生きてるうちに

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トーランスは雨音が地面を揺さぶるくらいの大雨。
空気をゴシゴシ洗ってくれてる感じ。雨もまたイイ。

ランチタイム、編集企画を練るのに「葬儀・相続エンディングノート」(週刊ダイヤモンド臨時増刊)を読んだ。

その中の曾野綾子さんのインタビューで、

「私はアフリカの社会と人々を嫌というほど見てきました。そこから比べたら、日本は夢の国です。
(中略)
もし自分の老後に不満が生じたならば、アフリカに行って、濁った水の飲み方から学んでくればいいでしょう。
本当のサバイバルを知れば、日本が天国であることが実感でき、戻ってからも安らかな心で暮らすことができるはずです。
抗生物質があって、暖かい布団で寝られる老後が、どれほど幸せなことか、身に沁みてわかるはずです」

という言葉にしばらく天井を見つめてしまった。

日本にしてもアメリカにしても恵まれ過ぎてると思った。そこでの暮らしは世界の当たり前ではなく、むしろ例外の天国なんだな。

読み進めると、大津秀一医師の著書「死ぬときに後悔すること25」の抜粋があった。

こちらも興味深い。

「健康を大切にしなかったこと」「たばこを止めなかったこと」「生前の意思を示さなかったこと」、、、

ふむふむ、なるほど理解できることが並んでいるけど、自分に置き換えて「えらいこっちゃ」と思う項目はひとつもなかった。そんなもんなんだ。

「感情に振り回された一生を過ごしたこと」はないし、

「自分のやりたいことをやらなかった」は正反対だし、

「美味しいものを食べておかなかった」ことも「行きたい場所に旅行しなかった」こともない。

何を食べても美味しく感謝してきたし、行きたい場所に仕事を作るという贅沢を、社会に出た時からさせてもらっている。

「夢をかなえられなかった」かはその時でないとわからないけど、どこで死んだとしても、夢に向かって全力でやっているにちがいない。やり切りたいし、見届けたいけど、それは自分で決められることじゃない。

よく愛し、よく働き、よく遊び、よく笑って生きてこられたと思う。いやまだこれからなんだけど。

ふたつくらい反省したことがある。

ひとつは「利他」が足りないこと。

もっともっと人にやさしくならなくちゃと思った。これは語らずまず今日から行動しよう。

もうひとつは親孝行。

親父には50点くらいだけど、お袋には10点くらいだ。長電話や愚痴を聞くのが億劫で避けてさえいる。薄情な息子だと思った。

どのくらいの時間と機会が残っているかわからないけど、もうせめて20点分くらい孝行しておかないと、死に目に枕元でお袋の愚痴を聞く幻影を見そうだ。

それは避けたい。

あとで電話しよ。