親父帰国

NO IMAGE

アメリカは今日、オバマ新大統領の就任演説に、米国民の、自らも変革に加わりたいと熱い想いと期待に包まれているだろう。

そんな中、ボクの親父は、還暦を過ぎてからほとんどの時間を過ごしたアメリカを静かに後にした。これからはボクら息子家族と離れて、故郷の萩を拠点に暮らす。

それが本当に最善なのか、何が老いゆく親父にとっての幸福なのか、自問自答の10年でもあった。

空港に送った弟から電話で、

「(空港での別れ際も)声かけたけど、振り返らんとスタスタいったで。とくに感極まるでもなく。父ちゃんらしいの。

なぁ、にいちゃん。長い間、ありがとな。お疲れやったな」

弟が労ってくれたけど、ボクにありがとうって言われる資格があるんだろうか。

旅行や行事に連れて行ったり、何かを「してあげた」つもりでいたけど、本当は逆だ。

ボクが「ありがとう」って、「長いこと、いっしょにおってくれてありがとう」「健康でいてくれてありがとう」って、ボクが親父に労わなくちゃならなかったんだ。

本来、短気で人づきあいが苦手な親父が、辛かったり、面白くないこともあったろうに、邪魔にならない脇役に徹してくれていた。

会社で請求書の仕分けも担当していた親父は、ドライブでいろいろな店の前を通ると「あのお客さんは毎月○○ドルも使ってくれとる。ありがたい」とつぶやいた。ボクが感謝と謙虚さを忘れぬように口にしてくれたのだろう。

何でもっとやさしくできなかったんだろう。

明日こそ、電話でありがとうを伝えよう。いつもちょっと遅いけど、まだ生きててくれて良かった。父ちゃん、ありがとう。