親父

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昨日は親父と弟と3人でゴルフをした。

ガーデナにあるパブリックのコースを、親父と弟はカートに乗って、ボクはてくてく歩いて、12月の青空の下をゆっくりラウンドした。

来月親父は10年近く暮らしたアメリカを後に生まれ育った山口県の萩に帰る。

寒い時期と梅雨や真夏の時期はこっちに招待するつもりだけど、親子3人でラウンドできることは親父の残り時間を考えるともうそんなにないだろう。

8割くらいがミスショットなのにその度に悔しがる親父。親父が人のボールを拾ってシミジミ確認しては弟がハラハラする光景、親父がパットを打つ度にホールが遠くなっていく光景、そんな様子もやがて遠い記憶になっていくのだろう。

子どもの頃、家族旅行と言っても親父と友人の釣りの同行(ついで)だったし、記憶にある外食は、海水浴に行くフェリーを待つ食堂での卵ゴハンと、正月にキングコングを見た帰りの寿司屋くらいしかない。オマケに寿司屋では両親がカウンターでボクと弟はテーブルでカッパ巻きを食っていた。

転職と失業ばっかりして、気に食わないとゲンコツや箸が飛んでくる。
狭い車の中で平気で煙草を何本も吸う。
夫婦喧嘩で家を出て行っている間によそのおねえさんと同棲する。
いっしょに釣りに行って、仕掛けがもつれただけで「帰れ!」と怒鳴る。
交換日記を勝手に読む。
まだ泳げなかった4、5歳のボクを沖まで連れていって笑いながら手を放す。

思い出したら時々腹を立てたものだけど、中3の時に家出をして数日後に様子を見に行ったら、深夜に外で腕組みをして待っていたのも親父だし、人生の選択で一度も反対しなかったのも親父だ。

しばし親父との記憶を静かに辿る。

そう言えば、ボクの結婚式の前日に、親戚や友人一同とレストランに行った時、いきなり後ろから「まだ、メシが出てこんやないか」と大の大人になったボクをどついたのも親父だった。やっぱり腹の立つことの方が多いかも。