねば。