出版不況と言われるけども

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ボクの知る範囲で、日本の雑誌の中で「日経ビジネス」が1番良識と情熱を持って作られていると思う。構想の大きさと取材の深さには舌を巻いてしまう。

昨今、出版不況の原因が「今のヒトは本を読まなくなった」とか「不況で小遣いが減ったから」なんて言われるけど、週刊誌や女性誌に限っていうと、見放されてしまった雑誌も多いのではなかろうかと思う。

日本の一部の週刊誌や女性誌の新聞広告を見ていると、これは作り手の底意地の悪さやコンプレックスが根底にあるのではと、首をかしげてしまうような悪意に満ちた記事が多い。

読むだけで気が下がる。日本でいつも感じるのは、判断のつかない子どもが乗っている電車にこんな広告出させるなよということ。出版社って売れたら良くって、電鉄会社も広告代入ったら、未来の担い手の心が日常的に毒されても良いのだろうか。

ヒトの不幸は蜜より甘いと言うけど本当だろうか。
有名人や成功者が転落する様を見るのが、庶民にはたまらないから週刊誌や女性誌が売れると聞くけど、果たしてそうなんだろうか。

実はそういうのに、みんなウンザリしているんじゃないだろうか。日本の一部のマスコミは確実に世の中の気を下げている。悪質なマスコミが煽らなければ、世の中から自殺者が減ると仮定したら、人殺しをしているのと同じくらい罪が重いと思う。自覚はなかろうけど。

「調子に乗ってっからだ。ザマぁ見ろ」という悪意の心があるのも人間だけど、「大丈夫、もう一回頑張って復活しろよ。応援しとるぞ」というやさしい思いやりの心を持っているのもまた人間だ。

善人と悪人がそれぞれいるのではなく、同じ人間の心の中に両方住んでいて、それが環境や相手、その時点の心の有り様によって、良い方が出たり、悪い方が出たりするのだ。

そして、悪い方がつい出そうになる人間だけど、歯を食いしばって、自分を律したり、相手を思いやることが、ヒトがヒトとして生まれてきた意味ではなかろうかと思う。(ボクなんかはその振り子の間で、ワナワナもがいている人生だけど)

話を戻すと、情報が限られていたため、煽動されやすかった時代は終わって、自分の価値観や良識を持っているヒトが増えている。昔は生活者がメディアやメーカーや世の中を見上げていたけど、今は取捨選択をして通信簿をつける時代だ。目線は逆転した。

だから“政治家がバカだ、アイツは嫌われてる、どいつがズルしてた”のといった類いの単なる悪口を、もっともらしく垂れ流すメディアのことを、世の中のみんなが見放しはじめたのだと思う。

みんなが知りたいのは、書き手の主観が入らない事実(問題)と、その解決に向けての提案とかヒントだ。自民党が悪いとか、民主党が頼りないのはわかったから、じゃあ、アンタならどうするよってことだ。批判はサルでもできるのだ。(ん、してたかな)

親父の影響で20年以上愛読してた週刊新潮の定期購読を止めたけど、むしろ心がザラついたり、不安を煽られることがなくなって良かった。好きなコラムが読めないのは残念だけど。

週刊文春は、椎名誠さんや好きなコラムニストが多いから定期購読しているけど、たまに悪意に満ちた記事にふれると、よっぽど止めようかと思う。

そういうボク自身も、言うだけ番長ではなく、メディアの作り手として自らを律して、良いところはお手本に、醜いところは反面教師にしなくては。

そう、ライトハウスのコラムの中にも、芸能や政治の領域もカバーしている。だけど、根底の善意とユーモア、潤いの場から逸脱しないように。

おっ、いかん。日経ビジネスでスバラシイ特集記事があったのでそのことを書きたかったのに。それは別の機会に。