判断基準

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昨日も今日も朝3時過ぎにはピタッと目が覚めた。

ピタッとだけど、スカッとではない。

時差ボケだ。

どうせこの週末の自転車の大会は、遠方での早朝の開催なので、このリズムに乗っかろうと決めた。

で、そのままデスクに向かう。この時間に仕事を進められるだけ進めておく。

リーダーに抜擢したものの、リーダーとしての在り方や判断基準に悩む二人のメンバーから、寝ている間にメールが届いていた。

送信時間を見ると、ひとりはさっき(2時40分)じゃないか。

ライトハウスは今、会社の成長にリーダーの成長がまだまだ追いついていない。

層が薄い分、若くても、社歴が浅くても、これはというメンバーは、少し背伸びをさせても登用している。

高いハードルを設定され、下から突き上げを食らうし、上からは雷がガンガン落ちる。

当然、みな悩むし、迷う。苦しむ。

タイムアウトで降格させることもある。それで去った者もいる。

残酷なようだけど、リーダーに相応しくないリーダーが居座り続けることの方が実は残酷だから。

過去の失敗を繰り返してはならない。

彼らには、こんなメールをさっそく戻した。

「朝早いな(夜遅いのか?)

おはよう。

真のリーダーを目指すうえで、一番簡単でわかりやすい判断基準は、

「人として正しいかどうか」だと思う。

フェアーか、

誠実か、

やさしいか、思いやりがあるか(表面的な話でなく)

利己的でないか、

うそはないか、ズルくないか、

そういうプリミティブなことを判断の軸に置くと良い。

世の中のすべての国や企業の破綻は、そういうことをリーダーが忘れて、自分の都合や利益で動いたからなんだ。

どんなに頭のいい人でも、常に反省して自分を戒めないと忘れてしまうんだ。

エンロン、GM、リーマン、かつての日本航空、みんなそうだね」

この言葉は、CDで何百回以上聴いている稲盛和夫さんの講話から来ている。

今は少しだけ改まったけど、昔の僕は判断基準がブレブレだった。

自分の都合やエゴで判断基準があっちに行ったりこっちに来たりした。

その度にスタッフやまわりを振り回してきた。

振り返ると、エゴで判断してことは、決して良い結果がついてこなかった。

原理原則で考える習慣をつけるようになって、少しマシになった。

それでも油断するとすぐにブレそうになる。へこたれたくなる。

24年間の経営は、失敗と反省でできていると言ってもいい。

今もあの判断は正しかったのか、胸につかえたまま未消化の塊がゴロゴロある。

これからも死ぬまでそれを繰り返しながら、少しずつマシな経営者になっていくのだと思う。いや、ならなくちゃならないのだ。