南米親子旅 最終回

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旅はまもなく終わりに近づいていた。

17日の朝、ボクたちはイグアスのシェラトンホテルをあとにした。

シェラトンは、部屋から滝やジャングルがのぞめる美しい風景や、施設の充実だけでなく、スタッフのホスピタリティが本当に気持ちの良いホテルだった。

これはブエノスアイレスでも同様。

温かいサービスでもてなしてくれたスタッフの人たちに感謝。

空港に向うまでの数時間、「鳥と植物の公園」に立ち寄り、世界中から集めた美しい鳥を鑑賞した。ケアが行き届いていているのだろう。鳥たちはみな羽に艶があり、機嫌が良さそうに見えた。

その足で、イグアス最後のハイライト、ヘリコプターツアーにみんなで参加した。これもカジノのおかげである。




ヘリコプターに乗るのが初めての両親は、機体がふわりと浮かぶ不思議な感覚に目を白黒させた。

機体はそのままジャングルを低空飛行で進み、滝の上空まで来ると、今度は機体をナナメにして2度3度大きく旋回してくれた。

空から眺めるイグアスも圧巻で、あらためてそのスケールの大きさを体感した。この風景を見せてやりたいなあと家族の顔が浮かぶ。

「おとうさん、おかあさん、いかがでしたか」

「すごいなあ、本当にキレイやった。四日市の人で、ここに来た人はおっても、空からも陸からも川からも滝を見ることができた人はおらんやろうなあ。ええもんを見せてもらった。ヨウイチくん、ありがとうなあ」

「とんでもないです。そんなに喜んでもらえるんやったら来年もイグアスですね!父ちゃんはどうやった?」

「揺れたのう」

「・・・・・・。」

三日間それは気持ち良くガイドを務めてくれたガブリエルとの別れを惜しみ、ボクらは旅の最終目的地サンパウロに向った。

サンパウロ到着後はボクだけ仕事モードに入らせてもらう。

日系人人口が世界最大の都市であり、移民100周年を迎えるサンパウロでは、両親を雄三に任せ、日系の新聞社2社(サンパウロ新聞、ニッケイ新聞)と情報誌を発行する出版社を訪ねた。

加えてホテルのある日本街では、一世や二世の経営者の話を聞いて歩いた。

世界各地の日系社会の歴史や現状を学ばせてもらうのと、同じ海外のメディアを取り巻く環境や経営の様子を直に勉強するためだ。
(前回の南米の旅ではリマの日系人会館や博物館を訪ねた)

加えて、ボクの構想にある世界中の日本語メディアのアライアンスに向けてのネットワーキングが目的だ。


そんなことで、この旅の最後の二日間は、いろいろな方と出発間際まで面会して話を聞くことに努めた。

とくに注目していた日系新聞社の現状は、読者である日系一世がすでに人口減少傾向にあり、購読数(購読売上)でも、広告営業でも苦戦しているようだ。

二世三世も、ロサンゼルスの日系人同様に現地化していくため購読者には結びつかず、かといって駐在員や新一世、留学生を取り込むための手も打っておらず非常に厳しい局面を迎えている。

これは決して人ごとではない。同じ海外で発行するメディアとして、時代の先を読み、失敗を恐れず先手を打っていく必要性を改めて痛感した。ますます高度でパワフルで柔軟な経営が求められる。

外に出て見えるものがある。

サンパウロの日系社会では、そこへ持ってきて、日本のニュースや番組が即時に入るNHK(TVジャパン/24時間、有料)が人気で、日系新聞社の経営をさらに圧迫しているという。

ある現地在住者の言葉だと「延命してあと5年ないしは10年。時代の役目はすでに果たしたと言える」らしい。

これはパラグアイの日系ジャーナル、ペルーのペルー新報、アルゼンチンのラプラタ報知も同じ傾向だそうだ。ある時代においては移民の心の拠り所であったのだろう。その偉大な功績を讃えたい。

日本からの進出企業で構成される商工会議所の会員企業数は約300社。

未加入の企業もあるようで、日本からの駐在員は5~6000人と推定される。20代後半から30代が多く、駐在員が若年化傾向にある。

県人会は47都道府県あって、沖縄県人会がとくに活動が活発だそうだ。

日本街でも県人会の事務所がそこここにあって、覗いてみると職員らしき人がのんびり新聞を読んでいたりする。

そうそう、広さでいうとロサンゼルスのリトル東京と同じくらいの大きさだけど、日本街は週日から人通りが多く、週末になると人で溢れかえっていて前に進めないほど。

名物のヤ

キソバを出すカフェやカジュアルな小料理屋、日系の小振りなグロッサリーがどこもよく繁盛していた。

一方で店構えの立派(風)な寿司屋や、団体客を扱うような大きな日本料理店はガラガラだった。

他に手頃な料金で寿司や日本食が食べられるエリアができたらしい。現地の人も日本人も値段に敏感なのだ。

ステイタスについて聞いたところでは、今現在、移民にとって就労ビザの取得が難しく、結婚や出産(子どもの親として)からステイタスを確保する以外にはあまり方法がないようだ(恩赦での永住権の発行が10年に一回くらいあるらしいが)。

一方で、“袖の下社会”の側面もあって、ビザに限らず、ワイロでどうにでもなるという現実があるようだ。

また一般に国民の納税意欲がうすく、脱税が横行するから、国は取れるところから取ろうと重税を課し、まともに払ったら成り立たないような重税だからますます国民は脱税するという悪循環があると言う。これはあくまで個人から聞いた意見だけどね。

ちなみに最低賃金は月額で250米ドル(400レアル)で、今年7月から280米ドル程度に上昇するらしい。日系の新聞社だと、メンバーが5~600米ドル、幹部クラスでも900米ドル程度だそうだ。

また日系人はブラジルにおいてとても優秀で、人口比率は1%程度なのに、ブラジルの東大にあたるサンパウロ大学の20%近い在籍数を占めるそうだ。

残念ながら、治安は悪く、ある理容院の店主のおばちゃんはブラジルに来て60年で11回ひったくりに遭ったそうだ。その話を別の経営者にすると「それはその人の引きが強いから。そういうオーラが出ているのです。私なんか2回くらいしか遭ってない」とそもそものレベルが高い。

ちなみにボクは何人かの在住者に「大丈夫、アンタは襲われない。現地人と見分けがつかないし」と勇気づけてもらえた。すごくありがたい。

サンパウロの最後の夜は情報誌ピンドラーマの社長の川原崎さんと、編集長の布施さんの3人で日本街の小料理屋「金太郎」で酒を飲んだ。

おたがい同世代で、自分たちのメディアを愛しているから、最初からメディア経営の本質的な話で盛り上がる。

やはり彼らも、記事の内容、人材の確保、広告営業、印刷の質と料金、配布網、将来に向けての方向性など、世界中のメディアの経営者と同じ悩みを抱えながら経営に取り組んでいる。

ボクはたくさんの方のおかげで、20年も情報誌を発行してこられたから、求められたら惜しみなく経験やノウハウを伝えるようにしている。

少しでも、ライトハウスのフィロソフィや経営のエッセンスを世界中のメディアにも活かしてほしいと願っているからだ。

もちろん、逆に教えてもらうこともたくさんある。

とくにハワイでアロハストリートを発行する上野さんや、NY(ハワイ、上海)でジャピオンを発行する新谷さん、中国5都市でチャイナコンシェルジェを発行する大西さんからは学ぶことが多く、おたがいに惜しみなく経営のエッセンスを提供するし、経営者同士、本音で悩みを話すことができる仲だ。同時に、切磋琢磨し合う良きライバルでもある。

ピンドラーマの二人ともそういう関係が構築できたら素晴らしい。

最後は「おたがいに良いメディア、良い日系社会を創ろう」と握手で別れた。旅の最後に良い縁をいただいた。ありがたい。

それから弟と親父が待つ屋台に走った。

酒があったらご機嫌で、だんだん背中が曲がって小さくなる親父と弟と小さなテーブルを囲んで飲んだ。

思えば、すぐに手が出る暴力親父で、ろくに家族旅行にも行かなかった。子どもの頃は転職が多くて、担任の先生から保険証がまた変わったのと言われるのに毎回怯えた。おふくろとは(どっちもどっちだけど)ついぞ建設的な話し合いをすることもなく離婚してしまったし。

それでも親父は親父で、おふくろはおふくろで、どっちも大切な存在だ。伝える言葉も表現も持っていない二人だけどかけがえのない両親だ。

ひと言くらい当時の文句を言おうと思った頃にはみるみる小さくなってしまって、それもこれもみんな酒の席の笑い話になってしまった。

ふだんなかなか話せないけど、親父に確認しておきたいことがあった。

「酒の席だから本音で言うてよ。なっ。

ボクらが声かけて父ちゃんはアメリカ住んどるけど、英語と車の社会でホンマにアメリカの生活でええんな。楽しんどるんな。

友だちがおる故郷の方がホンマは暮らしやすいと思うとんとちゃあうん?」

質問をぶつけてみた。

耳が遠い親父は少し首を傾げたままボクの言葉を聞いて、

「今が一番シアワセよのう」

と虫歯の歯を見せて、顔をクシャクシャにして笑った。

ひょっとしたらボクら兄弟の気持ちを思って、一番喜ぶ答えを返したのかも知れないと思ったけど、それ以上確認すること自体が野暮な気がして、その夜は焼酎に似たブラジルの酒にライムを搾って、3人の残り時間を楽しむことにした。

裸電球の灯りは少しレトロな雰囲気を醸し出し、ボクら3人も昔の時代に戻してくれているようだった。

飛行機の窓から眺める見慣れたロサンゼルスの町並み。

無事、帰ってくることができた。
健康でトラブルに巻き込まれることもなく、みんなで帰ってくることができた。

と思ったら、まだまだ。

物語の最後はやっぱり親父だった。

通関を抜けて、親父がピックアップしたカバンに麻薬捜査犬が駆け寄った。

あたりに走る緊張。そして疑惑の目は親父に集中した。

しまったという親父の無念の表情。

険しい表情の捜査官。

南米で「入手」したのか。

麻薬捜査犬が鼻をこすりつけたところのファスナーを捜査官が強引に開いた。

旅のクライマックス。

カバンから出てきたのは、食べかけのサンドウィッチだった。