思いをのせて

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この週末に、目を通す書類が電話帳の束くらいある。一気に頭に入れるのに、集中できる週末はありがたい。

チビを土曜日の日本語補習校(西大和学園カリフォルニア校)に送った後、奥歯が凍りそうなプールでひと泳ぎ。頭がいっぺんにスッキリ。

毎日じゃないけど、この季節、起きたらそのままプールで泳いで目を覚ます。水は冷たいけど、明け方のキッパリした青空のもとで、清々しい気分で一日がスタートできる。

その昔、冬こそ冷たい水を毎日浴びると風邪は引きませんと教えてくれたのは、名古屋の美人助教授の原田さん。しばらく会ってないけど元気ですか。

実践してみたら、ホントに風邪だけじゃなく病気も寄ってこなくなった。原田さん、ありがとう。今も続けてます。

そんなことで、スッキリした頭で、昼過ぎまで集中して書斎にこもった。

思い立って、ハガキを買いに郵便局に行こうとしたら、家内につかまって「ついで」に買い物を託(ことづ)かった。

郵便局は家から5分。日系のスーパーは30分。

「ついで」か、とぶつぶつ家を出る。

唐突にハガキを求めたのは、懐かしい人たちにふと手紙を送りたくなったから。それと、礼状もなるべく手書きにしようと思い立ったから。

毎日の多くのやり取りは、電子メールのキャッチボールの中で用を足してしまう。要件を伝えたり、情報を共有するにはこれほど便利なツールはない。電話のように割って入らないから気遣いもいらない。

ただ、気持ちや温度を伝えるには心許ない。しばしば、言葉が尖ってしまって人を傷つけたり、騒動の種になったりする。

余談だけど、毎年クリスマスや年始に送られてくるカードのなかには、サインはおろか、まったくの印刷物、ダイレクトメール状態で送ってくるものがある。

義理で送るならやめればいいのにと思う。ボクなんかは開封して、そこに人の手が入っていなかったらガッカリする。もしその相手が仕事以外の関係なら、そういう感性の人とはつきあえない。

だって本来カードは、一年の節目に、会いにいくことはできないけど「ありがとうな、お互いに元気でな」と、相手への思いを伝えることが目的だったはず。人生もうちょっとていねいに生きろよと思う。

そんなことをふと思い、そうだ節目だけじゃなく、思い立った時に手書きの便りを送ろうと郵便局に行った次第。

想像してみる。

節目でも、誕生日でもないフツウの日の郵便箱に、汚い字が並んだハガキが届いていたら、相手は、気を良くして缶ビールを1本くらい多めに飲むかもしれない。
ある仲間は「アイツも社会で揉まれて、漢字で手紙が書けるようになったよ。オマケに宛名も英語じゃないか」とボクを肴にして奥さんと笑い合うかもしれない。

懐かしいヤツらの笑顔が浮かぶだけでこっちも楽しくなる。

さぁ誰に書こうか。250枚も買ったから、きっと3年くらいかかるかもしれない。そうすると切手代が上がって、またここに並ぶんだろうな。

と、車のキーをひねった時、お使いのメモを家に忘れたことに気づいた。家内の呆れた顔がフロントガラスに浮かんだ。