Tちゃんの20年

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土曜日の早朝。今週は刺激的な一週間だった。

なんだか興奮の毎日でアイデアやヒラメキの波状攻撃が24時間湧き上がってくるのだ。

それは夢の中でもそうで、明け方前の3時とか4時とかヘンな時間に目が覚めて、書斎に走っては、現状の打開策とか構想を帳面にまとめる日々だった。

不思議なことに寝不足でもあまり疲れないのだ。

モーツアルトやゴッホが作曲や絵に没頭するときもこんな感じであったのだろうなあと自分に酔っている。アホやなあ。

たぶん、この数日の出会いとか、気づきとか、決断が将来を左右すると感じている。そんな毎日だ。

あきらかに火がついたのは月曜日の夜、ボクが勉強している稲盛さんの勉強会(盛和塾)での友人Tの経営発表だった。

Tちゃんは渡米してすぐの頃(88年)知り合った。

ボクはライトハウスの創刊前、2歳年上のTちゃんはラジコン好きが高じて、ラジコンの会社を起業する前だった。いっしょに飲んだり話したりはしたけど、あまりお互いのぼんやりとした起業への思いは話した記憶がない。

そしてその年の末、ボクがライトハウスを始めるために、アーバインのアパートからガーデナに引っ越すタイミングでTちゃんに部屋をテイクオーバーしてもらった。それからはお互いに連絡を取り合うこともなく、2005年にボクが盛和塾に入塾するまで再会することはなかった。

時を経て、ガレージでラジコンの修理や輸入販売をしていたTちゃんの会社は、年商100億円を越える世界で1、2を争うラジコンメーカーになっていた。

今ではアメリカ、ヨーロッパ、アジアに設計や生産、営業拠点を設け、15カ国からの個性豊かな人材を束ねる。

その過程は決して生易しいものではなく、何度も倒産の危機を乗り越え、血反吐を吐くような努力と眠れぬ夜を乗り越えて今の会社に育て上げ、なお年商300億、1000億を目指す。

それぞれの拠点にはトップ自らが乗り込んで立ち上げた。そしてその土地の料理を食べ、その土地、その国が好きになれるように潜在意識に到達するくらいに念じた。

コピー商品に悩んだ時期もあったが、自社製品しか参加できない世界イベントを開催することで乗り越えた。

世界中に散らばった拠点で、かつ文化のちがうメンバーを束ねるために、企業理念や世界大会、社員教育によってベクトルを重ねた。

Tちゃんが訥々と語る20年の歩みはボクにとって珠玉の言葉だった。そして頑張りが足りなかったこの20年余りを反省した。

いかんいかん。

さらにさらに頑張らねば。もっともっと自らを磨かねば。

同時に、スタッフももっともっと鍛え、磨き、伸ばし、さらに大きな夢を描いて、ともに実現しようと思った。

目の前の悩みとか課題なんて、Tちゃんの苦労に比べたら何でもない。

夢を拡大&前倒しするぞ。そう思いを新たにする一週間だった。