1年に1回輝く日

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日曜日の朝、書斎から。

今朝は、思い立って、家から10分弱にあるパロスバーデス・カントリーでバック9をラウンドした。

太平洋から丘を登ってくる早朝の風は爽やかで、深呼吸をするとカラダが中から浄化されるように思える。

途中、コースメンテのメキシカンのおじさんと世間話をしながら、誰に急かされるでもないコースを2球ずつ(失敗したら3球も4球も)打って回った。ひとりのラウンドも気兼ねがなくって良い。

実質18ホール分(9ホール×2球)を1時間半でラウンド。

クラブハウスでシャワーを浴びて、帰り道に丘の上から写真を撮りながら帰った。この風景は、夜景がゴージャスなネックレスのように美しいことから「クィーンズ・ネックレス」と呼ばれる。早朝も夜もボクの大好きな風景だ。

 

帰宅したら、家族はまだ床の中。時計を見るとまだ8時半だ。

ボクは休みの日も早起きをして、一日をめいっぱい使う。

一日が長いとシゴトに勉強に遊びに、たっぷりと使うことができるからね。

今朝は貯まっているペーパーワークを片付けて、午後からは町のお祭りで演奏する息子のコンサートを観に行くのだ。

はてさて。

昨日は息子の学校(西大和学園カリフォルニア補習校)の運動会だった。

中学3年生の息子にとってはこれが生徒として参加できる最後の運動会。

そしてボクにとっても、もう一回子づくりをするか、養子をもらうか、あるいは息子をダブらせない限り、父兄・教員対抗リレーに参加できる最後の大会でもある。

気合いの入り方がちがう。明日があるおとうさんとはちがうのだ!

毎年、対抗リレーは午後最初の競技だから、ボクはみんなが家族で弁当を囲む団らんの間も、入念にストレッチをして、腿上げやスタートダッシュの練習に黙々と励む。靴だってスパイクを履いてのぞむ。求道者なのだ。

ボクは子どもの頃から、運動会その一日だけが、一年の中で学校に通う価値であり、人生であり、モチベーションだった。

娘、息子が補習校に通うようになってからもそれは変わらない。立場が親であること以外。

で、本番。

毎年アンカーを走ってきたけど、今年は走る順番がくじ引きで、ボクの順番は「2番」。慣れない順番だけど、1番走者のバトンを待った。他チームの2番走者をぐるり眺めると、みんな鍛えている感じのメンバーでワクワクする。そうこなくっちゃ。胸が高鳴る。いいねぇ、運動会。

ボクだけではない。チカラの入りまくったおとうさんたちがフライングを連発。4回目のスタートで6人の教員チームと父兄チームがいっせいにスタートを切った。

ボクの黄色チームの最初の走者が6人中6番目で入ってくる。

バトンを受けて、まず3人を追い抜くが、先頭の2人はまだ遠い。ゴールまでに間に合うか。

少しずつ距離が詰まる。(顔も服も黒い走者がボク)

5メートル、3メートル、1メートル、最後は「ちょっとスミマセン」と謝りながら、2人の間に割って入って追い抜き、辛うじて次の走者に1番でバトンを渡すことができた。やった、5人抜き!!

優勝は逃したけど、同じチームの仲間たちとおたがいの健闘を讃え合った。

もう思い残すことのない最後の、そして最高の運動会だった。

あ、ボクではなく主役は息子。主役は子どもたち。スミマセン。

 

ヤツも徒競走は1等賞でテープを切ることができた。

この日だけは親子で1年の1回、輝く日なのだ。

 

帰り道、いつもは生意気な息子がちょっと尊敬顔だ。

「パパ、みんなパパのこと、すっごく速いって言ってたよ」

「そうか、カッコ良かったろ」

「ううん、そういう感じじゃないけど。でもパパすごいよ」

ボクは難しい顔をして応えなかったけど、うれしくてそのままハンドルを抜いて、フォルクローレを踊ろうかと思った。