みんなで献血しよう!

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「お母さんから電話あったよ。健康診断の結果が届いたみたいで、ばっちりオッケイだって。アナタ、日本でも健康診断受けたの?」とカミサン。

「ナわけねーだろ。」とアタマに疑問符を浮かべるボク。
スタンプラリーじゃあるまいし、そんなしょっちゅう受けるかい。

しばらく考えて思い出した。

7月の出張の時に京都で受けた献血の結果だ。

その日曜日はLCEの京都オフィスで取締役会のため、ボクはJR京都駅から運動をかねて、蝉の音を大雨のように浴びて、四条烏丸のオフィスへ向かって歩いていた。

さっき冷たいシャワーを浴びたばかりなのに、額からは滝のように汗が流れ、背中にシャツが貼付いている。

それはそれでサウナに入って運動しているようで気分は悪くない。そこに、情けない表情で、情けなく背中を曲げたオジさんが看板を持って蝉に負けそうな声でボソボソなにか言っている。

建て売りマンションか、パチンコの新装開店くらいに思って、通り過ぎようとしたら「・・・・ケンケツ・・・・」が耳に入ってきた。

50メートルくらい歩いて振り返ると、そのまま情けなそうに通行人に声を掛けてる。

「オレがやったらボンボン献血入ると思うけどなあ、気合いと愛嬌がないんだよ」

腕時計を覗くと、役員会までにはまだ時間がある。

とことこ戻って、

「すいません、ちょっとだけ急いでるんで、10分の特急で献血。(量が)多い方で」

牛丼みたいな頼み方をした。

「いえ、特急と言われても。書類の記入や検診、それから献血ですので30分くらいは見ていただいた方が」

モノイイも情けない。

「喜んで!!10分はキビしけど、急行で行っときまっさ」くらい言えんかい!

「じゃあ、その中間よりちょっと速いくらいでお願いします」

看板のオジさんとエレベータで献血のフロアへ。

看板オジさんが情けない割に、フロアは広くて清潔で、看護婦さんも職員も明るくキビキビ動いている。

(こりゃ、選手交代だな)

クーラーがよく効いて、ジュースやスナックも食べ放題飲み放題。

そんなオジさんでも多少社内では顔が利くようで、ボクはエクスプレスレーン(そんなのないけど)で対応してくれた。

腕をまくって差し出すと、毎回看護婦さんが誉めてくれる。

「(まっ)血管、太いですね!」

そう、ボクは血管が太くて、看護婦孝行な腕なのだ。

学生時代から割と献血は好きだったけど、ある出来事を境に、時間が許す限り、献血をさせてもらうようにしている。

それは今から11年前。親友の奥さんのHさんに、健康診断で乳ガンが発見された。

さらによく検査を進めると、すでにリンパ腺まで転移していて、日を追うごとに入院先のHさんはだんだんと弱っていった。

数ヶ月後、どちらかというと、可能性が望みにくい患者の病棟に移され、その時にはダメージの大きな治療の繰り返りで、体格の大きかったHさんは小さな小さなカラダになってしまっていた。

だけど、ご主人のMさんは決してあきらめず、献身的に看護を続けた。ただ回復を信じて淡々と。
ボクはMさんをあらためて強い人だと思った。

専門的なことはよくわからなかったけど、ある日、体中の血液をずいぶん入れ替えるために大量の輸血が必要になり、ボクはO型とB型の血液を持つ社員や友人に片っ端から声をかけたら、誰もが二つ返事で病院に車を走らせた。みんな、ナンボでも抜いてという勢いで、自分の血に想いを込めて献血した。

そこから奇跡が起こった。

何が起こったのかわからない。

Hさんは驚異的な回復を見せて数ヶ月後に退院した。

ボクたち応援団は大喜びしてボロボロ泣いた。

後日、Hさんがお礼を言ってくれた。

「私、ヨウイチくんの血が輸血されたのが何となくわかったの。それから何だか元気になったような気がする」

もちろんホントの要因は、幼い子どもをこの世に残して去ることができないHさんとご主人の執念にも似た想いが引き寄せた「運」であり、そこに気持ちを重ねたドクターやスタッフの高度な技術と諦めない心に尽きるだろう。

だけど、ボクや仲間たちの献血も、焼肉を食べた後に出てくるチューイングガムくらいは役立てたかも知れない。

それ以来ボクは、Hさんの褒め言葉の良いとこだけ解釈して、ボクの血が誰かの元気を取り戻す役に立てるかも知れない、そう思うようにしている。

あれから11年。Hさんファミリーとは毎月のように行き来しては家族ぐるみのつき合いをしている。昔のように、いや、ひょっとしたら昔より立派な体格で大きくなったHさんは、息子と週末はテニスコートで汗を流している。

そして少しだけ子育てが落ち着いた今、Hさんは次の誰かに恩返しをするために看護婦になる勉強を始めた。