ジャカランタの下で

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5月28日、昨日からサンディエゴに来ている。

今朝は、ホテルから数ブロックの港まで、i-Phoneで風景の写真を撮りながら散歩した。

サンディエゴでは、青紫色の可憐な花を咲かせるジャカランタが盛りで、この花が大好きなボクは根元に立ち止まっては涼しげな色の花を見上げる。

そして、この花に最初に出会った80年代後半の、お金もステイタスも定職と言えるシゴトも、お見事に何も持たなかった頃を思い浮かべる。

当時、持っているのは、どこから手をつけたらよいのかわからないくらい欠陥だらけのボロボロのフォードと、それにすべて収まってしまうくらいのわずかな荷物だけだった。

それでも悲壮感の欠片もなく、何を描いても良い真っ白な大きなキャンバスの前に立っているようシアワセを毎日噛みしめていた。「今」は「今」しかないから、若さもビンボーも不確かさも引っ括めて、楽しんで生きていた。

持たないことやビンボーなことは不幸じゃない。人と比べたり、不足を数えて生きることが不幸なことだと思う。

人生の残り時間を勝手に逆算して「もう遅い」「今さら」と決めつける人は、子どもの頃から「ピアノを始めるには遅い」とか「受験の準備が遅かった」と悔やみながら生きてきただろうし、「あの大学、あの会社に入れていれば」と、それを肴に
一生悔やんで生きていける人だろう。ある意味、立派。

「5年後、10年後に始めるより、今気づいてスタートを切ることが最善最速」と思える人は、70で失敗しても「失敗は糧」と死ぬまでチャレンジし続けられるステキな人だと思う。

あの時にジャカランタを見上げた頃から20年余り。

目のフチが赤くなる級の失敗だけで、両手両足じゃ足りないけど、すべて「糧」になっている。失敗が、未来の大きな失敗を塗りつぶしてくれたと思ってる。

カミサンは涙ながらに「糧はこのくらいにしておいて」と言うけど、そうはイカの塩辛でお茶漬けサラサラなのだ。

ボクには「未来を信じる」というスバラシイ才能と、最強のメンバーがいる。チャレンジし続けない手はない。

いつおしまいが来るかわからない、また巡ってくるかわからない“人生”なんだから、人が見ていようがいまいが、成就しようがしまいが、一生懸命やったもん勝ちだ。

生まれてこれたこと自体、何兆匹のオタマジャクシの中から選んでもらったわけで、ロトで100回連続当たるよりよっぽどありがたいし尊い。もしも、自分を不幸と感じていたり、人を羨んで生きている人がいたなら、生まれてこれた我が身の引きの強さにガッツポーズをしてほしい。ロト100回以上ですよ。

不況も豚インフルも、かかと落しで撃退するのだ。

そしてボクはジャカランタの下で鼻の穴をふくらませた。